16.朝礼
やっと寝支度が終わって、メリッサも自分の部屋に帰り、わたしは1人になれた。
客室のベッドは広くて、寝心地もいい。
今日は色んなことがありすぎて……疲れちゃった。
そういえば、頭頂部のヒリヒリした痛み……何だったんだろう。
どこかにぶつけたわけでもないし……そう思いながら触ると、少し、たんこぶのようなものができていた。
あぁ、これが痛かったんだ……いつの間にできたんだろう。もしかしたら、ソファで寝てるときに、寝ぼけて落ちたのかもしれない。だから昨日は、ハーシーがベッドに運んでくれてたのかな……きっとそうだ。
今日はもう、ちゃんとしたベットで寝てるから、そんなことはないはず……。
わたしは掛け物の中に顔を沈めて、目をつぶった。
ゴーンと響く鐘の音で、目が覚めた。
もう朝だ……もうちょっと寝ていたかったなぁ。
携帯は……あ、そっか。元の世界で落としてしまって……もう持ってないんだ。
今日もわたしは、異世界にいる。やっぱり夢ではないらしい。
「……え?」
起き上がろうとした時、違和感があった。わたしの後ろに、ないはずの温もりがある。
後ろから、わたしを抱きしめるように伸びる筋肉質な腕、大きな手。
確か昨日、一人で寝たはず……客間に、誰かが忍び込んできたの!?
心臓をバクバクさせながら、後ろを振り向くと……なぜかそこには、ハーシーがいた。
「えっ……えーーーーっ!!」
わたしの驚いた声に、青い瞳がパッと開いた。彼は起き上がると「なんだ!?」と辺りをキョロキョロした。
彼の肌を見ないように、わたしは目を覆いながら言った。
「な、なんでここにいるんですか……!!」
「……そっちこそ。ここはおれの部屋だ」
わたしはパッと手を離し、辺りを見回した。
あれ……確かに、間取りが違う。
客間の煌びやかさと違い、ハーシーの部屋は質素で、飾り気のない家具ばかりだった。
「ど、どうして……いつの間にわたし、連れてこられたんですか!?」
この移動はおかしい……わたしはハーシーの部屋までの行き方を知らないし、もし運ばれていたとしても、さすがに気づくはずだ。
「おれが連れてきたんじゃない。あんたが勝手に来たんだろう」
「えっ、そんな、人聞きの悪い……わたし、ハーシーの部屋の場所知りませんでした!!」
「あぁ、そうか……じゃあ、なんでだろうな」
その口ぶりは、なにか心当たりがありそうで……とぼけているように聞こえた。
「もう……また言われるじゃないですか!
同衾したのかって!!
いやしてるし!!故意じゃないにせよ、しちゃってます!!どうするんですか!!」
「朝から元気だな……落ち着けよ」
ハーシーは耳を塞がながら、ベッドから起き上がった。
「とりあえず、遅刻する。急いで支度するぞ」
ハーシーの部屋から出てきたわたしを見て、使用人さんは案の定、目をかっ開いてガン見してきた。
わたしは心の中で(違います、何かの間違いなんです!!)と否定しながら、急いで用意された服に着替えた。
まだ仕立て屋さんからの服は届いていないみたいで、今日は使用人の女性が着る、黒い給仕服を着ることになった。
今日は、掃除する気まんまんだ。とにかく掃除する。この恥ずかしさを紛らわせるために……身を粉にして働く。
わたしはメリッサにお願いをして、髪をお団子にまとめてもらった。なんだか、ジギス伯爵家の使用人さんの、仲間入りをしたみたいだ。
準備ができると、また食堂で朝ごはんを食べ、急いで馬に乗った。
「すぐそこなのに、馬に乗るんですか?」
「あんた、歩くの遅いだろ」
「遅くないです!なんなら毎日、駅まで走ってました!」
わたしは、朝の一件で、ぷんぷんしている。
絶対、裏で何か言われる……同衾した噂をばらまかれて、笑いものにされる。
どう考えてもあの状況は、わたしがハーシーの部屋に忍び込んだように見えてしまうから……どうして?
もしかして明日の朝も、勝手に移動してる……?
わたしは泣きたいような、怒っているような、よく分からない感情を抱えながら、護衛士館の門をくぐった。
「遅れてすまない。みんな揃ってるか」
団長室には、すでにたくさんの護衛士さんたちが並んでいた。わたしはハーシーの隣には立たず、少し離れた壁際に立った。
その横に、先輩が並んできた。
先輩も、護衛士さんたちと同じ服を着ている。わたしは、周りに聞こえないくらいの声で囁いた。
「背中は、大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫。昨日ずっと寝てたら治ったよ」
「良かったです。護衛士服、似合ってますね」
「そう? ありがとう。ひよも可愛いよ」
わたしは平坦な声で「ありがとうございます」と受け流しながら、静かになった雰囲気を汲み取って、口を閉じた。
「今日初めての者もいると思う。
異世界から来た者を2人、王からの勅命で預かることになった。1週間ここで暮らしながら、働いてもらう。
まず、ハルマサだが……剣の腕はなかなかだ。
ここにいる間、護衛士の一員として働いてくれるか」
ハーシーの言葉に、わたしは小さく拍手した。ハーシーに決闘を挑み、1本とれたからこそ、任される仕事だ。
彼は得意げな顔で「体も鍛えられるし、望むところだよ」と勝ち気に言った。
「次に、ひよだが……おれの付き人兼、子どもたちの世話係もしてもらいたい」
「子どもたちって……どれくらいいるんですか?」
「10歳未満が5人、10歳以上が2人。内、女子が1人だ」
「女子……!?」
わたしは、驚きの声を上げた。
どう見ても、護衛士さんは男だらけ……そんな中、女の子が1人、ここに住んでるだなんて!!
「身寄りがないなら、伯爵家でお給仕すれば……」
「あれは女だが、同年代の男子より腕が立つ。本人も、ここで生きることを望んでいる」
わたしはつい、ハーシーに畳み掛けてしまった。
「そんなこと言ってても、女の子は、男の子と違います!初潮だって始まるかもしれない……そのしんどさを、分かってあげられるんですか!?」
「それは本人に言え。あいつが聞く耳を持つとは思えんがな」
吐き捨てるように言ったハーシーに、わたしは言葉を失った。これ以上なにも言うまいと、わたしは壁際に下がってうつむいた。
「……こちらからは以上だ。あとで、見習いたちの指南役はここに残ってくれ。
誰か、報告はあるか」
「はい。わたしから、一点」
その時、先輩がわたしの腕を、ちょんちょんと突いてきた。「顔を上げてごらん」と言われ、わたしは言われた通りにした。
すると……手を上げて、護衛士さんたちの前に出てきた人物を見て、わたしは息が止まりそうだった。
その人は、わたしの育ての親、今井大悟にそっくりだったのだ。