15.シーザー•ジギス伯爵
お風呂から上がると、客室の椅子に、ハーシーが腰掛けていた。
彼も疲れているみたいだ。うたた寝をしていたけど、わたしたちが部屋に戻ると、ふっと目を覚ました。
「すみません、これから髪を乾かさないといけなくて……」
「あぁ。それなら、おれがやってやる」
わたしは「えっ!?」と声を漏らして、びっくりした。そんなに甲斐甲斐しく、他人にお世話されたことなんてなかったから、いたせりつくせりなこの状況が、いたたまれない……。
「早く、こっちにこい」
わたしは、おずおずとハーシーの前に立つと、彼も立ち上がった。ほんのりいい匂いがして……ハーシーも湯上りなんだと分かった。
彼がわたしの濡れた髪に、そっと触れた瞬間……何かを唱えると、今度は彼の手から風が出てきた。
強い風で髪をあおられ、一気に乾いていく。
わたしの髪、長くて肩甲骨くらいまであるけど……ものの数十秒で乾いてしまった!すごすぎる!
「あ……ありがとうございます!」
でも強風すぎて、髪がわやくそに乱れていたらしい。ハーシーはふっと破顔して「櫛を貸してくれ」と言った。
さっき、洗われた時みたいに痛いかと思って身構えていたけど……思ったより優しく、髪に櫛を通してくれていた。本当に器用だなぁ。
そういえばハーシーは、昼間はちゃんと髪を横に流して、セットしている。でも今はお風呂上がりだから、なにもしていない無造作な感じだ。
かっこいい……推しの湯上り姿、ほんとに寿命が伸びる。神様ありがとう。
するとハーシーが、わたしの肩をもち、くるっと後ろに向かせた。
「……そんなに見てくるな」
「えっ……わたし、そんなに見てました!?ごめんなさい!!汗」
「はい、見ておりました。それはもう、いい雰囲気で」
少し離れたところにいる使用人さんが、口を開いた。わたしは、あまり感情を込めないその人の話し方が面白くて、つい笑ってしまった。
「……あんた、ライラに似てきたな」
「えぇ、娘ですので。
ちなみにわたしは、メリッサと申します。ひよ様がこちらにおられる間は、お世話するように仰せつかっております。ハーシー様から」
「余計なことを言うところまで似てきたな」
「あっ、よろしくお願いします、メリッサさん……!」
わたしがそう言うと、彼女はスカートをつまんで持ち上げ「こちらこそ、よろしくお願いします。聖女様」とお辞儀してくれた。
「わたしが召喚されてきたこと、話したんですか?」
ハーシーについて歩きながら、わたしは尋ねた。
寝間着姿なので靴は履かず、薄いバレエシューズのようなものを履いて、ペタペタと歩く音が廊下に響いている。
「あぁ……屋敷の者にはな。彼女たちは長年ここで勤めてくれているから、信頼している」
さすがにハーシーは、同じようなものを履いていても、ぺたぺたといってない……音を出さずに歩く姿は、まるで忍者みたいだと思った。
「そうなんですね……!ハーシーの周りに、信頼できる女性がいて、よかったです」
「おれを女性不信だと思ってるのか?
……まぁ、今までの人生で、あまり興味を抱いてこなかったが」
「男性がお好きなんですか?」
「……」
すごく嫌そうな顔で見てこられて、わたしはすかさず「冗談です、忘れてください」と付け足した。
今後、BL展開はなさそうだ……残念。
階段を昇っていき、ある部屋の前について、ハーシーは扉をノックした。
茶色い木の扉の向こうから「どうぞ」という声が聞こえた。
わたしたちは中に入ると、ソファで本を読んでいる、初老の男性がいた。
その人は本をテーブルに置き、また同じ方の手で、片眼鏡を外した。
わたしは、はっとした……立ち上がるときも、また同じ右手で支えにしている。左手は、まったく動いていない。
「片麻痺なんですか……?」
わたしが小声で尋ねると、ハーシーは「病気でな」と、静かに教えてくれた。元は金髪だったんだろうか。色がきれいに抜けていて、白髪の優しそうなおじいさんだった。
「わたしは、シーザー•ジギス伯爵。あなたが、息子が連れてきたというお嬢さんかね」
「はい!はじめまして、日向ひよと申します。えっと……」
「異世界から、召喚されてやってきたらしい。王の勅命で、しばらく預かることになった」
それを聞いて、ジギス伯爵は目を丸くした。
「ということは……選ばれし聖女様じゃないか。
誰が召喚したんだ、お前か?」
「違う。誰なのかは、知らん」
こうやって、きっぱり否定しているから……やっぱりハーシーが召喚者ではないらしい。
でも王様は、いちばん怪しいのはハーシーだと言っていた……確かに、あの場にいたのは彼だった。
もし召喚したのがハーシーなら……わたしは、その証拠を集めなくてはいけない。
でも、本当に彼ではないのかもしれない。
この一週間で、わたしは見つけ出せるのかな……。
「聖女を召喚した者、光の聖者となり、運命を共にし、人々を助けるであろう」
ジギス伯爵が、諳んじるように言った。
「聖女の伝説は、小さい頃から、物語のように聞かされていたが……まさか本当に、召喚に成功するとは」
「運命を共にし……ということは、聖女として召喚された人は……一生、この世界で暮らさないといけないんでしょうか」
わたしが尋ねると、ジギス伯爵は目を丸くした。
「この国で生きるのは、嫌かね?」
「嫌というほどではないんですが……やっぱり、生まれ育った世界に帰りたいです。
あちらで仕事もしていたし、借りている家もあるし、育ててくれた人も……何も言わずにお別れになってしまうとなると、悲しませてしまうから……」
「お前とは、反対のことを言ってるな」
伯爵は、ハーシーに目を向けた。
わたしが「どういうことですか?」と尋ねると、彼は教えてくれた。
「ハーシーは……他に団長になりたい者がいたら、すぐにでも護衛士を辞めたいと言っている。そしてここを出て、どこか遠くに行きたいと」
「余計なことを言わないでくれ」
ハーシーの怒った表情に、わたしは本当のことなんだと悟った。
「いいじゃないか。他の護衛士には、秘密にしておいてくれ。
わたしが病気で倒れたばかりに……お前をつなぎ止め、団長という地位に縛りつけてしまっている。
本当に、申し訳ないと思っているよ」
「もう、その話はいい。早く寝てくれ」
ハーシーはわたしをおいて、部屋を出ていこうとしている。
わたしはとっさに「あの、ふつつか者ですが、よろしくお願いします……!」と頭を下げた。
ジギス伯爵はにこやかに、右手をひらひらして「また、話そう」と返事してくれた。