3.イマガワ家家臣
『さて夜です! 早速致しましょう!』
バタンバタンと音を立てて戸板が閉まっていく。
……この行程を踏むと「皆さん、ミウラと某が暗闇に籠もりますよー」との合図になってはおらぬか?
「これで何夜めでござるかな? まだ一桁でござるが。某が言うのも何でござるが、根を詰めすぎやせぬか?」
とか言いながら、某は着物を脱いでいく。
『過去ン十年の情熱が積もってますからね。一月や二月ではペイできません! そらそらそれ!』
ネコの腕立て伏せでござる。
「負けるものかぁー!」
某の高速腹筋でござる!
東風様が通われるようになってしばしの時が流れた。
戦に出ていたツモトのオヤジ殿が帰ってくる程の時であるが。
……ちなみに、オヤジ殿は残念ながら無事でござった。
東風様は何度かミウラを挑発するも、ミウラは全く乗ってこなかった。
『これ以上絡むと、底の浅さがバレますって!』
だそうでござる。
『ハイクならそこそこの数をストックしてますけど、短歌はほぼゼロです。都々逸も庶民的すぎて、公家の方には受けが悪いです』
だそうでござる。
して――
ミウラとの一戦に勝ちを収めた夜より、幾ばくかの日が過ぎた、とある晴れた日。
イマガワ館の一角を借りて宴会が催されることになった。
カイ方面に張り付いていたツモトのオヤジ殿が、部隊の交代で帰ってきたのだ。その戦勝祝いを有志の者達で執り行おうというのだ。……宴会に貸し出されるイマガワ館て……。
このスケベオヤジ殿、生きて帰ってきただけではなく、そこそこの戦功をあげて帰ってきた。
人を介してであるが、御屋形様からねぎらいの言葉まで出た。逆に言うと、御屋形様が顔を出すまでの戦功ではなかったという事にござる。そこそこの戦果! よろしいか? そこそこでござった。
現に、イマガワ館で宴会の許可は出たが、御屋形様は全く関係しない。あくまで、有志による慰労会という名目で許可されただけでござる。
……ツモトのオヤジ殿による、上方志向の強い押しがあったそうな。
某の親戚という一点だけで許可されたらしい。
と言うわけで、某も顔を出すこととなった。一時だけでござるよ。
先ほどからツモトのオヤジ殿の自慢話が続いている。
「――とまあ、こんな塩梅で偶然敵の兵糧を奪うことが出来ましてな――」
出会い頭に出会った敵と遭遇戦に入ったところ、偶然にも敵は兵糧を運んでおる最中だったという。もとろん、兵糧は強奪した。ずいぶん手慣れた手口で。
運だけは強い!
「――迫ってくる敵を千切っては投げ、千切っては投げ――」
酒も入っている。輪をかけて話を膨らませておる。
「――橋頭堡を築いたら、あとはそこを守るだけの簡単な仕事でござった。イオタ殿!」
「は、はい?」
急に振られてびっくりした。
困った。話はまるで聞いてない。
「そう言うわけで、褒美にオッパイ揉ませてくれ。乳首でも良いブワァ! 危ねぇ! 何をする!」
「何をするって? 太股の太い血管を切ろうとしたまで。ってか、何でそこに繋がるのござるかな?」
こういう事もあろうかと、帯に差し込んでおいた脇差しを突き立てたのだが、逃げられた。戦地帰りはしぶとい。
「なんでぇー? 夕べもミウラの主と致しておられたのであろう? その延長と考えれば、ごく自然の成り行きじゃねぇの?」
「致しておらぬし、二つの線は繋がってもおらん!」
どういう理屈でござるかな? オヤジ殿の頭の中って、繋がりがおかしいんじゃないだろうか?
「なんで? イオタ殿、綺麗じゃん! ネコ耳美少女じゃん?」
オヤジ殿は、それこそ、なんで分からない? って顔してる。
「美少女というのは認めるが、そこからスケベに繋げたオヤジ殿の力業が無理筋だと言っておる!」
酒の上とはいえ、突っ走りすぎでござる。他の方々は……酔いが回ってグテグテにござる!
「男はだれしもやりたくなるじゃん! 何なら、畏れ多くもミウラの主とご一緒させていただいて、ミウラの主が前で、オレが後ろってのも良いな。あ、だめ! 想像したら至高りたくなった来ちゃった!」
内股になるオヤジ。
「やはり殺すしかないようでござるな!」
「ここはお任せを。巫女様が手にかけると後々やっかい」
万が一のため、護衛と称して付いてきてくれたオカベ殿が、大刀を引き抜いた。
ドガッ! ゴロゴロゴロ! ズダン! ダダダダッ!
ツモトのオヤジ殿は銀の刃を目にした途端、横っ飛びで衝立を打ち破り、一回ころがると、すっくと立ち上がる。袴の裾を摘みあげ、一目散に走って逃げた。
「くっそ! やってらんねぇぜぇぇ! 覚えてやがれ!」
声が遠くから聞こえてきた。
「逃げ足は速いでござるな! 機を見るに敏でござる」
「チッ! 危機察知能力だけ無駄に高い」
オカベ殿は舌打ちをして納刀した。
「ごめん!」
そして走っていく。
必ず斬り捨ててくだされ、オカベ殿。
φωφ φωφ φωφ
数刻後。
御屋形様の私室にオカベが呼ばれていた。
最奥に御屋形様が座っており、セナと御台が下座に座っていた。
オカベが座るのを確認してから、セナが口を開く。
「さて、神獣の巫女様ことイオタであるが、オカベ、如何見る?」
セナの目は、普段と違って冷酷な光を湛えていた。
オカベは、軽く一礼した。
「少し変わった、いえ、かなり変わったお方と見ております」
「どのように?」
セナ様が片方の眉を僅かに上げられた。
「例えば、女ならば、美しいと褒め称えられれば、嬉しくなる。悪い気はしないはず。某の経験上。……ですが、イオタ殿は美醜に関し全くの無反応」
セナは、顎を動かし、続けよと指示した。
「嫌とも思わず、嬉しくとも思わず。聞き流しておられる。あるいは感心がないのか。あれは本物の女でございましょうや?」
オカベは、しきりに膝を指でトントンしていた。
それまで黙っていた御屋形様が、御台の方へ目だけを向ける。感情を殺した、薄く開けられた目だ。
「御台。どう思う? おなじ女として意見を聞きたい」
「はい。お恐れながら、神獣様とはいえ、見た目は大型の獣でございます。毛むくじゃらだし、鋭い爪や牙もある。口も裂けていて大きい。遠くから見ると可愛いのですが、近くでお目に掛かると大変恐ろしゅうございます」
ミウラはネコだからね。愛くるしい姿だけど、ズームすると虎と大して変わらないしね。
「ですが、イオタ殿はミウラの主を怖がるどころか、進んで受け入れておられる。並の神経の持ち主ではこうはいきますまい。まして、もとは十五の生娘でございました。並どころの神経ではございませぬ。もっとも、神獣の巫女として進んで勤めてもらっているのは有りがたいのですが」
「御台。イオタ家の都合が都合だ。無理をして巫女を務めておる、とは考えられぬか?」
イオタ家は現在、滅亡の危機に瀕している。公的資金投入が途切れると、たちまちお家断絶である。イマガワ館からの支援を頼りに生活しているのだ。イオタが神獣の巫女職に付いているからこその支援である。
「我が殿。イオタ殿とミウラの主は、出会って以来、仲良くしておられます。女は、嫌いな男と無理に添うておると、どこか心に変調を来してしまうもの。それがイオタ殿にはございませぬ。むしろ、嬉々としてお勤めに励んでおられるご様子。ミウラの主も、それに喜んでおられるご様子。……羨ましい」
御台様は、形良い目を吊り上げられた。流れ弾が御屋形様に当たった。
「セナ! イネの代わりに付けた者どもから、なんぞ報告は上がっておらぬか?」
御屋形様は、かかる火の粉から逃げるようにしてセナに問いかけた。御屋形様らしからぬ早口だ。
「はい。結界が降りた雨戸を閉められているため、中の様子はうかがい知ることが出来ませぬが、翌朝の様子を見る限り、ごく自然な印象しか受けぬと。むしろ、仲睦まじく羨ましいちくしょう、との報告が上がる始末にございます」
「む? 付き人は若いのか?」
「腕の立つ若いのを付けました。……大変でございます」
そういう事らしい。
「イオタ殿の神経はどうなっておるのか? 異質な者よの?」
御屋形様が唸られた。御台様ではなくセナに向けて。
「某が最も気になったところは、ミカワに魔獣侵入があった際ですな。魔獣との戦いは某でも気後れする程。事前までのんびりとした雰囲気でございましたが、イオタ殿は躊躇なくミウラの主と同行するとおっしゃった。アレは戦人にしかできぬこと。今から思えば、あの頃より毒で体調を崩しておったはずですが……」
気力が衰えているはずなのに。と言いたいのだ。
「猪のような忠義者か、親兄弟のためか、はたまた……。今しばし様子を見る」
御屋形様は立ち上がり、部屋を出て行った。
他の者は、頭を下げてこれを見送る。これにて打ち合わせは終了である。




