38.フローラの日記
わたしは月のものが明けるまで、リバティ公爵家の客室に引きこもった。
その間はずっと、朝から夜まで本を読んだ。聖女としての仕事をするための聖典と、以前の聖女が残した日記。
日記は、この世界の言葉で書かれてはいなかった。
この世界ではじめて日記を読めたのは、言葉を操る魔法を使える王様だったらしい。
そして次に、英語が堪能な先輩だ。
「イギリス英語だったよ。全部訳したから、よかったら読んでくれ」
先輩は、子供の頃家族と一緒に外国に住んでいた、帰国子女だ。仕事でも、英語を使うと聞いたことがある。
彼が訳してくれた日記は、とても分かりやすかった。
フローラ様がどんな生活を送って、どんなことを考えて、聖女としてこの国で生きていたのか。
『わたしは、この世界ではないところからやってきた。召喚したのは、この国の王、アダムス様だ』
その言葉から始まった日記を、手を止めることなく、一気に最後まで読んでしまった。
フローラ様は、おそらくクラウス様の前の王様に召喚されていた。そのため王宮で、聖女としての仕事をしながら暮らしていたのだという。
そして、王宮にたびたび来るリバティ公爵から、猛烈にアピールされていた。彼女もいつか元の世界に帰るつもりでいたから、最初はまったく相手にしていなかったのだそうだ。
『わたしはアダムス様に召喚されたから、アダムス様と離れることはできないと、何度も伝えたのに……リバティ公爵は、諦めてくれない』
その文言から、よっぽど公爵が、フローラ様に執心だったことが伺える。
だって美人だもんなぁ……石像になってしまったフローラ様を思い出すと、それも納得できる。
しかし、日記は日が進むにつれて、しだいに穏やかではなくなってきた。
『アダムス様が、わたしを地下に閉じ込めてしまった。誰にも奪われたくないのだと言って……。
あなたにはすでに、愛すべき王妃様がいるのに』
その続きを、わたしは息を止めて読んでいた。
『王妃様が、王宮を出て行かれたらしい。
わたしがいくら、召喚を解いて欲しいとお願いをしても受け入れてもらえない。
これからどうなるのだろう……公爵様、助けて……』
日記はしだいに、リバティ公爵へ助けを求める言葉が多くなっていた。
フローラ様は、自分がこの世界に来たせいで、王妃様が嫉妬して出ていってしまったのだと言っている……決してあなたのせいじゃないのに。
フローラ様もきっと、わたしのように突然召喚されたんだろうに。
わけも分からずひとりでこの世界に来て、苦労したに違いない。
わたしは、日記の上に涙をこぼさないように拭った。
『聖女の仕事がある時と、アダムス様が怪我をした時だけ、わたしは上にあがれる。その時を見計らって、なんとか逃げ出したい』
その先は、しばらく日付が空いたようだ。書き殴るような字から、次はまた落ち着いた、美しい文字に戻っていた。
『晴れて、リバティ公爵のもとに来れた。
いっそ帰れないのなら、彼と結婚してこの世界で生きたい』
リバティ公爵は、本当にフローラ様を大切にしていたらしい。
もしフローラ様を無理やり引き戻すなら、公爵しか扱えないアウルフォウルを持って、国外に逃げると脅した。
王様はそれで手が出せなくなり、公爵家にうつったフローラ様を取り戻そうとはしなくなった。
彼女はそれから、リバティ公爵と幸せな時間を過ごしていたようだ。
その頃から彼女は、お腹に子供を身ごもっていた。
『男の子が産まれた。わたしたちと同じ、金髪碧眼の子。この子はどんな人生を送るのかしら』
これはまさしく……ハーシーのことだろう。
そうして、彼の育児をしている間にまた、次の女の子を出産をした。
しだいにフローラ様の日記は、誰にも言えない夫への愚痴がメインになってきた。
『二人も子供がいるのに、夫もまだ甘えてくる。さすがに大人の子守りはできないわ。彼に乳母をつけてほしいくらいよ』
うわぁ……リバティ公爵、痛すぎる。
ハーシーも将来そうなるのかなぁ。
そんなことを考えて苦笑いしていると、ふと、コンコンと扉を叩く音がした。
わたしは日記にしおりを挟んで、いったん閉じた。
「はい」
扉を開けると、そこには先輩が花束を持って立つ姿あった。思わずその花束に見とれていると、彼は「体調はどう?」と聞いてきた。
「あっ……だいぶ楽になってきました」
「そうか。良かった。
これ……君あてに届いた花だよ」
わたしはそれを受け取りながら「ありがとうございます」と返事をした。
聖女のお披露目会のあと、たくさんの貴族からお花が贈られた。これも、そのうちの1つだろう。
「それと、公爵から伝言だ。
ひよの体調が整ったら、魔物討伐の応援に行って欲しいとのことだ」
「魔物討伐?」
「あぁ……どうやら、討伐で多くの怪我人が出ているらしい。魔法使いたちの回復魔法だけでは間に合わず、聖女の力を貸してほしいらしい」
わたしは、それを聞いて目を見開いた。
「体調は大丈夫です!明日には行けます!」
「本当に?無理してない?」
心配そうな先輩の表情に、わたしは笑顔で応えた。
「はい。だってこの世界にいるのも、あと残り少ないですから。できることをして帰りたいんです」
「……分かった。公爵に伝えておくよ」
先輩に、わたしの頭をぽんぽんとなでてから、部屋を出ていった。
……本当は、帰るつもりなんてないのに。
騙してごめんなさい。
わたしはくるっと踵を返して、すぐに日記を読むのを再開した。
明日からはもう、ゆっくり読む時間があるかわからなう。今日中に全部読まなくちゃ。
わたしはもらった花束を、机の端に置いたまま、机にかじりつくようにして日記を読みふけっていた。




