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ノキア  作者: 陰東 紅祢
序章
1/2

生きなさい


 水が落ちる音と、陶器の砕ける音が屋敷の中に響き渡る。



「あぁらマティアったら、そんなところにいたのね。気付かなかったわ、ごめんなさいね」

「下ばかり気にしてたら怪我しちゃうわよ? マティア」


 女性が二人、階段の上から謝罪の言葉を口にした。だが、口では謝りながらもその言葉の裏には嘲笑が入り混じっている。くすくすと意地悪な笑みを浮かべたこの女性達は、マティアの実の姉だった。

 姉達は階段下を歩いていたマティアにタイミングを見て花瓶の水をかけただけではなく彼女のすぐそばに明らかな故意と殺意を持って落とされた花瓶。これだけで二人がマティアの事をどれほど快く思っていないのかが分かった。

 血の繋がった実の姉妹でありながら、この何の悪びれもない仕打ち。事ある毎にマティアを苛めることに余念がない姉達の薄汚れた感情に日々耐えるしかなかった。


「マティア様、これは一体……」


 花瓶の砕ける音を聞きつけ、召使が駆け寄って来るのと同時に階段上の姉二人はその場を立ち去る。

 マティアは目の前にいた召使に向かい緩く微笑みかけた。


「ごめんなさい。お花の水を替えようとして手が滑ってしまったの」


 まるで息をするかのように口を突いて出る嘘に、マティアはもう慣れてしまっていた。

 もっと幼い子供の時は「姉がやった」と正直に言っていた。しかし、それを言ったところで姉二人は巧妙に口裏を合わせ、自分たちじゃないと上手く両親を丸め込んでしまう。

 二人の姉の内、二女はとても頭が良い。何かうっかりやらかした事でも、さも自分はやっていないと上手く周りを巻き込んで言い逃れしてしまうのだ。その二女が相手では、どんなに本当の事を言ってみても「やっていない」と立証されてマティアの言葉が正しく両親に届くことは無かった。だから諦めた。ここではどんなに事実を言っても捻じ曲げられて自分が悪いようになってしまうのだから。


「花瓶の水なら私供に申し付けて下さい。何もマティア様自らそんなことなさらなくても大丈夫です」

「ごめんなさい。王太子殿下がいらっしゃるのに、どうしても気になってしまって」

「ここは私供が片付けておきます。さ、早くお召替えを致しましょう」


 召使はびしょ濡れになったマティアの髪を拭きながら、後から追いかけて来た召使達に掃除を任せて部屋へと戻る。

 衣服を着替え、マティアの白銀の髪を丁寧に梳かしている召使は目を細めて嬉しそうに口を開く。


「もう時期、マティア様も王太子妃になられるのですね。パローレ公爵様も奥様も、とても誇らしく思っておいででしたわ」

「……そうね。私が両親に出来る親孝行はそれくらいだもの」

「それにしても、マティア様が稀に見る“白銀の乙女”だからって、その美貌を妬んで嫌がらせをするアグニス様達はどうかしていますわ」

「アーリー。どこで誰が聞いてるか分からないわ」


 プリプリと怒るアーリーと呼ばれた召使とは違い、表情が暗く無感情な話し方をするマティア。

 アーリーは居た堪れなくなり、髪を梳かす手を止めてマティアの傍らに跪き彼女の手を握り締めた。


「マティア様。私は、マティア様の事を信じております。これまで数々のアグニス様達の嫌がらせは、日々悪質なものになるばかり。やっと……やっとこの状況から解放されるのだと思うと、私は胸がいっぱいです」

「……アーリー。ありがとう」


 緩く微笑むマティアに、アーリーは涙ながらに頷き返した。

 


 この時は、未来に明るいものが待っているのだと思っていた。意地悪な姉達から解放され、王太子妃としてまだまだ辛く大変な事が待っているのだとしても、今よりもずっと明るい未来なのだと。



 マティアは身支度を済ませ、部屋で王太子殿下が来るのを待っていた。


「きゃあああ!」


 ふと、玄関先から複数人の召使の悲鳴が聞こえて来る。

 マティアは俯いていた顔を上げ、自室のドアへと視線を投げかけた。その瞬間、大勢の人間たちが屋敷の中に入り込むような足音が響いて来る。マティアはドアへ駆け寄り、扉を開いて廊下を見てみるが二階部分はいつもと変わらない光景があった。

 マティアのいる部屋の傍には一階のエントランスへと続く階段がある。そこにはいつもとは違う熱気と殺意のような息苦しい空気が立ち込めていた。肌でも感じるほどの熱い殺意。姉から受けるものの何倍も強い。マティアは身を屈めてこっそりと下を窺う。


 そこにいるのは見るからに、王国の騎士たちだった。そしてその筆頭にいるのは、マティアの婚約者でもあり、王太子でもあるボレアス王太子殿下だった。


「パローレ公爵はいるか!!」


 ボレアス王太子殿下がそう声を張り上げると、すぐ傍にいたマティアの父パローレ公爵は堂々と前に歩み出る。


「王太子殿下、これは一体……」


 青ざめている父、パローレ公爵に対しボレアスは持ってきていた手紙を開いて突きつける。


「本日、この場を持ってマティア・シェルジュ・パローレ嬢との婚約を破棄させて頂く!」

「え!?」


 突然の事に父も、その場にいた母も当事者であるマティアも呆然としてしまう。


「国王陛下はすでに了承している! これが動かぬ証拠だ!!」


 ボレアス王太子の持っていた手紙を受け取った公爵は、そこに間違いなく記された国王陛下のサインと国印に更に青ざめる。


「お、お待ちください、なぜそんな突然……」

「突然? ハッ、何も知らないと思っているのか? 随分と小芝居が上手いな? パローレ公爵」


 そう言うと、ボレアス王太子は携えていた剣を抜き公爵にその切っ先を突き付けた。


「お前達一族の思惑はすでに明るみに出ている。白々しい態度は為にならんぞ」

「い、一体、何のお話で……」


 公爵が引きつった顔でそう言うが早いか、ボレアスは無慈悲にも公爵の首を何の躊躇いもなく撥ねた。


「犯罪者の一族の嫁など、娶るわけがないだろう」


 ゴロンと落ちた公爵の頭が母の足元に転がり、その場にいた全員が悲鳴を上げて一斉にその場から全員が逃げ出した。しかし、すぐに他の騎士たちに取り押さえられてしまう。その中に、一番上の姉がいるのが見えた。姉はボレアス王太子に抑え込まれ、整えた髪を鷲掴みにされて強引に顔を持ち上げられていた。


「王国に対し、反故を起こさんと企んだ張本人は一体どこにいる!!」

「ひ……っ」

「答えろ。助かりたければな」


 ボレアスの表情はもはや尋常な顔つきではない。

 恐れをなした姉は、涙に濡れて震える声で口を開いた。


「マ……マティア……マティアです」


 その言葉に、マティアの心は凍り付く。何の根拠があって一族に容疑がかけられているのかも分からず、この状況に置いても自分が助かりたいが為に、姉は妹を差し出した。

 マティアの名を聞いたボレアスは姉の首をも無慈悲に撥ね、頭を乱雑に放り投げる。


「国王陛下の勅命である。パローレ一族を全員始末しろ! 一人も残すな!」


 ボレアスの言葉に、その場にいた騎士たちは一斉に屋敷の中を動き始めた。

 手当たり次第屋敷の人間は次々に殺されて行く中、マティアにもその危険性はすぐそこに迫っている。

 マティアはその場から離れようとするが、腰が抜けてしまって動けない。階段を登って来る何人もの騎士たちの足音が聞こえて来る中、もう覚悟を決めるしかないと目を閉じた瞬間背後から肩に手を置かれ、マティアは凍り付く。


「マティア、こちらへ!」


 聞き慣れた声が頭上から降って来る。その声に顔を上げると、どうやってここまで来たのか、血まみれになった母の姿があった。

 手を掴まれ、マティアの部屋へと駆け込んだ二人。ドアに鍵をかけて少しでも時間を稼ぎ、マティアの手を引いたまま母は迷うことなく、部屋の中にあった暖炉の奥に手を伸ばした。カチッと小さな音が聞こえるとボコッと壁が窪み横へスライドしていく。


「お母様、これは」

「説明している暇はありません! 早く、この中へ!」


 強引に中に押し込められたマティアは急いで振り返ると、仕掛け扉が閉じて行くのが見える。その隙間から、母が涙を流しながら微笑んでいる姿が見える。


「お母様!」

「マティア。生きなさい。強く生きるのですよ」


 その言葉を最後に仕掛け扉は完全に閉じ、それ以降その扉が開くことはなかった。

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