EP36 そして世界は傾く
人里から少し離れた診療所。ここではわけありの患者の治療が行われる。
つい先日に運ばれてきた女もそれの一人。わけありの人物だった。
その女には付き添いがいた。蔭山。治療を受けさせながらも話を聞くためにここに連れてきたのだ。
もちろん、ここを選んだ理由は普通の傷ではなかったからだ。彼女――アキラは太股に銃弾を受けていた。命に別状はないものの傷は深く、歩くことは困難なのは言うまでもない。
聞きたい話というのはまさにそのことだ。誰に撃たれたか。心当たりがいくらでもあるが、どの情報でも彼にとっては貴重なのだ。
意識はずっとあった。だが、落ち着かせるためにもすぐには何も聞かなかった。
だが、手当てが終わった後、彼女から口を開いた。
「聞きたいんでしょ。なぜ、撃たれてたか」
蔭山は無言で頷く。それを確認するとアキラは話はじめた。
「誘拐したんだ。羽の生えた少女。製薬会社の人間が独占してて、大事にしてた。身代金とかで金が手に入ると思ってた」
今彼女は自分が犯罪行為をしたことを平気で警察に打ち明けている。もちろん、蔭山が警察の人間であることを知っているわけではないが、それでも他人に自分が犯罪者だなどということを簡単に言えるはずがない。
それほどにアキラは追い詰められているのだ。そして、それを前提とした話があるということだ。
「天使を引き渡すと言って、金を用意させて……打ち合わせた場所に来た奴を殺そうとした。――でも失敗した。この有様」
「お前は血だらけのようだったが、どうも自分以外の血がついてたようだな。ちがうか?」
「そうだよ。殺そうとした相手。神原さ。首をかっきったんだ。もの凄い血が飛び出てさ。絶対殺したな……って他人事みたいに思った」
「……その言いぶりだと、殺せてなかった、ということか?」
アキラは頷く。蔭山はそれを鼻で笑った。
「はっ、馬鹿な。飛び出るほどの血が出るように首を切って死なない人間がいるわけない」
「だから、化け物だったんだ、神原は。血が、止まって、油断した隙に足を撃たれた。そして、天使を引き渡して、命からがら逃げてきたんだ」
「……化け物だと? あいつがか? 俺も奴の顔を見たことはあるが……そんな人間離れした生命力を持ってるとは到底思えなかったが。ただ、ひょろっちい研究者のイメージしかない」
「きっと研究成果なんだ。私はうまく利用された。天使を捕獲するために」
「なにを言ってる。被害者ぶるのもいい加減にしろ。奴はもともと賞金を与えると言っていただろう。お前はそれを無視してやつから金をせしめようとした。それどころか命まで奪おうとしたんだ。利用されたなんて言い方はお前の都合だ」
蔭山の正しい意見にアキラは返す言葉もない。自分がしたことが悪かったのはわかっていた。ただ、誰も止めてくれなかっただけだ。自分が生きるにはこうするしかなかったから止めることが出来なかった。
だから、蔭山が叱ってくれたことで少し気が楽になった。それに、神原を殺してなかったことにも本当は安心していた。アキラに人を殺す度胸はなかったのだ。
アキラはただ、すみませんでしたと頭を下げる。それは誰かに向けたものではなく、自分の犯した罪から解放されたいがための行為だった。
蔭山はアキラの頭を撫でる。詳しい事情をすべて理解はしていなかったが、これ以上彼女を咎める気はない。それよりも、話を進めたかったのだ。
「……だが、ちょうどよかったかもしれないな」
「えっ?」
「神原はお前を撃ったのだろう?」
「は、はい……」
「ならば、過剰防衛とも取れる。どのみち銃刀法違反だ」
アキラには蔭山の意図がわからない。なぜこんなことをいうのか。神原を捕まえたとして、なんの意味があるのか。
だが、蔭山にはちゃんとした目的があった。非常に個人的なものだ。天使のことを案じている。そして、天使を利用した神原の胡散臭い宗教的行為。これらをすべて明らかにするための捜査を行う口実が出来たわけだ。
「神原製薬を家宅捜索だ。もちろん銃の所持についてだが」
「家宅捜索? なにを――ちょっと、あなたって一体……」
「俺は警察だ。なに、もちろんお前のこともきっちり処理させてもらう、神原と一緒にな」
蔭山の最終目的は暁の逮捕だ。それに直接は関係しない。だが、一つ可能性をかけていた。天使と暁の関係――天使がその親友、東雲真人と関係があるということに。
全ては繋がる、天使という一つの存在によって。蔭山はそれを感じていた。
そして、自身の持つ正義感による躍動感。それがさらに彼を駆り立てる。歯止めは利かなくなっていた。
いけるとこまでいく。それが蔭山の心情だ。なにより、うまくいくと信じて疑っていないのだ。
「天使……お前にはまだ聞きたいことがある――そして、会わせるべき奴が――」