EP42 夜明けと弾丸
ちょっとグロ入ります、ご注意を。
飛んでいる。そう佐花が認識したのは地面から離れた己の足を見たときだった。そして、それを可能としているのは佐花の右手を強く握りしめる頼りなく、小さな左手。
「真人! あなた……!」
ようやっとその名前を呼ぶ。まだ現実感がわかないその神秘的な光景。背中の大きな白い羽を羽ばたかせ宙を舞う天使。まさに天からの迎えに来たようだった。
しかし、真人本人にはそのような美観を感じるような余裕は無いようである。なにせ不思議な力で自分が宙に浮かんでいようとも、佐花はぶら下がっているだけだ。それを支えるのは飽くまで自分の力。今にも腕が千切れそうと言わんばかりに顔を歪めている。そして思わず本音を口から漏らしてしまう。
「うぐ……重い」
「失礼ね!」
「痛っ!」
その言葉を受け思わず身体を捩らせてしまった佐花。いきなりの体重変動に真人はバランスを崩し地へと落ちた。再び窮地に立たされるかと思いきや、そこはすでに二階席。神原たちから逃れられたのだ。
それなりに強く尻餅をついた佐花は臀部を擦りながら起き上がる。真人はうつ伏せで佐花に覆い被さっていた。
「痛たたた……っと、真人! 大丈夫!? ついうっかり……」
「う……危うく死ぬかと思った。もう、大人しくしててよ」
「あはははは、ごめんなさい。……ってそんなことよりあなた! その羽!」
佐花は大きくなっている羽に戸惑いなく触れる。それは不思議と肌触りを感じさせない。まるで霧で出来ているようだった。しかし、確かにそこに形はあり、空気を掻いていた。
また色も表現するならば白であるが、雲や紙と同じ白とは言いがたい。それは自らが発光している故に白く見えていたからだ。
なんとも不思議な物質に佐花は興味津々であり、しつこく手で触っている。真人は少々鬱陶しそうに思っていたが別に本人感触があるわけではないようだ。それゆえの気持ち悪さもあるみたいである。
だが、おちおちと調べている暇はない。下からは神原の声と足音が聞こえる。
「なんだその力は。君は飛べたのか。信じられない。僕が科学者ならばじっくりと調べていたところだろうがそれはおいておこう。今すぐ降りてこい。いや、こちらから向かう。待っていてくれ」
あくまで神原は落ちついていた。今にも逃げられるかも知れないというのに彼は危機感を感じていないのだ。
別段彼に二人を捕らえられる絶対的な策や自信があるわけではない。だが、目の前にいる青い鳥がいくら逃げ出しそうと言っても本当に見えないところまで逃げない限り追い求めるのが神原だ。
神原の言葉を受け、二人は自分たちが追い詰められていることを思い出した。今二人が逃げられる道は一つ。先ほど真人が一階に降りてきた通路。そこしかない。つまり正面衝突が逃れられないのだ。
だが、今は選択肢がもう一つ追加された。それはーー。
「――ねえ、真人。ここの窓から出られない?」
会議室から出てすぐにある廊下の窓を挿し、佐花は言う。全開にすることがどうやら可能であり、ここから飛び降りればちょうど施設の正面から出られることになる。
しかし、仮にここから出られたとして、外にはまだ解放党の女性が多くいる。そのなかを割って進んでいくことが可能かは怪しい。それにまた彼女たちが神原の巻き添えを食らうかもしれない。
「佐花、こっちは無理だ。せめて人がいない方から……」
「なに言ってるの? 空中には誰もいないにきまってるじゃない」
「え?」
真人の思っていた提案とは大きく違っていた。佐花の考えは窓から飛び出し、そのまま空高く飛び立ち、入り口とは逆側――つまり建物の上を飛び越し逃げようと言うのだ。
「そ、そんな無理だよ。俺、そんな高く飛べるかわからないし、途中で佐花を落としたりしちゃうかもしれないし」
「無駄に犠牲を出すよりはましでしょ。それに、私は真人を信じてる」
「――どうなっても知らないよ!」
決心し、二人は窓を大きく解放する。外の喧騒が室内へと流れ込んでくる。
真人は一つ深呼吸をしたあと軽く飛び、両手を佐花とつなぐ。そして、
「行くよ!」
勢いをつけ、窓の外へと飛び出した。佐花はそれにあわせ床を強く蹴る。両手を上げ、真人にぶら下がるような形でその身体を空中へと投げ出した。
体重のかかった瞬間真人は軽くよろけたものの、その浮いた状態を維持し、落下をすることは免れた。いくら真人を信用している佐花とは言えども冷や汗は抑えられない。だが宙に浮かぶ自分を見て一安心する。
問題はそこから上昇すること。下は人が多くいるため降りるような場所はどこにも見当たらない。もう後戻りはできないのだ。
真人は一層強く翼を羽ばたかせる。ひとつ掻くたびにその身を少しずつ上昇させるとともにその羽音は周囲に広く響いた。何人もの人間がこちらに目を向ける。そしてその天使の姿を目に焼き付けた。
「なに、あれは? ハンググライダー?」
「いや、羽が羽ばたいてる……人?」
「もしかして天使じゃないのか?」
距離はあるものの、その姿が何なのかを認知するのは時間の問題だ。いまさら正体を隠す意味も無いが、あまり長い間人の目に触れるのも良くないだろう。本物の羽が付いているなんて知られたらどう報道されるかわからない。
群集から離れていくように真人は上昇するしびれそうになる腕を我慢しながら高度を屋根まであげることに成功した。そのまま旋回し、その上に腰を下ろす。
「はあ、つ、疲れた」
「やっぱ疲れるの?」
「飛ぶのは力要らないみたいなんだけど、佐花の手身体を支えてるのがやっぱり……」
「わ、悪かったわね、重くて! でも、真人一人なら簡単に逃げられたってことよね。その……ごめんなさい」
「ううん。俺も――神原に協力した所為で大勢の人を犠牲にしちゃったから……謝っても謝りきれない」
お互い、自らの過ちを反省する。どちらにも付かず、結局は自分たちだけで逃げてきてしまった。なにもなしえず、ただ何かから囚われることを恐れて。
下は騒がしい。外の者が中の惨状に気がついたのかもしれない。神原はこれ以上あの薬を使って誰かを傷つけるようなことは無意味だろうから問題はないだろうが。
二人はそう思っていた。人々の悲鳴が次第に大きくなるのを聞くまでは。下からいきなり「逃げろ」「助けて」など、叫び声が飛び交っていはじめたのだ。
まず思い浮かんだのは神原の仕業。さきほどのように怪しい薬物を振りまいたのかもしれない。そう思い屋根の上から下を見下ろす。しかし、そこに広がっていたのはそれ以上の地獄絵図であった。
また、赤い液体が舞っている。まるで噴水のように、あちらこちらに。しかしそれは霧状ではなかった。まさしく液体の振る舞い。身体から噴出してはぽたりと地に落ちる。何かが、人の身体を裂き、血まみれにしているのだ。
女たちはそれを中心とした同心円上に逃げていく。その存在のまわりにはいくらかの死体と赤い血だけがぽつんと残る。そして、それの姿もよく視認できる。
それは、真人のよく知っている姿であった。かつての親友。そして、今は警察に追われる身である犯罪者。
「暁……!!」
ありえない。真人は最初にそう思った。なぜなら奴は今まで影を潜め、隠れて殺人を続けていたからだ。それは誰かに見つからないため、捕まらないためのはずである。しかし、今、このように多くの人がいて、さらにはテレビで大事のように報道されているこの場所にいる。
奴はいたってシンプルな身なりをしていた。黒のロングTシャツ一枚にジーンズ。遠目ではよくわからないが顔も特に変わっておらず、髪形も長さこそわずかに違えど変化はほとんどなかった。つまり、正体を隠すつもりもない、暁零としてこの場に現れたというわけである。
ここには人が多く居すぎた。皆逃げようとも、自由に走りまわれるスペースなど無い。暁にターゲットにされた人物は瞬く間にその首を折られていく。そのたびに一つ血の海が増えていった。
「なによ、あいつ。突然現れて。あれよね、殺人犯の……あと」
「わかってる。わかってるよ。うん。あれが、俺の親友なんだ」
「あんな、化け物みたいな奴が……」
悪いとは思っていてもその第一印象を訂正しようとは佐花は思わなかった。それ以外に奴を表現するための言葉を彼女は持ち合わせていなかったからだ。そんなことは真人もわかっていた。だからただ黙ってその言葉を聞いていた。
「おいおい、なんだ騒がしいと思ったら……」
何もできずただ見ているだけであったそこに神原が現れた。少しもあせりを見せない、いつもの飄々とした姿で。
「やあ、はじめまして。もしかして君が殺人犯君かい? よくもまあ……ひどいことをするね」
少しだけ距離をとった場所から暁に話しかけた。
「……お前は」
「なんだ、しゃべれるのか。野獣かなにかかと思っていたよ。おっと失敬。僕の名前は神原――」
神原がフルネームを言い終えるよりも早く、暁は動き始めた。一直線に、神原めがけて突進でもするかのごとく。だが、それでもなお神原は逃げない。このままでは八つ裂きを逃れられない。
しかし、距離にして5メートル。そこまで迫ったときであった。神原はニヤリと笑う。直後庭内に銃声が広がった。
「ぐっ! 貴様……!」
「おやおや、ちょっとあせってしまったよ。もうすこし引き付けるべきだったな」
神原は白衣に突っ込んだ手の先に拳銃を隠し持っていた。白衣の中から、相手に悟られず、その引き金を引いたのだ。急所には当たらなかったものの、暁の右太ももをかすった。
「よく避けたものだ。たぶん銃は見えなかったと思うんだけど……発砲音を聞いてよけたのか、弾を見てからよけたのか……どのみち人間技じゃないね、君も」
「ふざけた真似しやがって」
「ふざけた? それはこっちの台詞だよ。僕が自己紹介をしてあげようとしているのにいきなり殺そうとするなんてさ。いや、ごめんごめん。まだ殺そうとしていたかどうかはわからなかったね。早とちりだったよ。なんなら、もう一度こちらに来るといい。なにがしたいのかは知らないが」
「ちっ」
舌打ちをするなり暁は神原とは別の方向に走る。そこには腰を抜かして動けない女が一人。悲鳴を上げらられるよりも早く、躊躇なく彼はその首をもぎ取った。回りには鮮血が飛び散り、暁の身体をより赤く染める。
「おいおい! 素手で首をもぎ取るなんて! ゴリラじゃあるまいしなんだ君は」
そんなからかい文句などには耳を貸さずもぎ取った首を神原へと投げつける。それなりの速度で投擲されているそれを神原は造作もなく避けるが、暁は首以外の部位をちぎっては投げを繰り返す。
「おいおい! 正気の沙汰か! 気持ち悪い! これじゃあまるで僕も悪いみたいに思われるじゃないか」
「……」
「返事も無しかい」
痺れを切らしたのか神原は再び銃を構える。しかしそれが暁の狙いだった。その動作を見た暁はあまった胴体部分を神原へと放り投げる。飛び散る血肉もあいまって一瞬その視界を暗くした。
それでも神原は焦らない。神原はそっと横に避けた。投げられた肉体にあたらない程度の場所に。銃の構えは解かない。見えないという条件はやつも同じだ。神原は影に隠れ、姿が見え次第発砲しようと試みたのだ。
だが、地面に肉体が落ち、陰が晴れようとも暁の姿を確認することはできなかった。視界から消えたのである。
神原はあたりを見渡す。ぬかりなく、上下左右360度。だが、周りにやつはいなかった。
遠距離武器相手には分が悪いと思い逃げたのか、神原はそう解釈する。だが、安心はできない。簡単に警戒は解かず、時間が経つのを待った。
「こんな開けた場所なのに視認できないほど遠くに逃げられるものだろうか……」
およそ30秒が経過した。それでも辺りは女たちの悲鳴を除けば静かである。ようやっと、神原はその拳銃を構えた腕を下ろした。
そのときだった。不意に土煙が舞う。そしてなにもなかったはずの目の前からいきなり奴は現れたのである。横からや、上からや下からではない、唐突に、いきなり姿が見えるようになったのだ。
さすがの神原でもこれには驚きを隠せなかった。何かされて避けられる距離ではない。せめてもと思い銃を上に構えず手首だけをターゲットへとひねり、引き金を引こうとした。
だがそれは読まれており、それよりも早く暁は神原の両腕を自分の両手で掴み、左右に大きく広げた。
無防備になった腹に、膝蹴りを入れる。一回、二回。三回目で神原は手に握っていた銃を落とした。それを見た暁は落ちた銃を遠くへ蹴ったあと、左手を離し、右手で胸ぐらを掴むとそのまま神原を背負い投げた。
なすがままに抵抗の出来ない神原。だが暁は攻撃の手をやめない。今度は地面に投げられた神原の胸を強く踏んだ。そして、握った右腕を強く引っ張る。まるで引きちぎらんとばかりの力で。
軋むような音が辺りに広がる、もう絶体絶命かに思われた。
しかし、余裕そうに神原は呟いた。
「肉弾戦なら勝てると思ったかい」
次に聞こえたのは銃声。死角から突然に放たれた弾丸を避けることなどは出来ず、暁を背中から腹へと貫いた。
「誰が一丁だと言ったかな?」
神原は左手に銃を握っていた。身につけていた銃は一丁ではなかったのだ。暁が腕へと意識を反らしている間にもう一丁の銃を取り出したのである。
暁は急いで腕を離し、神原から距離を取ろうと試みた。だが、神原に躊躇ない。寝転がったままの体制で発砲を重ねる。膝、腕の間接を数センチの狂いもなく、全て暁へと打ち込んだ。
気合いや根性などではどうにもならない。物理的に間接を破壊された足はその体重を支える役目を果たせなくなったのだ。暁は堪らずその膝を地に落とし、そのままうつ伏せに倒れた。
「やれやれ、連続殺人犯と言ってもただの野獣に過ぎないか。ふん、結局正義は勝つってことかな? さて、なぜここに来たか、教えてもらおうか。別に僕に関係はないだろうけど、ちょっとした興味本意に付き合ってくれよ」