シルク・ドレス
その船は漆黒の船体に白い帆が特徴的だった、周りの軍艦に比べれば小さいがクルーザーで二十メートルは十分に大きく、そして優美だ。
エルザたち三人は初めて船を目にした時そう思った、これから自分たちは陸を離れて海へ出る、神獣の騎士として彼の地を目指す航海へと出航するのだ。
船の経験はない、果たして役に立てるか自信はなかった。
でも、行かなければならない、魂が呼ばれている気がする、エリクサーを飲んだ後の夢、威容を誇る神の山の風景、恐ろしくも懐かしい、厳しくも優しい世界。
その地に降り立ち自分の目で確かめたかった、それは誰の記憶なのか、その記憶は何を求めているのか。
神獣が導いてくれる、この世に生まれてきた意味とその答えを。
「なんだろうねぇ、ワクワクするよ」エルザは短槍の柄を地面に付けて肩に立て掛ける。
「儂もじゃ、こんな気持ちはガキンチョの頃以来じゃの」
「俺は泳げない」白髪鬼ホランドは不安げだ。
「まずはそのアーマーを脱がないといけないねぇ、泳ぎはティア姫に教えて貰いな」
三人は笑った、擦れた大人になっても新しい事を始めるのは楽しい、見たことのない世界に胸が高鳴るのに年齢は関係ない。
「貴女がオーナーですか?」色白で細身、船員にも工員にも見えない男が声をかけてきた、内勤のホワイトカラーだろう。
「だったら何だい?」エルザの目が警戒の色に変わる。
三人に睨まれて男は萎縮したように後退った。
「いや、怪しい者ではありません、わ、私はこの船の設計者でエンジニアデザイナーのハント・スチュアートと申します、本日は引き渡しのための顔合わせと伺いまして・・・・・・」
「ああ、あんたがそうかい、あたしはエルザ、でかいのがホランドで小さいのがインプだ」
「今日はみなさんだけですか?」
「何か問題あるかい?」
「いや、あの・・・・・・皆さん船の経験は御有りなのでしょうか?」
「ないね、乗組員はこれから集めるつもりだよ」
「本当ですか!」
ハントの顔が輝いた。
ブラック・コーラル号は蒸気機関による半自動運転が可能だ、しかし実際航海するためにはそれなりの乗組員が必要になる。
具体的には艦長、航海士、甲板士、機関士、砲術士、司厨士、医師などだ。
最低でも十人から十五人ほどのクルーが必要になる。
しかも外洋への航海となれば経験と技術を持ったクルーでなければ自殺行為でしかない、陸の旅とは違う、道も目印もなく、海流があり一度時化となれば海は容赦なくその牙で船と生き物を飲み込もうとする。
如何に剣技や徒手術が優れていようと自然の前では無意味だ、海の神は人など愛してはいない。
神に抗い彼の地に到達するためには信頼できるクルーが必要だ。
ハントによればニースの港は先のラングトトンの乱による戦いで壊滅状態にあり、多くの船乗りたちは港を離れてしまっていた、募集しても集まる見込みは薄いとの話だった、おまけに目的地である彼の地は別次元に存在するというファンタジー、いつまでかかるのか、帰ってこられるのか分からない航海だ、家族持ちや土地に縛られた者は無理だ。
ハントもまた天涯孤独、親兄弟も既になく、務めていた造船会社も焼け落ちてなくなっている、ブラック・コーラル号だけが居場所だ、エルザたちからの誘いがなくとも搭乗を願い出るつもりだった、渡りに船だ。
航海士は確保できた、問題は機関士、甲板士や砲術士はエルザ達がこれから覚えることは可能だが蒸気機関を整備できる人間はなかなかいないとのことだった。
「どこで声を掛けるのがいいと思う?」エルザがハントに聞いた。
「可能性があるとすれば・・・…退役軍人協会かな、軍船にも僅かながら蒸気船があるから経験のあるクルーがいるかもしれない」
「なるほど・・・・・・当たってみる価値はありそうだね」
エルザはホランドとインプに頷いてみせた。
「それと艦長となる人は決まっているのですか?」
「ああ、それならいるよ、本人の同意はないけどね」
「そうだな、奴しかいないな」「適任じゃ」
三人は深く頷く。
「その方のお名前は?」
「そいつの名前は・・・・・・エミー、フレジィ・エミーだ」
ワイルド・シルクで造るウェディングドレス、ただの純白ではない、真珠の輝きを纏った白は日の光を受けて更に輝きを増す。
フローラの胸には銃創の傷がある、隠す意味でワンショルダーのクールなデザイン、スカートはシンプルなAライン、フリルや刺繍もない、豪華なものをフローラは好まない。
それでも岩人のワイルド・シルクを使用するとなると一般的なドレスの十倍近い価格になる、今回は献上品となるが、それをフローラは許さないだろう、代価は違う形で里にもたらされる。
繊維として丈夫過ぎるワイルド・シルクは加工が難しい、編みこまれた布は鋏が入り難い、そのためある程度の型紙の形に編んでいく必要があるのだ、手間と暇がかかるが出来上がったドレスは一生物となる。
繭から紡いだ糸はフィラメントシルクと呼ばれる生糸、天然繊維の女王、薄く滑らかで最高品質の極上の本物だ。
カーニャたちは今、そのドレスの仕上げに追われていた。
「時間はないけど急いじゃだめだよ、糸の締まりが均一になるようにテンションをかけるのじゃ、糸が乱れると光を綺麗に反射しなくなるでな」
里の織頭の婆が指揮を執っている、それぞれのパーツごとに織機がパタンッパタンッと軽快な音で極僅かずつその布の面積を広げていく。
これも好きな仕事だった、自分の手が何かを創り出していくのが最初は信じられなかった、奇跡のようだ。
織ったシルクの肌触りは素晴らしく、令嬢時代にも触ったことがない品質だ。
このドレスを着たバロネス・フローラがバージンロードを歩く姿が浮かぶ、さぞや美しいだろう、自分ではなくても心がときめく。
そして自分も関係者としてトマスと共に結婚の儀式末席に加えて貰えるという。
王家に対する恨みはない、身から出た錆、本当なら既に野垂れ死んでいて当然だった。
エミーと出会うことが出来たからだ、彼のおかげで新たな人生を始められる。
視野を広く!エミーの言葉の意味が分かった、世界は広く高く、凛と澄んでいた、人もそうだ、令嬢時代に差別していた有色や異教の人たち、同じだ、人としての価値はそんなものでは測れない、そして暴力や権力とも違う。
何より・・・・・・今はトマスがいる、愛がある、この先どうなるかは分からない、今は令嬢時代とは真逆な立場、自分は平民以下の身分になった、次男であるとはいえ貴族であるバーモンド家に嫁ぐことは出来ない。
トマスはバーモントの名前を捨てるとまで言ってくれている、嬉しくはあるがやはりそれは駄目だ。
これ以上を望むのは不敬だ。
エミーの事を思う、自分ではない誰かの感情を共有することでしか幸福感を感じられない人、喜怒哀楽もない世界に生きることの孤独を考えると張り裂けるほどに切ない、それすら感じないから辛くもない、エミーはそう言った。
エミーこそ救われるべきだ、彼にとっての救いが何なのか分からない、ただ幸せになってほしい、望むものを見つけてほしい、自分の為の物を。
シルクを織る手を休めて窓の外の夕日を見る、きっとエミーはまた誰かのために無茶をしているに違いない。
思わず席を立って外へと駆け出す、沈みゆく夕日に膝を付き手を合わせて祈った。
どうか彼が無事に戻るようにと、そして自分の幸福感を彼に返せることを願った。




