32,大癇癪
扉が閉まった瞬間、わたしは腰が抜けたように、へなへなと床にしゃがみこんだ。
「ひよ!?」
「き……緊張したぁ……」
どっと疲れが来て、本を抱えてうずくまった私の前に、ハーシーが膝まづいてくれた。
「……結婚式みたいだったな」
「へ!?あっ……ちょっとだけ思いました……へへ……」
まさかハーシーが、そんなメルヘンなこと考えてくれているとは……実はわたしもだけど。
照れ笑いすると、彼は手を差し出してきた。
「今度、ここに来る時は……」
「ちょっといいかな」
その声がした瞬間、甘い雰囲気が一気にピリついた。
まるで敵が来たかのように、護衛士さんたちがわたしたちの周りを取り囲んだ。
服に色々な飾りをつけて、とてもゴージャスな身なりをしている……さっきの中年男性だ。
きっと、位が高い人なんだろう。
わたしは、なるべく失礼のないように立ち上がった。
「……」
ハーシーも立ち上がった。けれど、何も言わない……彼は、その男性から目を背けるようにしている。
「はじめまして、聖女様。
わたしは、リバティ公爵という者です」
「はじめまして。フィオです」
「わたしはね、王妃の父なのですよ。
あなたは、王妃と歳が近しく見えるから、まるで我が子の晴れ舞台のように見させていただきました」
「あ……そうなんですね。ありがとうございます……」
わたしが話している間、ハーシーは一切彼に目を向けない。公爵も、ハーシーを空気のように扱っていて……なにこの、重苦しい空気。
「あ、あの……先輩を……ほんとに、ハルマサを召喚されたんですか?」
「あぁ。だけど、聖女ではなかったからね……最初はガッカリしたものだよ。
でも、あなたの存在を知って確信した……これは、女神様に与えられた運命なのだと」
この人、すごい女神様信者なのかな……女神様が推しなのか。
推しから与えられた運命なら、従うしかないと思っちゃうよね。
「ハルマサは、わたしの養子として迎え入れることにした。そしてあなたを、ハルマサと結婚させて、公爵家に迎え入れたい」
「……は?」
わたしは思わず、耳を疑った。
え、この人……何言ってるのかな?
あの、わたしたちのスーパーイチャイチャラブラブヴァージンロードが、見えてなかったのかな……?
「えっと……それは……」
「公爵家に来れば、伯爵なんぞとはかけ離れた、贅沢な暮らしができるよ。
一生食うには困らない。あなたは聖女様なのだから、市政に身を沈めるのではなく、満たされた環境で生活を送るべきだ」
その瞬間、腹の底に怒りが湧いてきた。
でもわたしは、ぐっとこらえた。これでも昔は、言葉より手が先に出ていたんだけど。
言葉が上手になったわたしは、言葉でのやり返し方を知っている。
「その満たされた環境で、愛のない生活を送るなら、わたしは伯爵家にいたほうが幸せです」
そう言ってニッコリ笑うと、彼は表立って、不機嫌そうになった。
「……その男は、やめておきなさい。
あなたを幸せにはできない。なぜなら……かつてクラウス王に思いを寄せていた、同性愛者なのだから。彼は、この国中の者が知っている、恥さらしだ」
その言葉に、ハーシーは懐から小刀を出そうとした。わたしはバッとそれを止めて、公爵をにらみつけた。
「……それが本当だったとして、何が問題なんですか?」
わたしの言葉に、公爵は目を見開いた。
「わたしの世界でも、セクシュアルマイノリティの方はたくさんいます。人の人生はそれぞれなんですから、誰を好きになるかは自由だと思います」
「……だがね、貴族としてはそうもいかない。わたしたちは、子孫を残していかねばならないんだよ……長い間、家を守ってくれた先人たちのために。
あぁ、どこぞの家は……血の繋がりなんぞない、寄せ集めの家系だったな。
養父も子を作れなければ、その養子も男としての役割が果たせぬと、もっぱら貴族たちの笑いものだ。
まったく……よくもまあ、公衆の面前に出てこれたものだ。その顔を見せられるだけで、反吐が出ると言うのに」
護衛士さんたちから、ものすごい殺気を感じる。ハーシーは、震える手で小刀の柄を掴み……きっと、血が滲むくらい唇を噛み締めているだろう。
きっと、護衛士さんたちが手を出さないのは、ハーシーのため……そしてハーシーが手を出さないのは、護衛士館のみんなのため……。
今ここで反撃できるのは、余所者であるわたしだけだ。
「……あなた、王妃様の父だと言っていましたね」
わたしは、気持ちを落ち着かせようと、ゆっくり息をしながら言った。
「王妃様が言っていました……お兄様を、よろしくって。
公爵家は、アウルフォウルという宝石を扱える、この国唯一の家系なんですよね。でもなぜか、ハーシーにも……アウルフォウルを光らせることができていました。
……詳しいことは分かりませんが、ハーシーはもともと、あなたの子供だったんじゃないんですか?」
そっくりな背格好。
金髪碧眼に、まるで王子様のような容姿……それなのに限りない、自己肯定感の低さ。
この人に会って、わたしのなかで確信となった。
ハーシーは……このリバティ公爵に捨てられたんだ。
公爵は、鼻で笑うように言った。
「……そんな男、我が子とも思いたくはありませんよ」
「えぇ、思ってくださらなくて結構です。
わたしだって、あなたの子になりたくはありません。家系を守りたいとか言って、けっきょく家族を大切にしてないし。
どこぞのオツムの緩い馬の骨を養子にしたいだなんて、本気で言ってるんですか?
あんな節操なしを子供にしたら、毎日色んな令嬢に手を出して、謝りに行かないといけませんよ。他人の子のために、あなたは頭を下げられるんですか?
そもそも、さんざんボロクソに言ってくれましたけど、ハーシーは護衛士館を守るために日々頑張っているからこそ、みんなに慕われているですよ。
男が好きだからとか、そんな理由でヘイトするのは勝手ですけど、もうちょっと人間性を見抜けるようになったほうがいいんじゃないですか?
あなた、人の上に立つ人ですよね?どこぞの護衛士団長のほうがよっぽど、たくさんの命を救って国の人の役に立って立派な人ですよ。
あなたがいらなくても、こっちは必要なんですよ。そんなにセクマイさんをヘイトして生きづらい世の中にするなら、ハーシーも一緒にわたしの世界へ連れていきましょうか?
あぁでも、あなたのような考えの人は来ない方がいいと思いますよ。そっこう炎上しますから。
よかったですね、この世界にSNSがなくて。今の録音されて全世界に配信されてたら、社会的地位なんてそっこうで消し飛びますから、本当に気をつけられた方がいいと思いますよ」
「ひ、ひよ……もういい……」
ハーシーがわたしの腕を掴んできたけど、わたしは怒りの頂点に達しているあまり、それを突っぱねた。
「あと、最後だけ言わせてください……わたしも孤児なんですよ。
でも、あなたの子どもじゃなくて心底良かったです。血の繋がりのない、寄せ集めの家族でも、みんなで支え合ってこれたから、今のわたしがあるんです。
自分の子どもを……そんな風に、言う人なんか……人の親になる資格なんてありません!!」
わたしは大声で泣き叫んで、思わず王妃様からもらった本を床に投げつけた。
それを見かねて、ハーシーがわたしを抱き上げ、その場を離れてくれた。
投げつけてしまった本を急いで拾い、護衛士さんたちもあとをついてきている。
「はなして……もっと、もっと言ってやらないと、気が済まないんです……!!」
「……もう、充分だよ。ありがとう」
そう言ったハーシーの声はかすれて、泣いているようだった。
後ろをついてきている護衛士さんたちも、鼻水を垂らして泣いている……。
わたしはハーシーの首にしがみついて、涙も、鼻水も、その白いタキシードにこすりつけて泣いた。




