2.東風様
「イオタ殿は――」
あっ! ミウラを相手にするのかと思っていた。某が先陣を承るのでござるか?
「――歌は嗜まれますかな?」
歌。あー、歌ね。
良い思い出がないッ。
いつぞや前世で歌を披露したことがござった。あの時は、回りから空気を読めとばかりに袋だたきにされたでござる。
この世界、歌に接することは多々あった。この世界でも母上は風流文化人でござった。
この世界にも源氏物語だとか、万葉集だとか諸々ござる。なぜか歌は全く同じでござった。よって、覚えるのはさほど苦労しなかったが、新しく作り出すのは相変わらず苦手でござった。
「うっ、くっ……」
『おや? イオタの旦那。お得意だったのでは? 小野小町の、アレ!』
嫌らしい笑い方をするなミウラ!
「色見えで
移ろふものは世の中の
人の心の花にぞありける」
東風様に先をとられたでござる! 小町殿の歌でござる! 某の十八番にござったのにー!
『ふーん、そうきましたか。神獣を前にそう来ましたか、ふーん……』
何でござるかな? 何と何をかけておるのでござるかな?
ミウラは答えてくれなかった。考え事をしておる時の癖にござる。
ミウラの目が上に行き、下に行き、左に行って、右に行く。最後某をじっと見つめて肉袋(ω)の片方をヒョイと上げておる。嫌な予感がするでござる!
『助けてあげましょう、イオタの旦那。わたしが歌を詠みます』
頼むミウラ!
『では、ご唱和願います、や――』
「柔肌の、熱き思いに触れもせず――」
そのまま口にしたが、ナニコレ?
女の色っぽい歌にござる。
「ほほう! これはまた大胆な」
東風様が驚かれておる。大胆すぎるでござる。……神獣の夜のお相手を仕事にする巫女が考えた歌に聞こえるでござる!
「で、下の句は?」
ミウラは下の句を言っておらぬ。東風様は、某が悩み考えている様に思うておられる模様。
ミウラ! 早うせい!
『寂しからずや、道をとく君』
そのまま口にして、はっ! と気付いた。
君とは、帝の尊称にござる! 某のような者が、不用意に口にしてはいけない言葉でござる。帝への恋慕とか……道がいけない! 治世の方向性がつまらないと取られても仕方ないでござるよ!
「ふーむ、むむむ……」
ほら、東風様が唸られておられる。
「もう一度言うが、大胆な歌でおじゃるな?」
「あの、その……」
言い訳の言葉が出てこぬ!
「良き歌におじゃる。『君』とは神獣ミウラの主のことでおじゃるな? 主に今後の人生を託すと?」
ニマリと笑われた。男特有の笑い方でござる。
「さすがイオタ殿。実に健気でおじゃる。……と言いたいところでおじゃるが、これ、ミウラの主がお詠みになられたでおじゃろう?」
図星にござる。公家様でござる!
「しかし、イオタ殿の歌でおじゃるな。……なるほど、うんうん、良い歌じゃ。内容が優れておることはもちろん、この場所に、この人員が集まった時のみ、意味を違える、か」
すぅ、と大きく息を吸われた東風様。
ザシュッと衣擦れの音と共に、姿勢を正される。背筋に物差しではなく、物騒な刀が通っておるように真っ直ぐ。これまでも姿勢が良かったが、このお方にとって、それは崩しておられたのでござるな。
「あらためまして、畏くも奉りき神獣ミウラの主」
ズオッっと頭を下げられた。両手を床に付け、額も床に付けた。最も丁寧な礼にござる!
「以後宜しくお願い申し上げまする」
『ふふん、最初からそのように下手にでればよかったのに。まあいっか』
東風様は頭を下げられたままで、こちらをお向きになり、「何と仰せで?」と小声で聞いてきた。
「快く、お許しになられました」
「有り難き幸せにおじゃりまする」
再び礼をされ……あれ以上の深い礼があった? 恐るべし公家作法の奥義。
で、すぐに頭をお上げになった。
「ミウラの主におかれましては、お歌にたいして深い造詣がおありのご様子」
『早速反撃ですか? イオタの旦那! 歌はもう飽きて興味ねぇ、って汚い言葉で罵ってやってください。これ以上やるとボロが出るもんで……』
「東風様。ミウラの主は、歌はもう、とっくに飽きていると申されております」
「それは残念」
ミウラ、逃げ切りおった!
「では漢詩や連句などいかがで?」
『えー、面倒くさい爺様だなー。まだ攻撃してくるかー』
ミウラを困らせるとは、さすが公家のお方にござる。
『京の三条、糸屋の娘。姉は十六、妹は十四。諸国諸大名は弓矢で殺し、糸屋娘は目で殺す』
それをそのまま言った。
「むっ! むむーっ!」
唸られたが……
これ、七五調の詩でござる。艶ぽい詩でござるが粋な詩でもある。
某、唄や詩の造形は浅いでござるが……これ、起承転結が明確すぎるほどに明確。
それに韻とかも沢山踏んでる。たぶん。
さらに、最後がナントカ止め。たぶん。
これは、ちょっと、うーむ、某でここまで思い当たるのでござるから、詩とか歌の大家たる東風様は、如何な反応を示されるでござろう?
「……さすがにごじゃります」
にっこり笑われた。
某、知っておるよ。これって目が笑ってない顔でござるよな?
『歌は東風殿に任せた。わたしは興味ない。もし遊ぶとしたら、わたしはこちらかな? 気楽だし』
そのままお伝えしたでござる。ミウラはそれだけ言うと、興味を無くしたように庭を飛ぶ蝶々を観察しだした。ネコの特性を前面に出しおった。狡いぞミウラ!
「ははっ」
今度は軽く頭を下げられた。お公家様に、こんなに何度も頭を下げさせて良いのでござろうか?
『いいんですよ』
ミウラはにべもない。
「では、また遊びにお伺いいたします」
そう言って東風様は颯爽と去って行かれた。
『ほらね』
その後。
ミウラの言葉通り、東風様はあしげく通い詰められることになる。




