8.聖典
王様の脅しが、案外効いているのかもしれない。
二人はもう、喧嘩することはなくなった。
なくなったけど……お互いを空気のように扱って、わたしにだけ話しかけてくるのも、なんか面倒くさい。
「ひよ、足元に気をつけて」
「頭、ぶつけるなよ」
両側から、わたしに声をかけてくれる……ここはパラダイスかな?? こんな風に男性に接してもらったのは、生まれて初めて。
わたしは緊張で汗をかきながら、二人のエスコートで、馬車に乗った。
すると、先輩もハーシーも、我先にと馬車に入ってこようとしてぶつかっていた。
先輩がついに、彼に向けて口を開いた。
「おれは、昔からの知り合いだぞ。一緒に夏のテニスで青春を過ごし、汗をかいた仲なんだ。
ぽっと出のお坊ちゃんに、隣は譲らない」
「おれはひよの護衛だ。隣に座るのが妥当だろう」
そろそろ、ハーシーに突っ込んでもいいかな……王様、そんなこと言ってなかったよーって。
でもこうして、出会ってすぐ喧嘩するくらいだから……この二人は、すぐ仲良くなれるんだろうな。
ん? 実はこうやって、わたしを取り合っているように見えて……ここから腐向け展開になるのかな?
先輩『ひよのことばかり見てたけど……お前の顔の良さに、ついに気づいてしまったぜ』
ハーシー『お前の髪、イカしてる……今度、お揃いの髪型にしてくる』
いやいや、やめとこう……ちょっと妄想が過ぎました。各方面に謝ります、誠に申し訳ございませんでした。
「もう、喧嘩するなら、二人で一緒に座ってください!」
決して、そういう展開を望んでいるわけじゃなくて……そう、わたしはただ、仲良くして欲しいだけなんだけど。
二人は、いかにも嫌そうな顔をしながら、しぶしぶ馬車に入ってこようとした。
その時、わたしたちの馬車の元へ、誰かが急いで駆け寄ってきた。
「……すまん、渡し忘れていた」
王様だ。仮にも一国の主が、息せき切って、一冊の本を届けてくれた。
「これは……?」
その赤い本は、とても分厚くて、重みがあった。
「聖典だ。ここにいる間の、お守りとして持っているといい。
そこには、あなたにしか扱えない魔法が、たくさん書いてある」
それを聞いて、心が踊った。
わたしにしか扱えない魔法……!
なにそれ、どんな魔法があるんだろう!
めちゃくちゃ使ってみたい!
「ありがとうございます!」と頭を下げてお礼を言うと、王様が手招きしてきた。
わたしはいったん馬車を出て、クラウスに導かれるままに、仲の悪い二人から距離をとった。
王様は、声を潜めて話した。
「……わたしは、ハーシーが召喚者なのではないかと思っている」
「ハーシーが……? でも本人は違うと……」
「ああは言っているが……恐らく。
だから1週間後、また王宮に来る時までに、その証拠を集めてきてほしい。
きっと奴は、真面目に召喚者を探す気はないだろうから」
確かに、自分が召喚者なら、あえて探すふりをするのは時間の無駄だろう。
「でも、もしハーシーが召喚者だとして……何で嘘をつくんでしょうか?」
「さあ……ハーシーが自分から話すのが一番なのだが……あの様子を見ると、話しそうもない」
王様は腕を組んで、ため息をついた。
そこは、命令で正直に吐け!とか言わないんだな。
どこか庶民寄りで、周りのことが見えていて、人を大事にできる王様。アウル国、最高じゃん。
「あいつは……昔はもっと、明るいやつだったんだ。わたしよりずっと喋るし、みんなに慕われていた」
「えっ……ハーシーが、ですか?」
「あぁ。それが、ある時期を境に、めっきり口数が少なくなって……笑顔も減ってしまったんだ」
そうだったんだ。ハーシーは元々、寡黙な人ではなくて、明るい人だった……その頃のハーシーに、ちょっと会ってみたかったな。
「……何か、ショックなことがあったんでしょうか」
わたしがそう聞いても、王様は何も言わなかった。まるで、自分で聞いた方がいいと諭してくれているように、王様に肩を叩かれた。
「面倒くさい男だが、ハーシーを頼む」
わたしは「はい」とうなずいて、笑顔を見せた。
そして、二人仲良く(いやめっちゃ離れてはいるけど)並んで座っている馬車の、反対側に一人で座ると、従者の人が扉を閉めてくれた。
王様や召使いの人達は、馬車が見えなくなるまで、手を振って見送ってくれていた。
「……この国の人達は、温かいね。わたし、この国がちょっと好きになったよ」
ハーシーに言っても、彼は窓の外をみながら、何も答えてくれなかった。無視したのを許せなかったのは、わたしでなく先輩だった。
「温かいねぇ。隣に座ってる誰かさんは、常に敵対心むきだしの、無愛想だけどな」
煽るようにそう言われても、彼は反応しなかった。
「……先輩には少し、話したことがあるかと思いますが……わたしも子供の頃は、めちゃくちゃに荒れている子だったんですよ」
わたしがそう言うと、先輩は遠くの方を見て、思い出そうとしていた。
「あー、そういや聞いたことあるな……今とイメージ違いすぎて、想像もつかないけど」
「そうですよね。その頃は野良犬のように、誰かれかまわず、噛みついて喧嘩していました。
心に、抱えきれないものがあって……その頃はまだ言葉も拙かったので、自分の気持ちを話すことが苦手でした。
でも、親代わりに面倒を見てくれていた人が、わたしの気持ちを上手に引き出してくれて……拙くても、言葉にしていいんだと思わせてくれました。
そうして、言葉にできるようになると、自然に……心が落ち着いてきたんです」
わたしはふと、首元を触った。
昔のことを考える時はいつも、首元のネックレスを触ってしまう。これは、子供の頃から持っていたお守りのようなもので……って、あれ?
「ネックレスが……」
「どうした?」
首元を触ると、その影も形もない。
付け外しした記憶もないから、もしかして……。
「ハーシー、わたしのネックレス……首についていた装飾品、知らない?」
「いや……知らない」
ワンチャン、代わりに持っていてくれたとか奇跡があるかと思ったけど……本当になくしてしまったらしい。
「川に流されたとか? 」
「……そうかもしれない」
「探しに行く?」と言った先輩の言葉に、わたしは首を横に振った。
探しに行っても、見つかるかどうか分からない。二人に手伝ってもらうのも、気が引ける。
「……大事なものか?」
ハーシーの問いに、わたしはおそるおそる、うなずいた。
「亡くなった両親の、形見なんです……でも、すごく小さいものだから、もう見つかりっこないですね。諦めます……」
「そうか……残念だったな」
先輩の言葉に、うなずいた。
わたしの沈んだ顔を、ハーシーはじっと見つめてきていた。