26.感情のままに
わたしはとっさに、デイヴィスの手に触れた。
「大丈夫ですか!?」
わたしが変なこと言ったせいで……わたしのせいだ。また、わたしに傷を移せれば……!
だけど、彼は戸惑ったように、さっと手を引いた。
「……このくらい、なんてことない」
「でも……手当しましょう!」
「自分でできるから、大丈夫だ」
そう言って彼は、ポケットに入れていた手ぬぐいを、ぐるぐると指に巻きつけ始めた。
深く切ってしまったのだろう。けっこうたくさんの血が出ていて、白い手ぬぐいはすぐ真っ赤になった。
「すみません……変な質問をしてしまって」
「……この護衛士館にいるものはみな、ハーシーが、あんたのことを気に入ってると思ってる」
その言葉に、わたしは目を見開いた。
「あいつはこれまで、女遊びしているところを見たことがないし、たいして女性にも興味がないようだ。
興味がないから、上辺だけニコニコして対応すれば済むと思っているのも、難があったが……」
デイヴィスは、手を上にあげ、止血しながら続けた。
「あなたに対してのような態度は、これまで見たことがない。あれは、なにかあいつの中で、葛藤があるんだろう。
だから、見捨てずに……もう少し、あいつに寄り添ってあげてくれないか」
なんて優しいんだろう、とわたしは思った。
でもわたしは、苦笑いして言った。
「……納得できません」
わたしは、デイヴィスの血が滲んでいるほうの手をつかんで、傷口に手をかざした。すると、まぶしい光とともに、自分の手に傷がうつってくるのを感じた。
「な……なにをしたんだ……!!」
自分の手に現れた傷から、ボタボタと血が滴る。
じんじんと痛む手を力強く握って止血しながら、わたしは言った。
「……わたしだったら、こんな風に、気に入ってる人には優しくします。わたしのせいでついた傷で、痛みを感じて欲しくないし、いくらでもわたしが肩代わりできます。
ハーシーが、わたしに対してどんな感情を持っているのか、想像もつかないけど……わたしだって、冷たくされたくない……!わたしにだけ冷えた瞳を向けるたびに……胸に何かが、突き刺さってくるんです」
デイヴィスは、初めて見る光景にうろたえながら、「どうして傷が……これが聖女の力なのか!」と、青ざめながら叫んだ。
王様が字を読めるようにしてくれたおかげで、聖典が読めるようになった。
治癒魔法で、早く治したいのに……心の中で呪文を唱えても、なぜか発動しない。
どうして……傷を移すことは自然とできるのに、魔法は使えないの?
その瞬間、わたしの手を、後ろから誰かの手が掴んできた。その瞬間、耳元で、わたしが言ったのと同じ呪文が聞こえると、体全体が光に包み込まれた。
まるで、魔力を補填されたような……もともと二人でしか発動しなかったかのように、治癒魔法がうまく働いて、みるみる傷が治っていった。
「……自分の体を、大事にしろ」
その声はハーシーだった。
わたしは彼の顔を見なかった。
「……離してください」
うつむいたままそう言うと、彼は逆に、手に力を入れてきた。
「おい……そんなに握ったら、痕がつくぞ」
ハーシーの腕を、デイヴィスが掴んでやめさせてくれた。わたしは彼に目を向けないまま、涙を止められなかった。
「……そうやって、助けてくれたと思ったら、冷たくしてきたり……いい加減にしてください。
嫌いなら嫌いで、突き放してもらって結構です。そういう中途半端なことをされるのが、1番傷つくんです!」
わたしの言葉を、ハーシーはじっと聞いていた。怒りが頂点にまでのぼって、溢れる感情のままに、言葉を吐き捨てるように言った。
「何がしたいのか知らないけど、勝手にベッドに連れ込むのも、もうやめてください!!知らないうちに横で寝られてて怖いし、気持ち悪いんです!!
みんなにも誤解されるし、不愉快です!!」
そこまで言い切って、わたしは音を立てて息を吸った。わたしが落ち着くまで、デイヴィスもハーシーも、口を開かなかった。
しばらく経って、ハーシーが重たそうな口を開いた。
「……これから、明日の聖女お披露目の護衛会議をする。デイヴィスにも出てもらうから、あなたも館の中に入っていてくれ」
その言葉を無視して、わたしはまた、木をやすりで削り始めた。
その場を離れる訳にもいかないハーシーは「すまないが、みんなをここに呼んできてくれ」とディヴィスに言った。
護衛士さんたちが、わたしのそばに輪を作り、会議を始めた。
わたしは彼らに背を向けて、無心で木を削り続けていた。
当日の流れと、護衛士さんの配置。有事があった際、それぞれの役割をてきぱきと話しているハーシーは、これまで見た中で、もっとも団長らしかった。
……わたしも、あんな風に仕事を頑張ってたなぁ。たくさん仕事を任せてもらっていたのに……それを日々こなすことが、わたしの存在意義だと思っていたのに。
社畜だったわたしから仕事を奪われたら、こんなにも空回りしてしまうんだと、初めて知った。
仕事では、嫌なことがあっても、ニコニコして穏やかに心がけていたのに……ここにきたら、心の試練ばっかりだ。
やがて日が落ちて、あたりが暗くなってきた。わたしがここにいたら、困らせるのを分かっていたけど……護衛士さんたちの会議が終わっても、わたしは駄々をこねる子供のように、頑として動かなかった。
「……ひよ、帰ろう」
「いやです。おひとりでお帰りください」
「……」
振り返ると、いつの間にかハーシーだけになっていた。彼は地べたに座り、わたしの背を見つめてぼうっとしていた。
「……わたしの話、ちゃんと聞いてましたか?この作業が終わるまで、ここから動きませんけど」
「……ここは冷える。せめて、館の中に入ってくれ……あなたの体が、心配なんだ」
そう言われ、わたしは渋々立ち上がった。
工具と掘り掛けの木を持ち、何も言わずにわたしは館の中へ入った。




