EP7 街
「どこに行くんですか?」
家を出ようと玄関で靴を履く佐花に真人は問う。中腰で指を靴の踵に掛けたまま、首だけを振り返り佐花は返す。
「ん? あぁ、服屋さんよ」
「新しい服を買うんですか?」
「そ、あなたのね」
そう言われて自分の今着ている病院着に目をやる。確かにずっとこんな服を着ていては本当に病気かなんかの患者みたいな気分になってしまう。別の着る服が欲しいとは真人も思っていた。
「私の服はあるけど、サイズが全く合わないから。動きやすさならまだそれのがましなくらいだしね」
「わかりました。お願いします。いってらっしゃい」
「本当はあなたも連れて行きたいんだけどね。まず着ていく服が無いし、それに」
と、羽を指差す。
「そうですね。まぁ、目立ちますから……仕方ないです」
「あのさ……困ってることがあったらなんでも私に言ってね。ちょっとでも力になりたいからさ」
「……ありがとうございます」
「んじゃ……」
少し寂しそうな佐花の背中を真人は見送った。
時間は朝、まだ起きたばかりの真人は朝食を摂る前に佐花が出ていってしまったので、何かないかと勝手ながらに冷蔵庫をあさっていた。
しかし、出てくるものは調味料ばかり。基本的に整理されていてすっきりした中身だったが、それゆえに何にも入っていないということがはっきりとわかる。
そこで真人は昨日のことを思い出した。風呂から上がったあとに振る舞われた佐花の手料理の数々。二人で食べるにはあまりに多すぎる量のそれらは歓迎といい用意されたものだった。
半分くらいは食べることが出来たが残りにはまるで手を付けなかった。そう、まだ残りがあったことを思い出したのだ。
佐花が行き掛かりに朝食のことについて何の指示もださなかったのは、それらがまだ余っていたからだということなのだろうが、真人はそこまで勝手にさせてもいいのだろうかと少しばかり呆れさせられていた。
しかし、冷蔵庫にはそれらの食事が入ってはいなかった。真人は昨晩の記憶を必死にひねり出し、一つ思い出す。
――そう言えば机の上にラップをかけたままにしてたんじゃなかったっけ。
二人とも疲れていた所為か、ある程度食事を摂った後、残りのものはとりあえずラップをしたまま放置し、寝ることにしていたのだ。
そこで、布団が一つしかなかったため二人で一つの布団の中で寝ていたことを思い出し、顔を赤くした。
――なに思い出してんだ俺は。早く昨日の残りを見つけよ……。
それは昨日のまま、机の上に置かれていた。まったく触ったあとがないため、おそらくは佐花自体も朝を食べていないようだ。
真人はそれを見て少し心配になると同時に、朝御飯を抜いてまでも早く服を買いに行ってくれた佐花に感謝していた。
すっかり冷めてしまった料理を、温めるものは温め、ささっと食べ終える。昨日の時点ではあまり気がつかなかったがそんなに量が食べられなくなっていることが、まだまだ余ってしまっている料理を見て真人は痛感した。
今、真人がこの家ですることなどは食事ぐらいしか思いつかず、さっそくやることがなくなってしまった。
仕方なく、テレビを点けた真人は一つのニュースに目を見張る。
《高校生連続殺害事件》
『また、新しく被害者が見つかりました。河川敷に銃で射殺された高校生の遺体が見つかったのことで、全部で五人の遺体が確認されました。最近立て続けに起きている警察からの銃強奪事件との関連を追及した上で、遺体の身元の確認を急いでいます』
ふと思い、真人は部屋の壁に立て掛けられているカレンダーに目を通す。
そして自分の死ぬ前に確認した最後の日付から三年も過ぎているということを知った。
昨日新聞を見たときは、自分が死んだ次の日、もしくはその日に生き返ったつもりだったが、どうやら自分の過ごしていない何年後かに蘇ったみたいである。
だから、真人の死んだあの路地裏には血痕や死体が一つも残されておらず、綺麗になっていたのだ。
――殺人……まさかね。
真人の中には一人の人物が思い浮かばれる。もっとも親しかった、あの男。親友だと思っていたあの男――。
もう一度ニュースを見る。
『これまでの被害は300人にも上り、全て高校生の被害者が出ていることから、警察は殺人犯は高校生から大学生の未成年者との考えを示しています。三年前から続く犯行は依然と止む気配がなく、周辺住民も恐怖を隠せない模様です。次のニュースです。一年前から――』
三年前。真人が死んだのも三年前であり、親友が変わってしまったのも三年前だ。
何もかもに心当たりがあり、早くなる鼓動に気分が悪くなる。
300人。それは相当な数だ。1人で、しかもたった三年でこなすには無理な話だろう。そう心の中で結論づけ、何とか平静を保とうとした。
「零、お前じゃないよな……もし、そうだとしたら……俺の所為だよな……」
ビルに側面に付けられている街頭ビジョンに、佐花は視線を向ける。
それは、いつも見ているニュース番組であり、興味があったのか立ち止まって首をあげた。
『一年前から続く連続誘拐事件に新たな被害者が現れました。高校二年生の高橋ゆかりさんが下校途中で連れ去られたとのことで、これまでおよそ100人もの女性のみの被害者が出たことから、先ほどの殺人事件と並び、現日本の二大事件と言われています』
そのニュースを見終えたあと、佐花は呆れたと言わんばかりの表情で街頭ビジョンから目を逸らした。
「馬鹿みたい。情勢が悪くなったからって犯罪を犯していい理由になんかならないのに。二大事件? なにを担ぎ上げてるんだか。余計犯罪者が調子に乗るじゃない」
ふと、周りを見渡す。普段と変わらない景色。街行く数人の人々がただ、忙しそうに歩いているだけ。
こんな街で犯罪が起きているなんて到底佐花は思えなかった。しかし、実際にそれは起きているのだから、否定する要素が無いのも現実である。
「私が子供のころはどうだっただろう……平和だったはず……よね、まだ」
――きっと変わったんだ、この街も、この国も。
誰が変えたのかはわからない。ただ、変化が著しいのは明らかだ。これからもどんどん変わっていく。あの原因不明の症状が発端で。不幸のどん底へと進んでいく。
「――まぁ、もう関係ないか私には。出来ることなんてもうないし。さぁてと、真琴ちゃんも待ってるから早く帰らなくちゃ」
踵を返し、佐花は本来の目的である洋服店へと足を進める。
街を包む異常に気付かないまま、彼女は歩いていった。