14.ジギス伯爵家
ハーシーの言う家とは、ジギス伯爵家のことだった。
そこは、護衛士館のすぐ近くにあるみたいだ。
護衛士館は、黒を基調とした洋館なのに対し、ジギス伯爵家は、白を基調とした、いかにも貴族が住んでいそうな大豪邸だった。
庭は何も植えられてなくて殺風景だけど、めちゃくちゃ広い。周りは木々に囲まれていて、他に建物はなく、静かなところだった。
日が暮れて、空が薄暗くなってきた。馬から降りたわたしたちは、お屋敷の明かりを背に、数人の使用人に出迎えられた。
「まぁ……」
声を漏らしたのは、中年の女性だった。
仕立て屋の店主さんよりは恰幅のいい、どこか頼りがいを感じる人だった。
「お嫁さんですか?」
「違う」
ハーシーは即答した。
でもたしかに、二人で良い馬に乗って帰ってきて……傍から見れば、そう見えてしまうのかもしれない。
わたしは照れながら、自己紹介した。
「はじめまして。わたし、日向ひよといいます。
事情があり、突然この国にやってきまして……行くあてがないので、しばらく泊めていただくことになって……」
「まぁ、そうだったのですね。わたしはここで働かせていただいております、ライラと申します。お客人が来られるのは久しぶりなので、驚いてしまって」
ライラさんは、にこにこしながらハーシーを見た。
「しかも、こんなに可愛らしい……いつまででも泊まっていってほしいくらいです。ねぇ、ハーシー様?」
「1週間だけだ。その後はおそらく、王宮に行くことになる」
それを聞くと、ライラは残念そうな顔をした。
「あら……言ってくだされば、いつでも結婚式はできますからね。したくなったら、前日までに教えてください」
「義父はどこだ」
ハーシー、ライラさんの冗談を丸っきり無視していて、わたしは苦笑いした。
「シーザー様は、もう夕食をとられて、部屋でお休みになっておられます」
「そうか。起きていたら、教えてくれ。
寝ていたら、挨拶はまた明日にしよう」
ライラは「かしこまりました」と言って、わたしたちを中に入れてくれた。
入ってすぐに、パーティでもできそうなくらいの広間があり、その奥に2階へと続く大階段がある。
おとぎ話で、よく見るような間取り……ハーシーって、本当にご貴族様だったんだなぁ。
今さらになって、その実感が湧いてきた。
大きなテーブルに、2人分の食事。食器は、ナイフとフォークだ。
細かいルールは分からないけど……とりあえず問題なく使えそうで、安心した。
お昼の時間は、まったくお腹がすいてなくて、パンをもらえたけど辞退した。緊張とかストレスがあると、すぐ食欲がなくなるんだよね……。
でも目の前にある、レストランのワンプレートのような料理を見て、お腹がぐぅっと鳴った。
お野菜もあるし、お肉もあるし、グラタンもあるし、パンもあるし、スープもある……!
「いただきます……!」
わたしはつい癖で、手を合わせた。
そしてすかさず、ナイフとフォークを持ち、お肉へとまっしぐらに向かった。
「ほいひい(美味しい)……」
わたしはほっぺに手を当てて、ステーキのお肉を味わった。ソースは、デミグラスっぽい……味つけも好みで、本当に美味しい。良かった、食文化が日本と似ていて……!!
とろけているわたしを横目に、ハーシーは黙々と料理を食べている。
「ハーシー、食べ方綺麗ですね。所作も綺麗だし……さすがです」
わたしが褒めると、彼は少しだけ、はにかんだ。家だからだろうか……心なしか、顔も穏やかだ。
「護衛士は専属で、貴族の付き添いをすることもある。その時のために、一通りのマナーは叩き込まれている」
「そうなんですね!」
最初の頃は、ちょっと意地悪だったけど……こうして普通に話してくれるようになって、嬉しいな。
「明日から、おれは仕事がある。その間、この家にいてもいいし、護衛士館のほうについてきてもいい」
「あ……じゃあ、護衛士館の方に行きます。先輩もいるし……わたし、やりたいことがいっぱいあるんです」
「やりたいこと?」
「えっと……団長室の、掃除とか……!」
そう言うと彼は「あぁ、頼む」と言ってくれた。
わたしはワンプレートをたいらげ、スープも飲み干して、使用人に「ご馳走様でした!」と伝えた。
本当に、突然お邪魔したのに、わたしのぶんまで用意してくれて……感謝すぎる。
さらに、夕飯をいただいている間に、使用人のみなさんが急いで、客室を整えてくれたらしい。
わたしはしっかりお礼を伝えながら、客室を借りた。
若い使用人さんの案内についていくと、客室の中には浴室もあって、トイレもあって、現代のホテルみたいだった。
「湯を張っておりますので、どうぞ冷めないうちに、お入りください」
その言葉を聞いて、わたしは大歓喜だった。
お風呂に入れる……!!温かいお風呂!!
わたしはすぐさま服を脱ぎ、浴槽に体を沈めた。
あぁ、疲れが取れていく……お湯の温かさが身に染みて、心がほぐれていくようだ。
「ひよ様、こちらに着替えを置いておきます。よければお身体を洗わせていただきますので、お声かけください」
ドアの外から声をかけられて「あっ、ありがとうございます!」と返事をした。
そうか、使用人さんがお世話してくれるんだ……いつもは長風呂だけど、早く上がらなきゃ。
たとえ同性でも、人に洗ってもらうのは恥ずかしいけど……シャンプーもボディーソープも見当たらないから、どうやって洗ったらいいか分からない。
わたしが声をかけると、若い使用人さんが濡れてもいい薄着になって、色々な道具を持って入ってきた。
「まずは、髪から洗わせていただきます」
「はい、よろしくおねがいします…!!」
シャンプーも、元の世界と同じようだった。目を瞑ると、ガシガシされるたびに、泡がもこもこと立っていくのを感じた。
あれ……おかしいな。なんか、頭がヒリヒリする。シャンプーが髪に合わないのかな……。
「すみません……もう少し、優しめでお願いできますか……」
「あっ……力が強かったですね!大変申し訳ございませんでした!」
「いえ……!!ちょっと、ヒリヒリするくらいなので大丈夫です!」
「まぁ、すぐに洗い流しますね」
彼女がお湯をくんできている間に、外から呼びかけられた。
「今話せるか」
ドアの外から、ハーシーの声が聞こえた。
使用人さんは「少々お待ちください」と言って、泡をさきに洗い流してくれた。
「はい、何でしょうか?」
「風呂から上がったらでいい、義父が挨拶したいと言っている。上がって準備ができたら、教えてくれ」
「はい、分かりました!」
まだまだ、今日は終わらないみたい……わたしはすでに襲ってきている睡魔に抗いながら、なされるがままに体を洗われていた。
ハーシー、湯上りガウンが似合いそうです。