2.護衛士
びしゃびしゃになった服を、一刻も早く脱ぎたい。
きっと彼も同じだろう。わたしを助けるために、川に飛び込んでくれたのだ。
「あの、良かったらうちに来てください……シャワー、お貸しします」
「……シャワー?」
金髪碧眼、2次元フェイスのハーシーが、いぶかしげな顔をした。顔が整ってる人は、どんな顔をしても美しいんだな。
「はい。着替えも……この時間はもうお店開いてないと思うので、今日はうちに泊まってもらって、明日弁償します!」
「いや……大丈夫だ。着替えなら、いくらでもあるから。
あなたは、どこに住んでいるんだ?」
「えっと、ここから1駅分くらい歩いたところです。びしょ濡れなので、歩いて帰らないといけないですが……」
「ひとえき……? あなたは、違う世界から来たのか?」
そう言われて、わたしはびっくりして「そんなわけないじゃないですか!」と笑いながら、辺りを見渡した。
塗装されたアスファルト、張り巡らされた電柱、立ち並ぶ住宅街……それらがあるはずなのに、あれ?
周りには、そういった現代的なものはひとつもなく、ただ静かに闇をたたえた森が広がっている。
「えっと、ここは……」
「アウル国首都、ソロンの郊外の森だ」
「あ、あうる……そろん……あの、ちなみに日本て、ここからどれくらいでしょうか……?」
「にほん……?」
ハーシーはまた、いぶかしげな顔をした。
ここはどうやら、日本ではないらしい……アウル国というのも、今まで聞いたことない。
わたし、どうして日本じゃないところにいるの……!?
「そういえば、あの魔法陣……!!」
わたしの呟きに、ハーシーは「魔法陣?」と繰り返した。
「はい、わたしが酔っ払って、足を踏み外して落ちる前に、魔法陣を見たんです。
てっきり、酔ってるせいで幻覚を見たんだと思ったけど……今は、あれのせいとしか考えられなくて……」
「魔法陣ということは……あなたは、召喚されてこの国に来たということか?」
「しょうかん……」
わたしは首をひねった。召喚て、なんかこう、呪文を唱えたりとか、特別な儀式をするものなんじゃないのかな……?
あの青い魔法陣は、急にわたしの足元に現れた。
わたしは召喚された側だからか、まったく何の違和感もなく、この国に来てしまった。
「あの……わたしの他に、誰かいませんでしたか?」
「いや、あなたしか見ていない 」
そう答えたハーシーは、これ以上話していてもらちがあかないと思ったのだろう。
崖の上から垂れ下がっているロープを握り、グンと引っ張って強度を確かめた。
「とりあえず、行くところがないなら、うちに来ればいいい。本当に召喚されたのかを確かめるために、明日王宮に行こう」
「はい、分かりました……あの、このロープで、どうやって登るんですか……?」
「もちろん、引っ張りながら、足で壁をつたうんだ」
「あっ……ですよね……」
このタイプの遊具は、よく公園にあって子供の頃に遊んでいた。でも、お子様向けの遊具とは断然レベルが違う……高さがあって、もし足を踏み外せば、すぐ天国に行くだろう。
「が、がんばります……死なないように……」
「そうだな。さっさと行ってくれ。こっちは仕事終わりで疲れてるから、早く帰りたいんだ」
彼のその言葉に、あぁその気持ち、よく分かる……とうなずいた。
「一緒ですね。わたしも今日、怒濤の5連勤を終えて、ヤケ酒飲んで帰ろうとしていたところなんです。お疲れなのに、人助けもさせてしまって……すみませんでした」
「……あなたも、仕事をしているのか」
ハーシーの問いかけに、わたしはロープを引っ張りながら答えた。
「もちろんですよ!働かないと、生きていけませんからね!
それに、お金に余裕がないと、満足に推し活できないので!!」
「おしかつ……?」
わたしはよっと声を漏らし、足で壁をつたって、上に上がっていった。
ハーシーがぼそっと「上手だな……」とつぶやく声が聞こえて、何だか嬉しかった。ありがとう、遊具を作ってくれた人。
あなたのおかげで今、わたし崖を登れています……!
わたしのあとにつづいて、ハーシーも上がってきた。わたしたちが地面に辿り着くと、ほーう、ほーうと鳴く、フクロウの声が聞こえてきた。
その木の下で、静かに馬が佇んでいた。
「ここからは、馬で行く。馬には乗れるか?」
「いえ、生まれてこの方……乗ったことはございません……!」
すると彼は、テキパキと「ここを持つ、ここに足を乗せる、乗る」と、手順を教えてくれた。
端的に、必要なことだけを伝える彼を見て、いい上司っぽいなぁと思った。
わたしが乗った馬鞍の後ろに、彼は身軽に乗ってきた。
そして器用に手綱や足をつかいながら、馬を操作して、どこかへと向かい始めた。
「……あの、ハーシーさん」
「ハーシーでいい」
「あ、はい……今から、ハーシーの家に帰るんですか?」
「まあ……正式には、護衛士館に帰る。おれは、護衛士だからな」
「護衛士?それって、どんなお仕事なんですか?」
「……自分の体を盾にして、他人を守る仕事だ」
その声は、少し暗くて、陰りを落としているように思えた。






