流通
まずい、あの女が一人で薬屋に入っていった。
白角ボーンはその店のカラクリを知っている、店の後ろにある通りが拉致場になっているに違いなかった、入った女は二度と出てこられない。
消息不明になり奴隷として売り飛ばされる。
あの女がどんなに強くても前後から挟まれては逃げ場がない、オルガを探す前に騒ぎは起こしたくないが見過ごせない、ボーンは覚悟を決めて裏通りに走った。
「くそがっ」
建物と建物に挟まれた狭い路地の入口に戸が建てられて中が確認出来ない、複数の足音が響いている、女を囲んでいるのだ。
戸板が厚い、蹴破るのは無理そうだ、高さ三メートルはあろうか、上を飛び越えるしかない、少し後ろに下がるとジャンプ一発!ダンクで戸板の上に取りついた。
「ぬんっ!」懸垂の要領で上半身を突き上げる、男たちに囲まれた女が映った。
「ちっ!」万事休す、倉庫に引きずり込まれたら助けられない。
戸板に足を掛けた時、女が宙に浮かんだように見えた。
バッ バッ バッ 女は突っ張り棒の要領で四肢を壁に付くと、垂直に上に向かってクモのように壁を駆け上がっていく! 「なっ!」ボーンも含めた男たちが呆気に取られている中、女は留まることなく一気に三階の屋上まで上がると屋上に飛び移って姿を消した。
「なんだありゃ・・・・・・」
「おっ、追いかけろ!逃がすな!!」「何している!動けよ!」
「アニキ!追うったって、どうやって!?」男たちは見上げるばかりで右往左往していた、既にエミーに追いつけるはずはない。
そんな様を見ながらボーンは足を静かに戻して戸板を降りた。
「変わらんな・・・・・・なんて女だ」
一軒目は外した、殺さずに済んだのは上出来だ、騒ぎを大きくするのは早い。
しかし、この調子で探りを入れていると、いずれ刀を抜かざるを得なくなる、裏町の噂が広がるのは早い、悠長な事はしていられない。
薬屋から視点を変えてみる、医者はどうだ!?この時代の医師は地位が低い、教会による祈祷や免罪符の効果があると信じられていたためだ、宗教、神の教えが絶対であり科学的な知見は異端とされ、年収は低く生活苦から犯罪集団に与する者もいた、プロの犯罪者は信仰心の前に合理的な選択を選ぶ、死後の保証より現世の金だ、教会でさえ金で免罪符を売っているのだ、神も頬を札束で叩たかれれば靡く。
高い志を貫くための代償が犯罪だとしても・・・・・・優先すべきは進歩だ、チープな道徳観念などではない、知識と技術が全てだ。
医師マークスは人身売買を行う複数の組織を相手に研究という名の商売をしていた、ダーク・エリクサーの選民という研究、人には型がある、進化の過程で分化した型、非常に興味深いテーマだ。
このテーマで論文を書きたい、自分が生きている間には日の目を見ることはないと思っていた、違った。
ダーク・エリクサーは命を伸ばす!!時間があれば知識と技術は永久に自分のものだ、失うことはない。
「今日の入荷は何人だね?」
「五人、全員女です」
「またですか、そろそろ男の被検体も欲しい所なんですがね」
「アポサル様の指示なのでな、男はあまり必要じゃないそうだ」
鎖に繋がれた女たちを引きながら入ってきたのは人食い男爵の下請けのマフィアだ、囚われている女たちは人種、年齢に統一性はなくバラバラだ。
助手らしき黒衣の男たちもダーク・エリクサーの選民だ、慣れた手付きで女たちを椅子に縛り付けると腕を捲り点滴の用具を準備する。
「んーーっ、んーーーーっ!?」
猿轡を嚙まされた女たちが呻いて抵抗しようとするがガッチリと固定されて抗うことは出来ない。
マークス医師は五人の腕に少しずつ五か所の傷を作り、スポイトでタイプ別のダーク・エリクサーを傷に垂らしていく、反応は直ぐに現れた。
五人の内三人はタイプM、そして一人がタイプN、最後の一人はかろうじて全部に適合した。
この時点の効果にも個人差がある、点滴投与を行った際の結果と比例することが多いが、このテストのお蔭で投与による死亡例は極端に減らすことが出来ている、実験体の無駄が減ったわけだ。
実験体を女に絞ったのも統計分析の成果だ、型の遺伝は母親からのみ受け継がれることが分かったからだ、男は次世代用ではなくハウンドのような戦闘員、または研究員としての価値があるものだけを選民として受け入れるようになっていた。
「イヴ候補が一人いたな、点滴が終わったら残り四人は売却処分で良いぞ、その一人はノアに送ろう」
「久しぶりだな、ここでは何人目だ?」
「まだ三人だ、しかしこいつもMとNはいいがその他は反応が薄い、候補ではあるが可能性は薄いだろう、もうこの近隣は狩りつくしたかもしれんな、種を撒いたら暫くは放牧期間にしたほうが良いだろう、次の収穫は・・・・・・二十年後か」
「気の長い話だ」
「そんなことはない、人類の進化は数十万年、二十年など一瞬だ、我々は神の数倍の仕事をしているのだよ、これが如何に偉大な事か理解しているかね」
「へっ、神だろうが悪魔だろうが金にさえなりゃなんでもいいさ」
女たちに点滴の針が打たれ管を通してダーク・エリクサーが落ち始める、信心深い者たちは涙を流して許しを乞うている。
「くだらない、点滴を受けたら地獄に堕ちるなどと、宗教とはなんと愚かなのか」
「それには同意するぜ、こんなことは神ではなく誰かの都合だからな」
ダーク・エリクサーが体内に入り始めるとミトコンドリアの書き換えが始まる、彼の地の景色をみた女たちの反応様々だ、恐怖に怯える者、恍惚に酔う者、逆に表情を失くす者、この反応は型を選ばずに起こる、その原因は分からない。
「イヴ候補は明日また引き取りに来る、残りは出荷まで数日かかるだろう、その間の管理はたのんだぞ」
「ああ、分かっているが今回はバラさないのか」
「残念だが生きたまま売ることになるだろう、なにしろ全員美人になりそうだ」
今がどうあろうとダーク・エリクサーの副産物、若返りのリジューブ効果が発揮されると商品価値は上がる、ただし一時的にだ、ダーク・エリクサーを飲み続けなければリジューブ効果は時と共に薄れて二か月ほどで元に戻る、維持するためには金が必要だ。
麻薬は快楽と恐怖、禁断症状の苦痛で人を縛る、ダーク・エリクサーは違う、若さや強さ、美つくしさを欲するのは人間の本能だ、誰もが手に入れたい本能、その価値には理性を保ったままでも抗えない、王妃ラテラのように考えられる人間は少ない。
一度使用させれば放牧しても必ず金を持って戻ってくる。
富裕層の選民の中で流行しつつある禁忌の行為、カニバリズム(人肉食)だ、ダーク・エリクサーにより竜化した人間の肝臓はエリクサーそのものよりも効果があることが信じられていた、事実、魔素の含有率、それを介するミトコンドリアが最も発達するのも肝臓や心臓であることは間違いない。
以前から薬として流通していた事実もあり秘薬として珍重されていたことが竜化人間を対象としたビジネスに拍車をかけたのだ。
トーマスは自分の研究と実利を兼ねた竜化人間の解剖が最大の楽しみになっていた。
残念ながら今回も需要には答えられそうにはなかった。




