37,取引
いつの間にか眠ってしまったらしい。
目が覚めると、すでに窓の外は日が落ちていた。
先輩と話してて……そうだ。大事な話をしていたのに、とてつもなく眠たくなって……途中で寝てしまった。
わたしは重たい体を起こして、廊下に出た。
頭と下腹部が痛い……吐き気もする。
そういえば、元の世界ではずっと婦人科でもらった薬を飲んでいたのに、それが止まってしまったから……久しぶりに、重たい生理が来てしまった。
夜は、召使いの人たちも休んでいるらしい。廊下には誰もおらず、わたしは暗闇の中、壁を伝った。
体が重いと、心まで重くなる。
先輩と話していた内容を思い出しながら、明かりを求めて歩いた。
今日は晴れていたはずなのに、外が真っ暗だ。
窓から空を見上げると、月明かりはなく、無数の星々が光っているだけだった。
もしかして……ちょうど朔日なのかな。
月がちょうど、地球の影に隠れて見えない日。これから月が満ちる、はじまりの日。
わたしの、今置かれている状況とは、相反する。
どうして……わたしの恋愛は上手くいかないんだろう。
人を好きになっても、諦めなければいけないことばかり。
この世界に居続ければ……わたしはやがて、石像になるらしい。
ハーシーのお母さんのように、人の傷をたくさん治してしまうと、だんだんと体が石化していく。
その原因は分かっていないけれど、石像になった聖女は、次の聖女が現れれば、解放されるらしい。
わたしが石像になれば、ハーシーのお母さん、フローラ様は元に戻る。
けれどリバティ公爵も、それを望んでいるわけではないらしい。
なんとか、新しい聖女が石像にならず、フローラ様を元に戻せるような方法を探してくれている。でもそう簡単に見つかるわけじゃない。
だから公爵は、わたしが早く力を使い果たしてしまわないように、攫おうとしたのだという。
そして、聖女が石像に変わってしまうのは……召喚者が、聖女をこの世界に留めてしまうからだという。
フローラ様も、リバティ公爵に召喚された聖女だった。
彼女は召喚者であるリバティ公爵と結ばれ、2人の子を成し、育てている途中で……その力を使い果たし、石像になってしまった。
この国では、聖女が召喚されること自体が珍しく、フローラ様の前に石像だった聖女は、いつの時代の人なのか分からないまま、人間に戻ってすぐ息を引き取ったらしい。
だから文献にも残っていないし、どうして石像になってしまうのか、その原因の究明も難しい。
ただ、一つだけ確かなのは……聖女が存在している間は、この国の人達が、魔法を使えるようになるということ。
それは石像になっても変わらず、魔法の力の根源として崇め奉られるのだという。
『聖女の存在は、魔法の力の源……。
それがなくなれば、だれも魔力を使うことはできなくなり、この国のバランスは崩れる。
この国を守っている王の結界が破れて、外にいる怪物や魔物が、わんさか襲ってくることになるしい』
先輩は、公爵から聞いたのだというその話を、真剣に語ってくれた。
わたしが帰ってしまっても、フローラ様の石像がある限り、魔法はなくならない。
けれど、フローラ様を召喚したリバティ公爵が亡くなってしまったら……いつかまた聖女がこの国に召喚されて、石像になった時、解放されたフローラ様はすぐに息を引き取る。
家族と会えないまま……これまで生きてきた想いを、何も残せないまま。
もし今、わたしが石像になれば……フローラ様は目を覚ますだろう。そうすれば、リバティ公爵も、ハーシーを許せる日が来るかもしれない。
物心ついた時から、自分のことを孤児だと思っていたハーシーも……本当の家族のもとに戻れるかもしれない。
わたしが元の世界に帰るより、そのほうが、ハーシーを幸せにしてあげられる。
それが、わたしなりにできる、精一杯の愛し方だと思う。
どうせ帰って、またこの世界に戻ってこれたとしても、石像になってしまうと分かれば、ハーシーはもう召喚してくれないだろう。
それなら……あと半月。
この世界にいる間に、石像になろう。
……もう、恋を諦めるのはやめた。
たとえ、一緒には生きられなくても……ハーシーにずっと見つめてもらえるなら、石像になるのも悪くない。
そう思えるほどに……わたしは、ハーシーのことを好きになってしまっている。
「……体が冷えますよ」
物思いにふけっていたわたしに、暗闇から誰かが声をかけてきた。
わたしが振り返ると、物陰に隠れるように、リバティ公爵が立っていた。
「……なんで隠れてるんですか?」
「わたしは……あなたに嫌われてしまったので、もう会わない方がいいかと」
そういえば、この屋敷に来てから彼が姿を見せることはなかった。公爵家なのに……わたしがあんなに怒ったから、気を遣って出てこれなかったのかな。
案外気にしいなところ、ハーシーにそっくり。
冷たい態度と裏腹に、実はメンタルが弱そうなところも。
「……公爵様。取引しませんか?」
わたしは、冷静な声で言った。
「……取引?」
「はい。公爵様は、フローラ様に、もう一度会いたいんですよね」
わたしの問いに、彼は固唾を飲んだ。
「に、人間に戻す方法が……!?」
「はい、分かりました。夢で見たんです……フローラ様が傷を治した以上に、聖女であるわたしが善い行いをすれば、フローラ様を人間に戻すことができると」
その言葉に、彼は膝から崩れ落ちた。
「そ、それは……本当ですか……?」
「はい」
長所と短所は、紙一重という。
自分を守るために、25年間生きてきて培った言葉の巧みさを、武器にしてしまうなんて。
真っ赤な大嘘つきでも、こういう時は、騙せてしまうんだ……。
それでも、彼にとっては好都合に違いない。
「そ、それで、取引とは……」
「もし、フローラ様を人間に戻すことができたら……ハーシーを、元の家族に戻してあげてください」
その言葉に、リバティ公爵は目を見開いた。
「だが……ハーシーが、それは望まないだろう」
「彼が望んでいなくても……家族として、ちゃんと大事にしてあげてください。
それが、この取引の条件です」
「わ、分かった……できることなら、何でもしよう。あなたの望むようにしてくれ」
リバティ公爵は両手を握り、わたしを懇願するような目で見て言った。
たとえハッタリでも……今のわたしは最高に、聖女らしくできているのではないかと思った。




