18.厨房
デイヴィスは、井戸の使い方と、洗濯物の洗い方を教えてくれた。
「それじゃあ、おれは戻ります。
何かあれば、声をかけてください」
そう言って戻ろうとしたデイヴィスを、わたしは引き止めるように言った。
「あの……どうして、ハーシーに休んでいいと言われたのに、休まないんですか?」
その言葉に、彼は振り向いた。
「ここが、おれの家なので。やりたいことをやってるだけです」
にこやかにそう言って、立ち去ろうとした彼を、わたしは腕を引っ張って止めた。
「だめです!ちゃんと休んでください。
子供たちの面倒は、わたしが見ます」
大悟も、同じことを言っていた。
わたしたち孤児のために、その身を粉にして働いてくれていた。
それが祟って……ある日、倒れてしまった。
あの人は、大悟と結婚することで、彼をわたしたちから遠ざけた。
人はいつか……無理をすると壊れてしまう。その時、はじめて知ったんだ。
どんなに優しい人でも……甘えすぎてはいけないと。
わたしの真剣な顔に、デイヴィスはふっと笑った。
「……そうですか。じゃあ、洗濯物が終わったら教えてください」
「はい、分かりました!」
わたしはシーツを洗濯してよくしぼると、木と木をつなぐように張られているロープに、シーツをかけた。
風がそよいでいるし、天気もいい。夕方には乾くだろう。
わたしは井戸の水をくむと、ひとすくい喉を潤してから、調理場に入った。
「終わりました!!」
わたしの声に、子供たちがみんな振り向いた。もうずいぶん工程は進んで、美味しそうなものを煮込んでいる匂いがする。
「お疲れ様。もうほとんど、料理はできてる。あと完成したら、盛りつけて、配膳するだけだ」
「分かりました!あとは、子供たちに聞いてやります!」
「あぁ……じゃあ、任せた」
そう言って、デイヴィスは食堂を通り、どこかへ行ってしまった。
「フィオです。みんな、よろしくね。分からないことだらけだけど、頑張ります」
そう言うと、子どもたちは顔を見合せた。
「じゃああとは、フィオがやってよ」
「ぼくたちも疲れたから、休んでいい?」
その言葉に、わたしは戸惑った。
「いや、えっと……教えてもらわないと……」
「ありがとね!」
彼らは人の話も聞かず、厨房から飛び出して行ってしまった。まだ竈の火は燃え続けており、煮立ったままの鍋や、よそいかけの料理が残っている。
「洗礼ってことね……」
わたしは腕をまくった。
頭のどこかで、カチッと仕事モードが入る。
フルタイム9時間拘束、残業あり、限界OL。
社蓄時代に鍛えられたわたしの根性が、今発揮されるーー。
「フィオちゃん、1人!?
えっ、ほかの子達は!?」
お昼の時間になり、食堂に昼食を取りに来たアパトさんが、目を丸くした。
「えっと、どこかへ行ってしまって……」
「それ、団長にバレたらやばいよ!?
仕事を投げ出したら、地獄の折檻が……」
その声を聞いて、割り込んできたのは……ハーシーだった。彼はすでに、怒ったような表情だった。
「何をしてる」
「厨房を手伝ってます」
「他の子は?」
「……あの、怒らないであげてください!
わたしが、手伝いたいと思ったんです!」
「あんたの仕事は、団長室の仕事だ。
それもやりかけで、他の仕事を手伝うだと?」
確かに、正論だ……。
「掃除は、手が空いてしようと思って……」と言うのも、言い訳に過ぎない。
「……アビー。もともとの係のやつらを連れ戻してこい」
「分かりました」
彼の後ろには、同じ護衛士のかっこうをした、女の子が立っていた。彼女は思ったよりも背が高く、もう10歳は超えているようだ。
「あんた一人で、できると思ったのか?
50人近くの護衛士が、一気に食べに来るんだ。しかも、この後仕事に行く者もいる。遅れたらどう責任を取るつもりだ。
偽善者ぶるのも大概にしてくれ」
そう言われて、少なからずへこんでしまうのは、私だけではないだろう。
ここで泣くのは、たやすいことだ。
でもわたしには、社蓄時代に鍛えられたメンタルがある。
「はい、すみません!!1人ではできないので、手伝ってください!!」
その言葉に、近くで聞いてたアパトが、吹き出すように笑った。
ハーシーの口も、少し揺れた気がした。
「……分かった」
するとハーシーは、護衛士服を脱ぎ、その辺のテーブルに置いた。
周りの護衛士さんたちが、ザワついた……普段は滅多に、こんなことはしないのだろう。
だって、ご貴族様だし……ジギス伯爵家では、かしずかれていたのに。
ハーシーは厨房に立ち、わたしに「皿持ってこい!」と指示を送ってくれた。
するとアパトさんや、他の護衛士さんたちも「お昼から空いてるから手伝うよ」と言って、厨房に入ってきてくれた。
女の子が連れて戻ってきた子どもたちは、その光景をみて、唖然としていた。
大人の護衛士さんたちが、ご飯を装い、1人ずつ並んでとりにきた護衛士さんたちに渡している。
アパトさんは「いやー、見習い時代を思い出すな〜」と言いながら、楽しんで手伝ってくれていた。
わたしも、カレーのようなドロっとしたスープを器に盛って「お次の方どうぞー!」と声を上げた。
「お前ら……あとで分かってるな?」
ハーシーが、子供たちを睨みつけた時、わたしは「待ってください!」と言った。
「子どもたちの面倒を見ると言ったのは、わたしです!来たばかりの新参者が舐められるのは当たり前です!
罰なら、わたしが受けます!」
ハーシーは、イラついたような目でわたしを見た。
「そういうことを言うから、示しがつかないんだ」
「頭ごなしに怒っても、示しはつきません!
子供たちは、本当に疲れていたんだと思います!
……ちょっとの間でも、休めたよね?
みなさん、手伝ってくれてありがとうございました!」
わたしは小声で子どもたちに「ほら、早く戻って!!怒られる前に!!」と言った。
子どもたちはヘラヘラしながら、護衛士さんたちからお皿を受け取って、厨房に戻ってくれた。
「……罰は、あとで言い渡す。
片付けまでちゃんとやってから、団長室にこい」
ハーシーの言葉に、わたしは「はい……」と返事をした。