継承
「彼らには結婚という概念がないのです」
カミツの治療を終えた執事ハリーが手を洗いながら話した、マンティコアについて知っているようだった。
「それはどういうことなの?」フローラには理解できない制度。
「子供は一族のものであり、親子という単位も存在しないそうです」
ムートンのマナーハウスに着いた頃にはカツミは意識を失っていた、四肢の数か所を切られて失血が酷かったが命に別状はなさそうだ。
「倫理観の違いね、ヴァンデッタ・エージェント(決闘代行)はマフィア以上に危険な生業、暗殺や傭兵、復讐代行、その顧客は貴族や政府、商人まで理由を問わない、純粋な武力、人殺し専門の一族」
「親子もないの!?」
「そう言われています、生まれると直ぐに一族内の施設で養われて、自分の親が誰なのかさえ知ることはないそうです」
「そんなこと!」フローラの顔に怒りが浮かぶ。
「そんなバカなと思うけれど世の中にはこちらの常識では測れない事も多い、人間の進化以上に組織は多様化している、生き残るための選択として共同主義なら、むしろ合理的といえる」
首に手を伸ばしているエミーの冷静な声、同じ声でもやはり別人だ。
「愛情より合理性が尊ばれる世界なんてありえないわ!」
「あの二人は恋仲に見える、愛のない世界から脱出を試みて追われたのだろう」
「傷の具合はどう?話は出来そうかしら」
「男の子は寝ていますが、女の子の方なら問題ないでしょう」
「そっちは私が対応する、フローラは自分の準備をしてくれ、時間がないぞ」
「そうです、お嬢様、式は明後日なのですよ、明日にはエドワード様も現着なさいます、出迎えの準備をしなければなりません」
「エドの事なら平気よ、放って置いて大丈夫!」
「そんな!この国の皇太子を放って置くなど私の心臓が持ちません、お嬢様、どうか私のためと思ってご自重ください」
「ああーっ、なんか急にテンション落ちてきたなー、結婚も止めちゃおうかなー」
「なっ!なっ・・・まっ・・・そっ!?」
執事ハリーの口がパクパクと鯉のように喘ぎだした。
「こらっ、フローラ!爺をあまりからかわないで、本当に心臓が止まるわよ」
「いいわよ、それなら私はいつでもエミーに譲るわ、どうせ見分けつかないのだから代わって式を挙げておいてよ」
「ぬっ、そんなこと出来るわけがない」
「あはははっ、やっぱり家はいいなぁ、ずっとここに居たかった」
最後の言葉は少しだけ泣き笑いになる。
「フローラ様!いいんです、ずっとここに居てください」
アンヌが叫ぶと同時に抱きしめた、その顔は既に涙でグショグショだ。
「アンヌ・・・・・・」
フローラの目にも涙が光る、その光景を見てエミーの脈か少しだけ乱れる。
結婚てなんだろう、寂しさと不安、期待と安心、双極の感情が入り乱れて伝わってくる、元よりエミーには結婚願望どころか恋愛感情さえない。
恋愛という感情があることを知ってはいる、フローラとエドワード、カーニャとトマス、今そこにいるカツミとシープたちにも感じる、特定の人たちだけにある感情。
人を好きになる、恋をする、そんな感情が熟した時、その人は変わる。
それを愛と呼ぶことも知っている。
愛には様々な色がある、アンヌとフローラの間にある愛情は恋とは違う、ティアとデル兄たちの親子愛とも違う、一人に幾つもの色が絡まり人を形作る。
複雑すぎて理解が遠く及ばない、抱き合う二人にどう声をかけるべきなのか分からなかった。
ただ、それほど重要で大事なことはエミーにも理解できた。
カツミとシープは離れの小屋で治療していた、今はロゼが世話をしている、エミーも会うのは久しぶりだ。
「元気だった、ロゼ」
「!?エミー・・・・・・ですよね」
「そうよ、ロゼが疑問符を付けるなんて珍しいわね」
「いえ、なにか雰囲気が変わりました、いい意味で」
「そう、また嘘が上手くなっただけよ」
「いいえ、もっと根本的な事だと思います、今のエミーさんならあの時、私にも見分けが付かなかったでしょう」
「そうかな、自分では分からないわ」
ロゼの視線がエミーの爪を見ていた。
「少し荒れていますね、後で磨きましょう、エミーさんも大事な役が待っているのですから」
「大事な役?何の話?」
「あら、いけない、私忘れ物があったわ!」
慌てた様に話を切ったロゼが部屋を出ていく、その後ろ姿は幾分大人びたように感じた、自分だけが知らない何かが画策されている、危険な匂いは勿論しないが悪戯を仕組まれているようで気になる。
「いったい私に何をやらせようとしているの?」
「エミー!」「エミーさん!」
ティアとカーニャだった、式に参列するときの衣装を借りに来て、そのまま逗留していた。
「やあ、二人とも元気にしていたかい」
「もちろん!ティアはいつでも元気だよ」
フローラの小さな頃の服を借りているティアは女の子らしい・・・・・・ではなくボーイッシュなスボンとシャツにベスト、辛うじて頭に結んだリボンが女子だと主張している、フローラのお下がりからのセレクトだ。
「良く似合うよ、ティア、式用の衣装も決まったかな」
「もちろん、とっても素敵なお洋服、初めてだよ、お父さんにも見せてあげたかったな」
「ふふ、デル兄たちは見ているさ、いつでもティアの傍にいる」
「そうだよね、いつまでも泣いてないよ、行くよ、漂流島!」
「ああ、式が終わったらいよいよだ、乗組員も揃ったし出発しよう」
「うん、お姉ちゃん、行こう、お母さんの所へ」
時間が癒したのか、ティアが強くなったのか、神獣の瞳には力強い光が宿っている、以前の無邪気な明るさが戻りつつあるように思えた。
「もう出発してしまうのですか?」
カーニャの声は寂しそうだ。
「里の生活はどう?」
「楽しいです、働くことがこんなに楽しいなんて!人生損した気分です」
カーニャに初めて出会った時は拒食症の末期、その命は風前の灯だった、事実、カーニャの心臓は一度止まり死の谷へと向かう小舟に乗っていた、戻ってこられたのも運命だ、彼女には役目がある。
「一緒にきてくれ、フローラが呼んでいる」
「フローラ様が私をですか?」緊張が伝わる。
「ああ、提案があるそうだ」
「提案・・・・・・」
不安と疑念、恐れが沸き上がる、カーニャの出自は王家に謀反を企てたフラッツ家、これから王家の中枢を担うフローラに直接会うことへの恐怖は拭いきれない。
「心配はいらないわ、トマスも来ているし私も付いている」
「トマス様もですか」
エミーはカーニャの手を握って励ますように微笑む。
応接室で先にフローラが待っていたのを見てカーニャは慌てて部屋に入ると膝を付いて傅く、視線は床に向かったまま顔を上げようとはしなかった。
「カーニャたん・・・・・・」
直ぐにトマスが支えるようにして横に並んで跪づいた。
「フローラ様、お初にお目にかかります、カッ・・・カーニャ・フラッツです」
「カーニャさん、頭を上げてください、ここには私達だけです、どうか畏まらないで、私は貴方たちに敵意はありません」
「いいえ、フラッツ家は決して許されない罪を犯しました、その責めを負うのも娘である私の務め、覚悟は出来ています、ご存分に処断してください」
床を舐めるほどに下げていた頭を更に下げた。
それを見てフローラとエミーは顔を見合わせる、エミーが肩を抱くようにカーニャとトマスを促した、初めてカーニャの目がフローラの目と視線を合わせる。
その目には怒りや憎しみはない、舞踏会の夜に見た破天荒な娘のままだ、さらに並ぶとエミーと見分けがつかない。
「処断などあり得ません、貴方は十分に償いました、もう一度立ち上がった貴方に私からお願いがあります」
「お願い!?フローラ様が私にですか」
「率直に言います、貴方とトマスにこのムートン領を任せたいの、私が去った後、二人でこの地を治めてほしい」
「は!?」
「それはどういう・・・・・・?」
二人はフローラの言った意味が理解できずに戸惑う。
「カーニャ・フラッツ、貴方をムートン家の養女として迎えたいのです、そしてトマス・バーモントを婿として二人で男爵の爵位を持ってこの地を発展させてほしいのです」
「ええっ!!」「私を養女に!!??」
大胆な発想だ、カーニャを養女とすることでフラッツ家の名を消し、そしてトマスを婿養子としてムートン家の跡継ぎとする。
「勝手な話で御免なさい、でもここは私が生まれ育った土地、特別な思い入れがあるのは分かってもらえると思う、だからこそ信頼できる人に任せたいの、エミーが推薦する貴方たちなら間違いないわ」
「エミーさん!」
「カーニャ、トマス、これは君たちだけのために考えた事じゃない、岩人やムートンの地に暮らす人々の安寧と発展のための最善を考えての事だ、トマスの都市開発の知識、カーニャの子爵令嬢としての経験、なにより一度は死地を経験した君には人々の苦しや悲しみを理解できるだろう、二人ならフローラが去った後のムートンを豊かな森のまま発展させられると信じている、どうかフローラの願いを叶えてやってほしい」
「この事はエド、皇太子も承知済みだし王様にもサインを頂いているわ、後は本人たちの承諾だけ、観念して」
「そんな、トマス様はともかく私など!きっと後々フローラ様に迷惑をかけることになります、どうかお許しください」
「トマスは君でなければ承諾しない、君しかいないんだ、この役が出来るのは君だけなんだ」
「カーニャたん、どうか、どうか、僕と結婚してほしい」
「!!」
カーニャの感動と驚き、その幸福感はエミーを酔わせるのに十分だった。




