5.王宮
馬車から見えたのは、ケーキの箱のような真っ白な建物だった。
花壇には花が咲き乱れ、敷地を入ると、ありとあらゆるところに兵士が立っている。
馬車の停留場に着くと、ハーシーは真っ先に馬車から降りた。降りるところに足の踏み台が置かれていて、わたしはコケないよう気をつけながら降りた。
すると、近くに停まっている馬車の中から、女の人が声をかけてきた。
「ハーシー様……!まぁ、ハーシー様、ここでお会いできるなんて……!」
窓から身を乗り出して、ドレスを着た女の人が、嬉しそうにハーシーを呼んでいる。
その馬車はとてもゴージャスで、黒い車体に、細かいバラの装飾が施されていた。
ハーシーはその馬車に近づいていき、扉から出てこようとしているその人の手をとった。
その二人は、まるで絵から出てきたみたい……金髪碧眼の王子様が、艶のある漆黒の髪のお姫様をエスコートして、舞踏会に来ている(というシチュエーションの妄想)。
その美女は、体中から溢れんばかりの幸せオーラを出して、ハーシーを見つめている。
「わたしも、リリィ様にお会いできて光栄です」
その時のハーシーの顔を、わたしは当分忘れられなかった。
真夏の太陽のような、輝くような笑顔。寡黙であまり表情がないと思っていた彼から、あんな爽やかな顔が生み出されるなんて……!!
わたしには、助けてくれた時に、吹き出すように笑った顔しか見せてくれてない。
リリィ様、どんな徳を積んだら、そんなファンサを得られるんですか……?
2次元フェイスのお相手は、やっぱり2次元フェイスの方しか釣り合わないということですね。
存在する世界が違うわたしに、お二人を眺める権利を与えてくださって、ありがとうございます……!!
「あら……そちらの方は?」
リリィが、ハーシーと同じ護衛士服を着ているわたしを見た。
彼は「ただの側近ですよ」と言って、にこやかにわたしの存在をはぐらかした。
ただ彼女は、わたしへの興味が止まらなかったらしい。わたしが女だからかな?今だけ、男の人に見える魔法をかけておいて欲しかった。
リリィは優雅な身のこなしで、わたしの前に立ち、お辞儀をした。
「初めてお目にかかります。ケンディ侯爵家長女、リリィでございます。以後、お見知りおきを」
ふわっと宙を舞ったドレスが、あまりにも美しかった。わたしはその姿に見とれながら、祈るように両手を握った。
「わたしのような下賤の者に、このような素敵なご挨拶をくださり、ありがとうございます。
リリィ様に見合うほどの教養がなく、充分なお返しができませんことを、お許しください。
どうか、リリィ様の輝かしい人生にご多幸がありますことを、この場を借りてお祈り申し上げます」
わたしがペラペラと喋りすぎたからだろうか。リリィはぽかんとした顔でわたしを見ていた。
「あっ、まだ名前を名乗っておりませんでしたね……!大変失礼いたしました。
わたしは、日向ひよと申します。護衛士の皆さんからは、呼びにくいのでフィオと呼ばれています。どうぞ末永く、団長とご贔屓にしていただければ……」
「もう行くぞ」
その時、ハーシーがわたしの腕を引っ張ってきた。
あっ、喋りすぎちゃったかな……つい、アイドルのマネージャーのような立ち位置で物を言ってしまった。
昨日会ったばかりのわたしに、まだその立ち位置は早すぎました。
「リリィ様。残念ですが、謁見の時間が迫っておりますので、こちらで失礼いたします」
ハーシーが深々と頭を下げると、わたしも右にならって頭を下げた。
リリィ様は変わらず、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をして、わたしたちを見ていた。
少し歩いたところで、ハーシーは急にわたしの腕を離した。
わたしは、おそるおそる口を開いた。
「あの、何か失礼なことを言っていたら、申し訳ないです……」
「……あんた、なんでそんなに、すぐ謝るんだ」
ハーシーは、こちらを見ずにまっすぐ歩きながら言った。
「えっと……それが、日本人の性質なんです。へりくだるというか、謙遜するのを美徳としてしまう、国民性なんです。
でもわたしに関しては、周りに敵を作らずに、平和に生きていきたいという心の表れなのかもしれません」
それを聞いて、ハーシーは重たそうに口を開いた。
「……敵を作らないなんて、できるはずがない」
「どうしてですか?」
「何かを守ろうとすれば、必ず何かが敵になる……護衛士であるおれたちは、金で雇ってくれた者が正義で、守るもの。それに仇なす物はみな、敵となる。
リリィ嬢も、いつ敵になるか分からない」
それを聞いて、わたしは納得した。
「あっ……リリィ様は、お取引先のお嬢様だったのですね。ということは、あれは営業スマイルだったんですね」
それに関しては、ハーシーは何も反応してくれなかった。
「もし、わたしもハーシーを、お金で雇ったら……あんな風に、笑顔を向けてくれますか?」
その言葉に、彼は足を止めた。
わたしは、睨むようにこちらを見てくるハーシーに、焦って言った。
「あっいや、変な意味ではなくて……!!
ただ、そう、推し活と一緒なんです……!!」
「推し活……?」
「あ、推し活とはをご説明しますね。まず推しとは……」
「ジギス伯爵様。謁見の間にお急ぎください」
その時、ひとりの兵士に声をかけられた。
わたしたちはその兵士について、王宮の中に足を踏み入れた。
はるか彼方まで敷いてある、赤いカーペット。飾られている、美しい絵画。あちこちに活けられている花から、甘い香りが漂ってくる。
ついに……この国の王様に会いに行くんだ。
わたしは少し緊張しながら、黙ってハーシーの後ろをついていった。