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ゆらぎ

 僕の家から森の奥に向かって1時間半ほど歩いたところに、その雑貨屋はある。エミリオさんとミルトさん夫妻が営む小さなお店だ。僕が生まれる前からずっとここでお店を開いているらしい。

 扉を開けるとカランと軽やかに鈴が鳴る。

「こんにちは」

「あらリカちゃん、いらっしゃい」

 カウンターからミルトさんが笑顔で挨拶を返してくれる。

「今日は何にする?」

「えへへ、ちょっとね」

 僕は食器が並ぶ棚をのぞいた。マグをひとつ、深めのお皿と浅めのお皿をひとつずつ。お箸とスプーンとフォーク。どれもぬくもりが感じられる木製だ。

「これとこれと……小麦粉はあるかな?」

「ごめんね、小麦粉は今ないの。明日仕入れてくるつもりだったんだけれど」

 ミルトさんは眉をひそめて言った。

「そう、じゃあまた今度。今日はこれ、お願いします」

「いつもありがとう。こないだ野菜を分けてもらったから、半額にさせてもらうわね」

「いいの? ありがとう」

「ふふ。このお皿、彼氏の分でしょう?」

 ミルトさんが急に声のトーンを落として尋ねてきた。僕は頬が熱くなるのを感じてうつむく。

「か、彼氏って」

「近所じゅうの噂よ。リカちゃんに彼氏ができたって。それもあの偉大な魔術師ゴードン・ウィットロックさんのお孫さんだったって。今度連れてきなさいよ。

 あ! 明日! 仕入れ船に売りに出す野菜載せてくでしょ! 彼氏に手伝わせなさいよ! 

 それでそのまま街でデートなんてどう? リカちゃーん!」

 僕はいたたまれなくなって、挨拶もそこそこに雑貨屋を出た。

 そうか、明日はエミリオさんの仕入れの日。エミリオさんはいつも、仕入れのついでに僕の野菜を本土の街に卸してくれるのだ。

 キイ君に、手伝ってって言ってみようかな?

 デート……が目的じゃないけど!




 雑貨屋から帰ると、僕はさっそく買ってきたお皿たちを綺麗に拭いて、テーブルに並べた。新しいものってなんだかうきうきする。

 そろそろお昼が近いから、キイ君が現れるころだ。僕はお昼ご飯の調理にとりかかった。

 今朝焼いたパンの残りと、花サラダと、山菜ときのこのスープ。それらを買ってきたお皿に盛ると、なんだかそれだけでご馳走のように思えてきた。

「リーカちゃん」

 キイ君の声がした。見るとキッチンの窓から顔をのぞかせて、手を振っている。

「キイ君」

「こんにちは、なんだかご機嫌だね」

「こんにちは。ちょうどお昼ご飯だよ、入っておいで」

「ご馳走になります」

 おじいちゃんを呼んで、三人でテーブルにつく。キイ君が元気よく「いただきます!」と言って、新しい食器を使って食べ始めた。それを眺めて僕はうんうんと頷く。おじいちゃんが不思議そうにこっちを見ているけれど、まあいいか。説明しづらいし……。

「あ、そうだリカちゃん、明日なんだけどさ」

「えっ? あ、うん」

 キイ君に言われて、僕は先ほどのミルトさんとのやりとりを思い出し、ちょっと頬が熱くなるのを感じた。キイ君はにこにこして言った。

「エミリオさんの船で本土に行くんだって? 俺も荷運び手伝うからデートしようよ」

「えっ」

「えっ?」

 おじいちゃんが身を乗り出してきた。恥ずかしさで顔から火が出そうだ。

「いや、さっきそこでエミリオさんに会ってさ。街で用事足してる間遊んでくればって言うから」

「デートか。いいねリカ、行っておいで」

「ほら、おじいちゃんも公認!」

 僕はうつむいた。キイ君とはこうして毎日お昼ご飯を食べる仲になったというのに、どうしてこう恥ずかしいんだろう。

「……リカちゃん?」

 キイ君が僕の顔を覗き込んできた。心配そうなまなざし。ああ、不機嫌そうに見えちゃったのかな。返事をしないと。

「……うん、行くよ。よろしくね、キイ君」

 声がうわずってしまう。キイ君はにっこり笑って、僕に向かって親指を立ててみせた。

「任せとけ!」



 僕らが住むこの森の正式名称は、『久遠の森』。空から見るとふっくらした小鳥のように見えることから、『小鳥島』と呼ぶ人もいる。

 本土というのは、『フィレアリア王国』のこと。緑が豊富で、周りを海で囲まれた、数百年の歴史を持つ、大きな国だ。久遠の森はフィレアリア王国に属する領土だけれど、世界遺産に指定されている。森にはキイ君のおじいさんであるゴードンさんが作った結界が張り巡らされていて、エルフ以外は出入りできない仕組みになっているらしい。

 そのおかげで、戦争中もなんの悪影響もなく生活することができたのだ。



 空は晴れて、初夏の暑さを予感させていた。

 荷物をエミリオさんの船に積み、僕らも乗り込む。エミリオさんは上機嫌だった。船は問題なく本土に到着した。

「じゃあ、夕方まで自由時間だ。リカちゃん、楽しんできな」

「はい、行ってきます」

「キイ、……うまくやれよ」

「了解。ありがとうエミリオさん」

 船着き場も市場も、たくさんの人で賑わっていた。人がたくさんいるせいもあって、やはり少し気温が高く感じる。

「リカちゃん、魔伝盤は持ってきた?」

「え? 持ってきてないよ。今日はキイ君と一緒だし……」

 キイ君は僕の手をそっと掴んで、「そっか、じゃあ迷子にならないようにね」と悪戯っぽく言った。そうか、はぐれても魔伝盤があれば連絡を取りあうことができるわけだ。覚えておこう……。

「今日は暑いね。冷たいものが欲しいな」

 キイ君が襟元をぱたぱたさせながら言った。

「美味しいハーブティーを出してくれるお店知ってるよ。行く?」

「リカちゃんと一緒なら、どこへでも行くよ」

 にこにこ笑うキイ君を見て僕は急に気恥ずかしさを覚えた。繋いだ手からキイ君の『好き』の気持ちが伝わってくる気がする。僕の気持ちも伝わってしまうだろうか。




「美味しかったー! ご馳走さまでした」

 キイ君が朗らかにそう言った。美味しいご飯を美味しそうに食べるキイ君はとても可愛い。

「久しぶりに肉食った。森に帰ってから野菜ときのこばっかり食べてたからかなぁ、そんなに食べなくても腹一杯になる感じ」

「そっか、キイ君は人間の血を引いてるから、たまにはお肉を食べたいよね」

 僕ら森のエルフは花実人(かじつびと)という種族で、花の遺伝子を持って生まれる。お日さまの光ときれいなお水があり、光合成ができれば食べるものは少しでも構わないのだ。

「うん、でも、これからはなるべくリカちゃんやおじいちゃんに合わせた食生活をしていきたいって思ってるよ」

「そう、なの?」

 結婚することを考えてるから?

 ……とは聞けなくて、僕はじっとキイ君を見つめた。にこにこしてる。どうしよう。なんて返そう。

「でも、……無理はしないでね」

「無理はしてないよ。俺、久遠の森が大好きなんだ。本当の意味で森に帰りたいんだ」

「キイ君……」

 キイ君は両手をテーブルの上で組み合わせて、じっとそれを見つめた。

「魔法使いなんかにならなければ……戦争に行かなければ、俺はずっとあの森にいて、リカちゃん達と同じように生活して、大人になっていたはずなんだ。俺はその時間を取り戻したいんだよ」

「できるよ。きっと。僕、協力するよ」

 でもね、と僕は続けた。

「今の自分を否定しないでほしいな。キイ君にとっては不本意でも、魔法使いのキイ君に助けられた人も必ずいるはずだよ。それは意味のあることだし、誇っていいことだよ」

 キイ君は両手をほどいて、僕の目をじっと見つめた。驚いているようにも見えた。その目がゆっくりと笑みを形作る。

「ありがとう、リカちゃん。そろそろ出ようか」



「次は展望台に行こう! そうだ、ちょっとそこで待ってて、アイス買ってくる!」

 楽しそうにアイス屋さんに向かって走っていくキイ君を見送って、僕はため息をついてしまった。

 僕はちょっと浮かれすぎていたかもしれない。森で何不自由なく育った僕と、魔法使いの修行と戦争に明け暮れていたキイ君では、見ている景色がまったく違うのかもしれない。

 僕じゃキイ君を癒してあげることはできないのかな……。

「君、ひとり?」

 不意に声をかけられて、僕は顔を上げた。

 見ると、目の前、結構近くに背の高い人間の男が立っている。背は僕より頭ひとつ分高くて、逞しい身体つきをしている。金色の髪をソフトモヒカンにしていて、優しそうに微笑んではいるけれど目は鋭い。ちょっと怖いな……。

「暇してんなら遊ぼうぜ」

「あ、あの僕は」

 人を待っていて、と言おうとすると、その男の人は急に肩に手を回してきた。

「展望台よりいいとこがあるからさ」

「待って、僕は……」

 振り払おうとしたけれどびくともしない。

 展望台の入り口とは反対方向に連れて行かれそうになったその時、ゴン! と鈍い音がして、男の人が「痛えっ!」と悲鳴を上げた。肩に回された手の力が緩んで、僕はすぐに男の人から離れた。

「痛え、いっっってぇーーーー!」

 男の人は頭を押さえてしゃがみこんだ。何が起きたんだろう?

「大丈夫か?」

 男の人の後ろに、右拳を構えて立ってる女の人がいた。綺麗な赤い髪を無造作に後ろに流したウルフカット。背は僕より少し高い。

「あっ! アネモネ! てめーっ! せっかくのチャンスを!」

「黙れ」

 アネモネと呼ばれたその人の右拳が、男の人の左頬を打った。ぱあんと音がして、男の人はよろけて尻餅をついてしまう。何が起きたのか飲み込めずにいると、アネモネさんは僕に向き直って「連れが失礼した。早く逃げるといい」と言った。

「あ、ありがとう……。でも僕、人を待っていて……、あっ、キイ君」

 アネモネさんの肩越しに、慌てた様子でこちらへ走ってくるキイ君が見えた。

「リカちゃん! どうしたの、大丈夫?」

「キイ君」

「キイ?」

 アネモネさんがキイ君の名前を呼んだ。キイ君はアネモネさんと、そこに転がった男の人を交互に見て、

「アネモネ! イッサ!」

 と叫んだ。



 展望台の一番上、港町と海と久遠の森を一望することができる東屋で、僕とキイ君、アネモネさんとイッサ君は向かい合って座った。

 ここまでの道で聞いたのは、イッサ君とアネモネさんが剣士であること。二人はキイ君と一緒に戦場に行った仲間だということ。今でも時々組んで仕事をすることがあるということだった。

「リカちゃん。キイなんてやめて俺にしろよ。玉の輿だぜ?」

「あ、あはは……お金持ちなのかな?」

「リカちゃん、このバカの言うこといちいち聞かなくていいから」

「バカって言うやつがバカなんですー!」

「黙れバカ」

 わめくイッサ君の頭をアネモネさんが叩く。三人はとても仲が良さそうだ。

「お前ら今日は連れ立って何してたの、まさかデートじゃないだろ」

 キイ君の問いかけに、イッサ君が吹き出した。

「有り得ねえから」

「今日はギルドに仕事を探しにきていた。魔物討伐の類いがあれば片端から受けようと思って」

 アネモネさんが淡々と言う。キイ君は肩をすくめた。

「真面目だなぁ」

「先日の仕事でだいたいは片付いたようだ、依頼は無かった」

「それは重畳。骨折った甲斐があるってもんだ。エリクスは?」

「あいつ魔伝盤に出やがらねぇ」

 僕は急に寂しくなった。イッサ君もアネモネさんも、僕の知らないキイ君を知っている。

「イッサ君とアネモネさんは、いつからキイ君と知り合いなの?」

「5年前だな」

 アネモネさんが答えてくれた。

「リカちゃん、そろそろ行こう」

 キイ君が立ち上がったので、僕は少し驚いた。心の中を覗かれているみたいな居心地の悪さ。

「そうだね……、そろそろ帰る時間だね。

 イッサ君、アネモネさん、またね。今日は会えて嬉しかったよ」

「おう。またなリカちゃん」

「また」

 僕は2人に手を振った。


 僕は嘘をついてしまった。

 会えて嬉しかったなんて、少しも思っていなかったのに。



 展望台の階段を降りながら、キイ君が楽しそうに言った。

「ごめんな。やかましかっただろ、イッサの奴」

「ううん。楽しい人だったね」

「楽しい……? ものは言いようだな」

 キイ君は肩を震わせて笑った。僕は何故だか胸がザワザワしてしまう。

「アネモネさんもいい人だし」

「ちょっと無愛想だけどね」

「また会いたいな」

「そう? 俺はあんまり会わせたくない」

「どうして?」

「どうしてって」

 キイ君は僕の手をとって、にこにこ笑った。

「独り占めしたいからだよ」

 胸のザワザワがすっと消えた。


 これは独占欲だ。


 僕はキイ君に対してどんどん贅沢になっていく。こんな僕を知ったら、キイ君はどう思うだろうか。

 こんな自分に気がつきたくなかった。

 知りたくなかったよ。






 本土から帰って、おじいちゃんと夕飯をとり、後片付けを済ませて自室に戻ると、どっと疲れが押し寄せてきた。ベッドに倒れ込むと、どこまでも身体が沈んでいきそうだ。それでいて頭は興奮していて、眠れそうになかった。

 ふと、机に置いた魔伝盤が光って、ガイドのたまが飛び出してきた。

「リカ、リカ、キイが話したいって」

「キイ君が……? わかったよ、繋いでくれる?」

「了解だよ!」

 魔伝盤を耳に当てる。

「リカちゃん、今日はありがとう」

 キイ君の優しい声が聞こえてくる。

「今日はデートだったのに、ごめんね」

「そんなこと気にしないで」

 僕は楽しかったよ、と言おうとして、嘘はつきたくなくて口をつぐむ。

「帰り際、なんかリカちゃん元気なかったからさ……、気になって」

 ちょっと疲れちゃっただけだよ、と言おうとして、これも嘘だと気づいて口を押さえる。

 どうして? どうして僕、キイ君に嘘ばかり言おうとしてるの?

「リカちゃん?」

「ごめんね、キイ君。僕、今ちょっとおかしいんだ。お話は、明日にしてもいいかな?」

 それだけ言うのが精一杯だった。少しの沈黙の後、キイ君は「わかったよ」と優しく言った。



 魔伝盤を引き出しに仕舞って、僕はそのまま動けずにいた。頭が混乱して、今何をすべきなのか全然わからなかった。

 どのくらいの時間そうしていたんだろう、部屋の窓がコンコンと音を立てたような気がして、僕はのろのろとカーテンを開ける。すると、窓の外にはキイ君が立っていた。

「キイ君……どうして……」

 窓を開けると、キイ君は部屋の中へと身を乗り出してきた。

「ごめん。だってさ、リカちゃんのことが心配で。いてもたってもいらんなくて」

『僕のことが心配で』。

 涙がこみあげてきた。

「リカちゃん?」

「キイ君、僕、僕は」

 しゃっくりが邪魔してうまくしゃべれない。

 キイ君は窓ごしにそっと手を伸ばしてきて、僕の頭を優しく撫でた。

「キイ君、は、僕のこと、いつも一番に、考えて、くれる、のに」

「うん」

「僕、僕は……自分のことばっかりで」

「うん?」

「僕を許して」

 支離滅裂だった。キイ君も首を傾げている。

「僕……今日……」

「うん」

「イッサ君や、アネモネさんが、羨ましくて」

「羨ましい?」

「僕の知らないキイ君を知ってる、それが羨ましくて」

「うん……」

「キイ君が、二人と話してる間、すごく……、寂しかったんだ……」

「そうか……」

 キイ君は、僕の背中に手を回して引き寄せた。シャツ越しにキイ君の体温が伝わってくる。

「ごめん、リカちゃん。寂しい気持ちにさせて」

 キイ君は僕の頭を撫でながら言った。

「でもさ、ここでこうしている俺はリカちゃんだけのものだし、リカちゃんにしか見れない俺なんだよ」

「うん……」

「リカちゃん。俺はリカちゃんが世界で一番好きだよ。大切にしたいと思ってる。リカちゃんは俺に対してもっとわがままになっていいし、独占欲持ってくれて構わないんだ。だって、俺はもうリカちゃんに全部捧げてるつもりだから」

 部屋の薄明かりがキイ君の顔を照らしている。キイ君はそっと目を閉じて、その唇を僕の唇へと重ねた。触れるだけの優しいキス。

「俺のこと、リカちゃんだけの俺にして」

 キイ君はそう言って、いっそう強く僕の身体を抱きしめてくれた。





 翌日。

 朝の仕事を終えて、僕はちょっとドキドキしながらキイ君の小屋へ向かった。昨日の言葉を何度も胸の中で反芻して、夢を見てるみたいな気持ちで。

 しかし、なんということだろう、扉には紙が貼られていて、こう書かれていた。

『二、三日留守にします』

 僕は半目でその貼り紙を睨みつけた。

「帰ってきたら、絶対わがまま言ってやるんだから」





【つづく?】

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