EP6 少女
小さな個室、少女は一人四苦八苦していた。
――うぅ……なんか罪悪感を感じるなぁ。自分の身体だけど、やっぱり恥ずかしいし。でも身体に悪いし……。
女になったばかりの真人が悩んでいること、それは端的に言えば排泄行為だ。まだうぶな真人にとっては、自分の身体と言えど、女性の姿で自ら下着を下ろし、用を足すということにはとてつもない羞恥心と罪悪感を感じてしまう。
ちなみに、真人は現在佐花から借りた下着を着けており、それだけでも心が締め付けられているほどだ。
――でも、女の子ってどうやっておしっことかするんだろう。座ってするんだよな。最後にあそこを拭くんだっけ……うっ。そろそろヤバイ……。
限界に近づいた真人は意を決し、下着を下ろした――。
「どうしたの? えらく遅かったけれど」
「あ、いや、なんでも……ないです」
「?」
トイレを出たあとの真人に、佐花は心配そうにそう言った。しかし、羞恥心に耐えながら行為に及んだ真人にとってはそれは追い討ちでしかなく、赤くなった頬をさらに赤くさせられるはめになった。
本来ならば、女の子についてわからないことは佐花に聞くべきだと真人はわかっている。しかし、そんなことは容易にできない。もし、自分が実は男だったと知ってもなお、この家に置いてもらえるとは限らないからだ。
いっそ男だとばらさずに聞くことも可能ではあるが、それはいくらなんでも不自然に思われるのではと思い、真人は躊躇していた。
とにかく今は行く宛てがない真人にとって、無償で泊めてもらえるということは何よりもありがたいことなのだ。今、佐花との関係に亀裂を作ってしまうのは賢くない選択だろう。出会ったばかりの二人に関係もなにもありはしないが……少なくとも佐花は真人の心配はしてくれているだけ悪く思われてはいないだろう。
佐花の性格上、無理に事情を聞いてきたりすることはありえないであろうから、事情を話すとしたら真人からしかありえない。真人が変なことを言わないかぎりはこの家で居ることができるのだ。
とにもかくにも、しばらくは男の身体と女の身体との違いに困惑して生活せざるを得ないのだ。だから、今しがた男と女の身体の違いをさっそく体験してしまったわけなのである。
「そういや、さっき起きたばっかりだから寝汗掻いてるよね。それに裸で地面に倒れてたわけだし……お風呂とか入りたくない? 一応あるし、お湯だって出るよ?」
「あっ……」
――そういえばそうだった。俺、風呂入ってないんだった。なんか身体がベタベタすると思ったら……そういや、髪もべたつくなぁ。
今さらながら、身体が結構汚れていることに気が付く真人。今の真人の髪は前の姿よりも長くなり、肩甲骨ぐらいまである。しかも男の姿とは違い、髪の色はどうやら白くなっているようで、肌の白さも相まって、少しの汚れでも目立つ。佐花はそれが気になったようだ。
「本当はあなたが寝ている間に身体を拭いてあげようかと思ったんだけど……」
そういって佐花は目線を羽へと向ける。それはそうだろう。羽なんてものをどう扱えばいいものか普通はわかるわけがない。下手に触るといけないと思った佐花は本人に任せることにしたのだ。
実際、その本人自体も自分の羽がどんなものかなどよく見てもいないし、どんなふうに扱えばいいものかなど知るよしもない。だが、このまま放っておくのもいいわけはない。
「あ、じゃあお言葉に甘えます」
「そう。じゃあお風呂に入った後、ご飯を食べましょう。お腹すいてるでしょ? それに綺麗になってから食べたほうがいいだろうしね」
「あ、はい」
すっと自分のお腹に手をあて、腹が減っていたことを思い出す真人。自分のお腹の中に今、食べ物は入っているのか? 少しばかり考えたが、考えるだけ無駄であろうとすぐにやめる。尿意を催す分、普通の人間と同じ消化器官をもってはいるだろうが。
「じゃあ、早速入りましょっか。結構広いから二人でも全然安心だからね」
「あ、はい。ありがとうございます……って二人!?」
「そうよ、二人一緒。水道代だって今のご時世ばかにならないんだから節約しないと……ってあなたにはわからないかな?」
「あ、いや、ちがっ……その……」
あまりにも突然に言われてしまったのでどうしたものかと戸惑うばかりの真人。身体は女の子だが、心は男であるので、女性と一緒に入るのには罪悪感を感じてままならない。
「まさか、恥ずかしいなんて言わないでよね? もうすでにあなたの裸は何度も見てるんだから」
それもそうである。まず佐花と出会った時すでに自分は裸であったし、服を着せてもらった時にもずっと裸体を見られているであろう。
自らの意識がなかった時に自分ですらよく見ていない裸を見られたことを思い出し、頬を赤らめる。
「はは、なんか可愛いね。最近ではそんな純粋な子珍しいんじゃないかな。若い子はお金のためにみんなすぐに体を売って……あ、ごめんなさい、あなたには関係ないわね。今のは忘れて」
「あ、はぁ……」
「とにかくさ、早くしましょ。女の子同士なんだから恥ずかしいのもまだましでしょう? それにこれからはなるべく私と一緒に入ってもらうから」
「えっ!」
今日だけならと思っていた真人はその言葉に驚愕する。ただでさえ恥ずかしい気持ちを堪えようとしているのに、それを毎日続けるなんてとんでもないと。
「え、そんなに嫌? ははは、いくらなんでも傷ついちゃうなぁ」
「あ、その……そういう訳じゃなくて……」
佐花を傷つけてしまったかと、少しずつ後悔の念を積み重ねる。せっかく自分のために尽くしてくれているというのに失礼極まりないだろう。だが、そんな真人を見て佐花はにやり笑う。
「じゃ、いいわよね!」
「えっ!! その、ちょっとま……」
真人の言葉など佐花はちっとも気になどしてはいなかった。けろっとした顔で真人の手を引き、無理矢理脱衣室へと引っ張りだすのであった。
「ほら、早く脱ぎなさいよ。もう自分で動けるんでしょ?」
「あ、はい……でも、その……」
服を脱ぐことに抵抗を感じ、なかなか浴室へと入ることができない真人。佐花もまだ服を着たままで、真人がごねているのに苛立ちを隠せない表情をする。
「あぁ!! もう面倒くさいなぁ!!」
「え、ちょっ! ひゃあ!?」
我慢の限界に達した佐花は、真人の来ていた病院着を無理矢理ひっぺがしだした。もちろん真人は佐花の大胆な行動にあたふたするばかりである。それに抵抗なんて出来るわけもなく……あっけなく一糸纏わぬ姿へとされてしまった。
「あぁ、あ……」
「やれやれ、手間のかかる子ね、あなたは」
と、肩をすくめたあと自分も服を脱ぎだす佐花。真人はというと露になった身体を必死で手で隠すばかり。そして、視線を反らそうとすれば洗面台の鏡に目がゆき、女の子となってしまった自分の身体を見てしまう。そんな真人は思わず目を瞑り、顔を赤らめているだけであった。
「綺麗な肌をしてるのにこんなにどろどろでもったいないわね。綺麗にしてあげるから早く入りましょ」
「うぅ……」
「もう、ほら諦めなさい」
やっと観念したのか、手をどけ、目を開く真人。そしてゆっくりと手を引かれ浴室へと入る――。
「ね、慣れちゃえば恥ずかしくなんてないでしょ?」
ある程度身体を洗ったあと浴槽へと浸かり、身を寄せあう二人。
「はい……」
とは返事をするものの、まったく羞恥心の抜けない真人。自分は見てはいけないものを見てしまい、触ってはいけないものを触ってしまったと湯船に顔を埋めるばかり。
もちろん、身体は佐花とは逆の方向に向け、体育座りのような体制で佐花と顔、というよりも身体を合わせないようにしていた。
「それにしても、本当すべすべだったなぁあなたの肌。羨ましいぐらいにね髪も洗ったらさらさらになったし、羽だってお湯で流すとキラキラしてたし……ただ、胸の大きさだけは私の勝ちね!」
佐花のセクハラな発言を聞き、さらに顔を埋める真人。背中を流してもらうときに佐花は真人の身体をそこらじゅう触りまくっており、それを思い出すだけで顔は紅潮していくばかりである。
「あ、あの……あまりいやらしいことはしないでくださいよ?」
「あんなのスキンシップよ。それに仲良くするにはちょっとしたドキドキも必要不可欠なの」
「私にとってはちょっとどころじゃないです!」
「やれやれ、照れ屋さんね。可愛いんだから」
「……」
何を言っても無駄だと感じた真人は無言を決め込んだ。そんな真人の心境を察したのか、佐花は浴槽から上がり、シャワーで身体を軽く流し出す。
「もう、出るんですか?」
「え? なによ、あなたが一人の方がいいって言ったんじゃない。私はもういいからゆっくり浸かってなさい」
「えっと……わかりました」
その言葉を聞くと、佐花はシャワーを止め、そそくさと出ていった。
一人きりになり、落ち着きを取り戻した真人は広くなった浴槽で足を伸ばす。
「ちっちゃくなったなぁ……俺」
今の身長は145cmあるかないかぐらいで、男の時でもそれほど大きいほうではなかった真人にとっても違いを大きく感じられた。
下を見ればあったものが無くて無いものがある。それに少しばかり恥じらいを覚えるが、自分の身体だとなんとか割り切ろうとする。
そんなことよりも佐花の身体を見たことのほうが真人にとっては恥ずかしいことだった。女の人の裸を見たのは初めてだったため、鼓動が少しだけ早くなったのがわかった。
ガタンと音が聞こえ、佐花が浴室から出ていったとうかがえる。真人は浴槽から出ると、鏡の前に立った。
「現実を受けとめないと。俺は女の子になったんだ……ちゃんと、見ておかないと」
真人が自分の身体をまじまじと見なかったのは、恥じらいや背徳感があったこともあるが、それよりも自分が女の子になったという現実から目を背けるためであった。しかし、佐花とのこれからの生活を考える内に、そんなことではだめだと意を決した。
薄めで眺めていた鏡をしっかりと見据える。そこには、幼さを全体に残した少女が立っていた。年齢は見た目でどんなに繕っても高校生には見えない。どうやら若返ったと考えることもできる。
身体のラインはくびれが若干あり胸もあるが、いわゆる幼児体型。歳相応とも言えるが、小さな女の子の身体を見ていると考えると危ないやつだと思ってしまう。
透き通るほどに白い肌、白い髪、そして、白い羽。見た目の印象は間違いなく、天使のそれであった。そして何よりも真人が驚いたのは。
「あれ? 結構可愛いんじゃないかな、俺」
鏡に映る少女の顔は、だれがどう見ても美少女に入る部類であった。丸く透き通ったスカイブルーの瞳、ちょこんと乗せたような鼻に、通った鼻腔。細すぎず丸すぎない輪郭に、出来物一つない肌、潤いをいっぱいに帯びたピンク色の唇。どれをとっても彼女の存在を際立たせるものであった。
しかし、真人はまったく興奮をしなかったあたり、やはり自分の身体であるという変な実感を感じていた。それでもまだ、大事なとこまではじっくりと見ようとは思わないところが、純粋な真人の人柄を表していた。
「こんなにかわいい女の子になったんだから……やっぱり女の子として可愛らしく生活するべきなのかなぁ。男としてのプライドを捨ててまで……」
可愛らしくなったのには複雑な心境を生むきっかけになってしまったが、それでも悪い気はしなかった。
ただ、今まで暗がりの日々を続けていたばかりに、こんなゆったりとした日常に入り浸るのも悪くはないかと思う自分を感じていた。
「ねぇ、いつまで入ってるつもり? さすがにのぼせちゃうよ?」
と、脱衣場の外から声をかけてくる佐花。それに真人は「はい」と一言だけ答え、浴室を後にした。