1.わたし、召喚される
今週の仕事も、めちゃくちゃ忙しかった。
休憩する暇もなく、お弁当をかきこんでパソコン作業。そうしないと、どんどん残業が長くなる。
少しでも早く帰って、癒やしを摂取したい……最近の生きがいは、漫画、アニメ、たまに小説。
空想の世界に浸る時間がないと、メンタルがやられてしまう。
退勤を押した瞬間から、わたしは一心不乱に帰路について、家に直行する日々を送っている。
でも今日は、一通のメッセージが来ていた。高校生の頃、同じ部活をしていた先輩からだ。
その先輩は、社会人になってそれぞれ働き始めてからも、何かと連絡をくれている……向こうから連絡が来たら、会うくらいだけど。
正直、その頃は、別に好きな人がいた。だから先輩からアプローチされても、全く心は動かず、冗談ぽく笑い話にしてしまっていた。
それは彼にも話していて、理解してくれている。恋愛相談にも、たくさん乗ってもらった。だから今は、友達のような関係で、やり取りは続いている。
正直、好きだった人には、失恋している。何年も告白できないまま、その人は他の人と結婚してしまったため、わたしの想いは自然消滅となった。
それからはもう、何年も恋をしていない。このまま一人で生きていくのかな……という焦りだけが、ぼんやりと心の真ん中に居座っている。
自分から動かないと、出会いがないことは分かっている。
一度、マッチングアプリというものを登録してみたけれど、なかなか良いなと思う人にも巡り会えず、ダラダラと続くやりとりに飽きてやめてしまった。
結婚願望がないと言ったら、嘘になるけど……どうしても惹かれるのは、二次元のイケメンたち。
それも最近の推しは、金髪碧眼の騎士様。声が良くて、ガタイが良くて、顔がイケメンで……そんな理想の姿ばかり追いかけていたら、現実で恋人ができるわけもない。
それに自分も、仕事ばかりで、全然自分磨きできていないし……長い髪をひとつに束ね、よれよれのスーツに薄化粧。
ロマンスが始まる予感さえできない。
明日はお休みだし……充分、2次元に浸る時間がある。今日はなんだか、まだアドレナリンが出ているのか、活動したい気分だ。
……よし、今日は飲みに行こう。
わたしは携帯を取り出し、先輩へメッセージを送った。すると、あちらもちょうど退勤したのだろうか。すぐに返信が帰ってきた。
『今どこ?』
『最寄りの駅です』
『了解。いつもの店で集合しよう』
わたしは、先輩の言う通り、いつもの居酒屋に向かった。
先輩がそこを指定してくるのは、きっとわたしの職場から近いからだ。彼は電車で来ないといけないけど、わたしがなるべく移動しなくても良いようにという気遣いだろう。
先輩からの好意に、気づいていないわけじゃない。だけど、なんというか……未だに、失恋したことも話せないでいる。
話したらすぐ、じゃあ付き合えるよね?という展開になりそうで……話がトントン拍子に進んでしまいそうな怖さがある。
先輩は、二重もバッチリ。社会人になってからパーマをかけて、自分に合ったスーツを着て、きっちりとした身だしなみができる人だ。
でもなぜか、恋愛感情が向かない。
金髪碧眼だったら、こっちから口説くのになぁ……いやいや、現実世界で、それを求めるのは間違っている。
わたしだって、男性が思い描く、理想の女性像とはほど遠いだろう。
オタクだし、枯れてるし……こんな地味女に、声をかけてくれる人がいるだけで、本当にありがたいと思わないといけないのかもしれない。
しかし妥協で付き合うことは、相手にとって失礼なんじゃないだろうか。でも先輩なら、「好きになってくれるまで待つよ」とか、気恥ずかしいセリフもさらっと言いそう……。
わたしはお店に入って席に着くと、連れが来ることを伝え、流れるように注文した。
お酒とおつまみが来ると、ぐびぐび飲んでしまった。居酒屋だけど、カクテルの種類もいっぱいあって、どれも美味しい。
甘いカクテルは度数も強いから、ほどほどにしないといけないけど……今日は、早く酔いたい気分だ。
「おいおい、もう飲んでるのかよ。
ちょっとくらい待てよ!」
先輩が来て、そう言いながら横に座ってきた。
「だって、今日は疲れたんです!
飲まなきゃやってられないですよ!」
「はいはい、お疲れ。大将、生ビールね。ほら、それ飲み干せ。新しいやつで乾杯しよう」
そう言われて、わたしはグラスを空けた。
新しいお酒がやってきて、わたしたちはコツンとグラスを合わせ、乾杯した。
彼は生ビールをあおり、ぷはーーっと息を吐いた。
「……んで、最近はどうよ」
「どうもこうも、硬直状態です」
「はぁ!?お前、いつになったら告白すんの?」
「一生できません」
「なんだよそれ、告白する気ないのかよ」
「だって、先輩も知ってるでしょう?10以上も年上の人ですよ?もう、望みはないんです」
そう。わたしが片思いしていたのは、かなり歳が離れた男性だ。
その人は、わたしが施設暮らしのころ、施設の職員をしていた人だ。
わたしにとって施設は家、職員さんは家族も同然だった。だけどわたしは、その人にずっと恋をしていた。
「お前、どんだけ重いの?もう何年片思いしてんだよ」
「えっと、小学生の頃に出会って……中学生の頃には好きになっていたから、もう10年近くですかね」
「は、やば!そろそろ飽きないの?」
「うーん……わたし、人を好きになると、もうその人しか目に入らなくなって。でもさすがに、10年は重たすぎますよね」
わたしは苦笑いした。その人はもう、結婚してしまっているけど……今でも失恋を引きずっているのは、本当のことだ。
他の人は、もっと早く切り替えられるのだろうか。失恋したら、さっさと忘れるために、次の恋を探すのが普通なのかもしれない。
「……まぁ、重いのは良いことだと、おれは思うけどな。そういう奴に愛されてみたいって、ちょっと思うし……」
わたしはその言葉に、世界が遠くなった気がした。意識が体から離れていって、お店を出て、空を飛んで、時空を飛んで、宇宙にたどり着いた。
やっぱり先輩は、わたしに好意を持ってくれている……もう、言っちゃおうかな。失恋したって。
でも、どうやって切り出せばいいか分からない……わたしは気恥しさを隠すように、またお酒をぐびぐび飲んでしまった。
大将におかわりをお願いしたけど、わたしの顔が真っ赤になっているのを見かねてか、お冷を出してくれた。
「もう今日は、この辺でやめとこう。帰れなくなっても困るしな」
「は……はい」
わたしたちはお勘定をすると、居酒屋を出て、駅に向かった。
なんとか普通に歩けているけど、視界がぐらぐらだ。ちょっと歩いただけで、息がきれてきた。
「大丈夫か?そっち、ガードレールないぞ。もっとこっちに寄れよ」
「は、はい……ありがとうございます……」
わたしは、彼に肩を抱かれ、頭がいっぱいいっぱいだった。
どうしよう……このまま、お持ち帰りされるのもアリかな……。
そう思った瞬間、足元が明るくなったと思うと、わたしたちの立つ地面に、青くて大きな魔法陣のようなものが現れた。
「なにこれ……」
「ん?どうした?」
あぁ、先輩には見えないんだ……さっき、天の川を泳いだから……これも、お酒のせいかな?
するとわたしは、道の穴ぼこに気づくことができず、足を踏み外した。
「あぶない!」
体が、崖へ落ちていく。
先輩が、必死にこちらを見て叫んでいる。
あ、一緒に飛び込んではくれないのね……。
他人相手に、そこまで命はかけられないよね。当然だと思う。
でもちょっと、期待してしまっていた自分が恥ずかしい。
わたしのために命をかけてくれるような、運命の出会いなんて、あるはずがないんだから。
わたしは、もうすぐ訪れるであろう死を受け入れながら、ぎゅっと涙をためた目をつぶった。
「諦めるな、手を伸ばせ!」
誰かの怒号が聞こえて、わたしは思わず、言われた通りに手を伸ばした。
すると空中で落ちながら、手を引っ張られて、体をぎゅっと引き寄せられた。
その人は上に向かって何かを投げると、「舌を噛むな、息を止めろ!」と叫んだ。
その瞬間、川に落ちた感覚がした。だけど、全然痛くなかった……その人が、身を盾にして衝撃から守ってくれたんだ。
しかも、速い流れにも関わらず、その人はわたしを離さず、ロープを手繰り寄せていた。わたしたちは、ゆっくり岸辺へと近づいていく。
水から上がると、体がずっしりと重たく感じた。
なんとか酸素を体に取り込もうと、肩で息を吸った。
すると助けてくれた男性が、背なかをさすってくれた。
もしかして、先輩が助けてくれたの……?
わたしが顔を上げると、そこには、思ってもみなかった人物がいた。
先輩じゃない……日本人でもない。
月夜にきらめくような、金髪。
透き通る、湖のような碧眼。
すらっと背が高くて、引き締まっている筋肉。
そして綺麗な二次元フェイス……何この、アニメの世界から飛び出したような人は。
「あんた……この国の人間じゃないな」
あ、イケボだ……完璧すぎる……。
ついに、三次元で推しを見つけてしまった……。
一刻も早く、推しの名前を聞かなきゃ。
「あ、あの……お名前をお聞きしてもいいですか?」
「……ハーシー」
「ハーシー様……危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました!!」
わたしが土下座してお礼を言うと、彼は何も言わずに吹き出した。
「……そこまでお礼を言われたのは、生まれて初めてだ」
髪の毛から、水が滴っている。
彼の微笑んだ顔が、きらきらして見えた。
私の推しが……今日、三次元で爆誕しました。