EP5 よろしくお願いします
家の主人は考えていた。ベランダに出て、ひんやりとした外の空気を味わいながら、頭の整理をしている最中だ。
――よく考えればとんでもないことだよなぁ。
仕事先からの帰り、何の気もなく、いつも通りの道を歩いていた時のことだ。彼女はいつも大通りよりも路地裏など奇妙な道を歩いて帰っている。新しい発見などを見つけるためだ。それはただ彼女にとっては心の支えのような習慣でたいした利益は望んでいなかった。
そのはずだが……
――まさか、羽の生えた少女を拾うとはね……明日は雪でも降るのかしら。
もちろん彼女自身が本当に雪が降るとは思ってはいないし、今はもう冬ですらない。だからこそ、それほどまでにあり得なかったのだ。ただ、もうどうしようもない日々の中で、現実味から遠く離れた存在と遭遇したことにより、微かな希望のようなものを垣間見たからだ。
このままでは人々は苦しみ、閉ざされた国の中で繰り返されていく、なんの進展もない日々を過ごし死んでゆくであろう、そう思っていた。まさか、いまになってこのつまらない日常に変化が起こるなんて思いもしなかったのだ。
――天使なのかな……そんなわけないか。羽はただの飾りだよね。でも、だったらなんで裸なんかで……。
彼女の頭の中にはさまざまな憶測が飛びかっていた。もしかしたらただの露出狂の類なのかもしれないし、本当に天使で、私たちを助けに来てくれたのかもしれない。はたまた、夢であり、もう一度部屋に入って彼女を見れば羽はなくなっているとか……。
一番に常識的な答えが羽のアクセサリーを付けた露出狂という考えであるのが、彼女はおかしくてたまらなかった。
――やれやれ、相当疲れてるな、私。少し、頭がおかしいのかもしれない。その方が現実的だ。
彼女はそう考え直した。それもそのはず、ここ数日彼女はまったくと言ってよいほどに睡眠をとっておらず、そんな中のもやもやした思考回路でバカな幻想を見たと思っても仕方はないだろう。
だんだんと頭が冴えてくるに連れ、馬鹿馬鹿しくなってきた彼女は、もう一度その少女に会ってみることにした。その目で見たものが一番正しい。確かめてしまえば早いではないかと。
変に考えるのは自分らしくない、そう感じた。今までもなにもかも全力でやってきたのに、たかが少女一人を拾ってきただけで何を悩んでいるのだ。昔の自分なら、もっと興味を持ち、少女の話を聞いてやり、その少女のために全力を尽くすのではないだろうか?
それに、もし、少女が本当に天使ならば……何かが変わるかもしれない。いや、変えてみせるのだ。
気が付けば、彼女は部屋の前まで足を運んでいた。
――なんて声を掛けよう……。
言葉は通じるかもしれないが、あんな珍妙な格好をした少女に普通に話したとして、まともな回答が返ってくるだろうか? そう考えてしまう。
――でも、あの子だってきっとそう、思ってるはずよね。ここは私がきちんと話を聞いてあげなくちゃ!
いつの間にか強く握っていた両手を解き、右手を部屋の扉へと掛けた。
開かれた扉の向こうには、布団の上で蹲っている、羽の生えた少女がいた。その羽は、怖いほどに透き通るような純白で、彼女を緊張させた。
――よかった、起きてたみたい。……大丈夫、大丈夫だ。私が……私が進まなくちゃ!!
彼女は布団のそばにかがみ、少女へと声を掛けた。
「ねぇ、気分はどう?はじめまして、私はね、佐花美咲って言うの。よかったらあなたのお名前も教えてくれるかしら」
いきなりにしては少し無茶だっただろうか、と彼女は思った。しかし、少女は顔を上げ不思議そうな顔をして口を開く。
「……マコト……」
「え?」
「東雲真人です」
まさかの日本名が返ってくるとは思わず、佐花は少しばかり唖然としてしまった。
しかし、それよりも少女が自分に少しでも興味を持ってくれたことに喜びを感じていた。
「ありがとう、その……行き場とかないかもしれないから、しばらくは私の家に住んでもらって大丈夫だからね」
「はい……そうですか……あ、あの」
「ん?どうしたの?」
「あ、め、迷惑かも知れませんがよろしくお願いします」
こうして、天使真人と、佐花は一緒に暮らすこととなった。