【閑話1】救出
ひよが石像に触れた瞬間。
それは、まばたきの間に起きた出来事だった。
彼女の姿が消えて、おれは呆然とした。
ほのかに、魔法の力を感じる……どこかに転移されてしまったのか!?
「……ひよは、どこに行った!!」
おれは、アレクサンドルに向かって言った。
彼女も驚いたような顔をしていたが、自分よりは冷静だった。
「……石像に、罠が仕掛けられてたのね」
「罠!?」
「えぇ……おそらく、お父様よ」
それを聞いて、心がしんと冷えた。
助けに行かなければ。おれは踵を返して、聖堂を出た。
おれは急いで、外に待機していた護衛士仲間たちと合流した。
「帰るぞ」
「え? フィオちゃんは?」
アパトの言葉に、おれは何事も無かったように言った。
「……聖女として、王宮でやるべきことがあるらしい。おれたちは、いったん護衛士館に帰る」
「そうか、よかった!早く帰って、あのご飯食べたかったんだよ」
嬉しそうにマスルが、馬車に積まれた手土産を見て言った。だけどアパトは、まだ納得していないようだった。
彼は昔から、勘が鋭い……おれたちに何かがあったことを、きっと察知しているけれど、何も言わずにいてくれた。
護衛士館へは、馬車に乗るより、走って帰った方が早い。馬車は、命懸けで手土産を守ってくれそうなマスルに任せて、おれは走り出した。
「……なんでそんなに、急いでるのか知らないけどさ」
アパトが隣を併走しながら言った。
「なにかあるんだったら、ちゃんと頼ってよ。おれたち、家族なんだからさ」
その言葉に、おれはうなずくことしかできなかった。
でもあそこへは、おれ一人で行かなければならない。
おれのことを嫌っている、あの父の元へ。
なるべくなら会いたくない。
会うたびに嫌味を言ってくるし、そのたびに罪を犯しそうになる。
人として、未来の護衛士を育てる者として、踏み外してはいけない道を、踏み外してしまう……人を守るための剣を、武器に変えてしまう。
そんなこと、本望ではないとわかっているのに……あの男の前では足がすくみ、何も言い返せなくなる。
本心は、きっと違うんじゃないか。次には、優しい言葉をかけてくれるんじゃないか。
そんな期待は叶わず、今日に至る。
誰も、あの男にたてつく者などいなかった。
公爵家を敵に回したらどうなるか……それは王家でさえ、緊張が走るところだ。
それでも、ひよは言ってくれた。
彼女が、その損益の外側にいる人間だとしても。
おれが言いたくても、言葉にならなかった想いを、すべてぶつけてくれた。
出会ってすぐ、彼女はラッセルが、重たい水を運んでいることを気にしていた。
確かに、体力のないラッセルにはきつい作業だ。でも慣れれば、いつかは体力がつくものだと思っていた。
だが、ひよに言われて、いっこうにラッセルの体力は、護衛士見習いの仕事に追いついていないのだと気がついた。
人にはそれぞれ、向き不向きがある。
子供たちの輪に入ろうとせず、ずっと花いじりをしているラッセルを見て、怠け者だと罵る者もいたが……。
ひよが作った台車を、ラッセルはおれのところにも、嬉しそうに見せにきてくれた。「みんなみたいに力は無いけど、ぼく、これで頑張れます」と笑った。
あんなこと、今までなかった。
厨房で、子供たちが嘘をついたときも。
嘘をつくということはどういうことか、冷静に諭していた。
子供たちが大人になった時、どういう人になって欲しいか……おれが言えないことまで、ひよは言葉にしてくれた。
子供たちの気持ちに寄り添える、優しい人だから……辛い思いをしている人を、見過ごせない人だから、好きになった。
自分の子供時代にも、ひよのような人がいてほしかった。
そうしていつの間にか、おれのことも見て欲しいと思うようになり……元の世界に帰りたがっている彼女に、気持ちをさらけ出してしまった。
今日帰ったら、いっぱい頭を撫でて、独り占めして、2人きりの時間を過ごして……。
頭の中で、ガラガラと音を立てるように、その予定が崩れていく。
おれとひよを引き離したこと、絶対に許さない。
護衛士館に着くと、おれは式典用のタキシードを脱いだ。そうしてすぐに、戦闘服に身を包んだ。
こちらの方が落ち着く。貴族という身分より、おれは裏で暗躍するほうが似合ってる。
仕事でもなんでもない。命じられて戦うわけじゃない……自分の意思で、ひよを取り戻しに行くんだ。
そう思うと、心に活気が湧いてくる。
外から、子供たちの声が聞こえてきた。
馬車が戻ってきて、王宮の食事が食べられることに喜んでいるんだろう。
その食卓に、ひよもいられるように……みんなが喜んでいる姿を、彼女にも見せられるように、必ず連れ戻す。
「……やっぱり、フィオちゃんは攫われたんだね?」
団長室に入ってきたアパトが、おれの姿を見て言った。
「あぁ……おれ一人で助けに行く」
「どうして、こういう時頼ってくれないかな……」
「これは仕事じゃない。それにお前も、明日には仕事が入ってるだろ」
「……ハーシーの大事な人は、おれたちにとっても大事な人なんだよ」
その言葉に、おれは足を止めた。
ずっと、心配してくれていた。同じように親に捨てられ、ここで育てられて護衛士になるしかなかった彼も、心がやさぐれでもおかしくないのに。
兄弟のように育ち、共に護衛士として働いてくれる彼らがあってこそ、おれはここまで生きてこられた。
その場所を守るのが、おれの生きる意味だと……思わなければいけなかったのに、思えなかった。いつも逃げたかった。こんな人生、早く終わればいいと思っていた。
一つだけ灯った、心の灯り。
ひよがいて、愛し愛されて、一緒にこの場所を守っていけたら……それが叶うなら、おれはなんでもしよう。
「……リバティ公爵家に行く。ついてきてくれるか」
「うん、いいよ」
おれの胸あたりまでしかない、小柄な体格のアパト。彼は嬉しそうな表情をして、こぶしでおれの胸を突いてきた。
リバティ公爵家に着くと、あっという間に夕方の鐘が鳴った。
おれたちは、近くの木に登り、遠巻きに公爵家を観察した。
「……広いね。これじゃ、探すのも大変だ
どうする?左右でわかれて探す?」
「いや、お前はここで待機してくれ。何かあったら指笛を吹くから、応援に来てくれ。
もし、おれが帰らなかったら……その時は、お前が伯爵家を継ぐといい」
「えっ、やだよー。
おれハーシーみたいに仕事人間じゃないからさ。団長とかムリムリ。
それより、エミリアちゃんをデートに誘えるかで頭がいっぱいなんだよね」
アパトは、冗談交じりでそう言った。そういえば、あの衣装屋のエミリアと仲良かったな……片思いだったのか。
「そうか。うまくいくといいな」
「ハーシーもね。ぜったい、フィオちゃんを離さないんだよ。じゃないと君、一生結婚しなさそうだから」
その言葉に、苦笑いした。
木を伝い、おれは公爵家の敷地に降り立った。
使用人の入口から、堂々と中に入ったおれは、若いメイドに声を上げられそうになって、彼女の首に短剣を突き立てた。
「聖女の居場所を教えろ。騒げば、この屋敷が血の海になる」
俺の脅しに青ざめ、メイドたちは震えて、誰も動けずにいた。
だが一人、年老いたメイドが、前にあゆみ出てきた。
「……あなた、ハーシーおぼっちゃまですか……?」
「気持ち悪い敬称をつけるな。聞いたことだけ話せ」
耳が遠いのだろうか。彼女はおれの言葉など意に介さず、そのまま話し続けた。
「まぁ……ご立派に成長なさいましたね。わたくし、あなたの乳母をしていたんですよ。
まあまあ、昔の公爵様にそっくりで……本当に男前でいらっしゃいますね。
あの時の赤ちゃんが……まあまあ、ご立派に成長なされて……わたくし、あなたの乳母をしていたんですよ」
「あの、メイド長は……話が二巡も三巡もするので、わたくしがご案内します……」
人質にとられているメイドが、どこか諦めたような声でそう言った。おれは、メイドたちに敵意がないことを悟って、短剣を引いた。
「ぼけているのに……なんでおれのことが分かった……?」
「昔のことはね、よく覚えていますよ。最近のことは、すぐ忘れてしまいますけどね、ホホホ。
奥様が、石像になってしまわれなかったら、今頃あなたは、公爵家をお継ぎになっていたでしょうに……」
「め、メイド長、それは言わない決まりなのでは……!」
おれは、老婆の肩を掴んで言った。
「それは……おれの母親の話か?」
「えぇ、えぇ……あなた様の命を守るために、奥様は聖女としての力を使い果たし、石像になってしまったのですよ」
「め、メイド長……!そんなにサラッと言っていいでんすか……!?」
おろおろしているメイドたちをよそに、その老婆はにこにこして、固まっているおれの手を握った。
「……でも、良かったですね。新しい聖女様がいらっしゃって。身代わりになってくださる方がいれば、きっと奥様は解放されますよ」




