EP33 研究者、実験体
遅くなりましたが更新です。
「なにをやってるんだ、俺は……」
蔭山は呟く。早朝、一人で天使を探していた。
勤務時間になる前のわずかな時間でも捜索しようと思ったのだ。一人で探しているのは、こんな朝っぱらから新人をつれ回すのは気が引けたからだ。
おそらく、真宙にとっては全然問題外なのだろうが。
「……ん?」
蔭山は不審な人物を見かける。足を引き摺り、血を流していた。女性だ。
「大丈夫か」
警察として、声をかける。女性がナイフを持っていることに気が付いた。少しだけ身構えるも、話を聞く。
女性は息も絶え絶えながら、口を開く。
「ば、化け物を見た。でも、私も悪い。悪い悪い悪い……。ごめんなさい。助けて……」
それだけを言うと糸が切れたかのように蔭山に倒れ込んだ。かなり重症だ。今すぐに治療をしなければ危ないだろう。
蔭山は天使の捜索を一時断念し、彼女を病院に連れていくことにした。
それに、気になったのだ、化け物というフレーズが。
もしかすれば、天使となにか関係があるかもしれない。意識が戻りしだい話を聞いて見ることにした。
「化け物、ね……この国には化け物がいっぱいいるんだな――」
場所は変わって、神原製薬。その一部である病室に、真人、神原はいた。
神原の首には包帯が巻いてあり、既に出血は完全に押さえられていた。
少し前までは、顔色がすぐれなかったのだが、今はわずかに紅潮しているくらいだ。右手からは点滴のチューブが伸びており、ベッドで横になっている。
真人はその傍らでちょこんと座っていた。神原はどこか別の部屋で待っていていいと言ったものの、真人はここにいると言ったのだ。
真人には、神原に聞きたいことがあったためだ。
「僕としては、もう少し楽になってから、話したかったんだけど。せっかちだな君は」
「……あなたが話すことがあると言ったんです。俺はそれを聞きたいだけです」
「そうだね。じゃあまずは僕のことから話そうか……」
神原は上半身を起こして真人に顔を向ける。そして、身の上を話しはじめた。
「僕は、普通の身体じゃない。それは、キミも見ただろう」
「はい、首を切られても死ななかった」
「正確にはすぐには死なないだけどね。なぜこんな身体をしてると思う?」
「それは――あなたの組織がそういう怪しいことをしてるから、なんじゃないですか。俺には、全然予想もつきませんけど」
「まあ、そうさ。組織の計画だよ。人類が次のステップに進むためのね」
「次のステップ?」
「人間がさ、この一生に覚えられることって、どれくらいだと思う?」
「……わかりません」
「実際さ、限界まで記憶領域を使い切れないんだよ。忘れてしまうこともあるしね。だから、なるべく、多くを覚えさせる。小さい内からいろんなことを。ここまではいいかい?」
「つまり、あなたは小さいころからいろんなことを勉強してきたってことですか」
「そう。特に、専門分野に重点をおいてね。研究ってものは、やっぱある程度一人でやった方が統一性がある。偉業を成し遂げた多くのものは、一人で研究を始めた人が多いだろう。そもそもとんでも理論なんてものは常人には理解できないものさ。だから、僕は常人の範疇を越えるように学習させられた。そういうこと」
「だったら、その身体は……」
「これはまた別の研究なんだ。つまり、並行して行われている。人類の長寿命化、つまるところ不老を狙ってるんだ。僕は母親のお腹から出てきたわけじゃない。世界初の母体外成長の成功例さ。貴重な成功例は、普通じゃない細胞改造を受けた。生まれてから、ずっと。そして、辛うじて人の身体は手に入れた。大成功さ。そして、研究者への教育を始めたのさ」
「そんなことって……許されるんですか? あり得ない、そんなこと……」
「許される? だれに? 確かに違法だ。でも、訴える人間はいない。なんせ僕の両親は子種を提供しただけで、なんに使われるかなんて一切知らないからね」
淡々と話す神原に真人は背筋を凍らせる。そして何より、同情もしていた。神原は普通の人間の感性を失っている。それが哀れに見えて仕方ない。自分とは違い、一応は人間だというのに……。
そんな真人の心情などいざ知らず、神原は口を止めることはしない。真人もだまって話の続きに耳を傾ける。
「――だけど、一つだけ失敗したことがあるんだ」
「失敗?」
「そう、とても勿体ないことさ。せっかくの完璧な人間を作り出したと言うのにね……僕にはさ、生殖能力が無いんだ」
「……」
「君さ、おかしいと思わなかったのかい。普通、この国にたった一人の子供を産むことが出来る女性を手に入れたとしたら……研究云々いう前に自分の子供を作るだろう。そうさ、出来ないのさ。だから僕は君を性的に虐めたりしない。意味がないからさ。そういう気もおきない。だから、組織の役目だけを果たすのさ。絶対に生き残るためのね」
子供のころから教育を受けた神原は、細胞の改造も相まってか、おそろしいほどの知性を手にしていた。組織は早い段階から自分たちの研究内容を子供の神原に伝え、研究に参加させる。リーダーとして。
みるみる研究は進んでいった。内容は主に人体の長寿、また流行り出した女性の異常についての対策だった。多くの功績を残した神原だったが、異常についてはまったくお手上げだった。そもそも理由がわからないという時点でとっかかりすら見いだせない。
「だから、僕は新しい提案をした。かなりの暴挙だったが、彼らは快く受け入れてくれたよ。なんせ僕しか頼れる人間がいなかったからね」
「暴挙? いったい何を……」
「監禁さ。ただ普通の監禁とは違う。異常にかかったものを監禁するんじゃない。異常にかかってないものを監禁するのさ」
「そんな……あなただって、組織にいいように使われてきたのなら、そういうことするのは嫌にならないんですか!」
「ひどいだろう。でも、僕にはいまいちそういう気持ちは分からない。もちろん感情はあるさ。でも、研究すること、人類の未来を考えることが僕の生きる上での使命だからね。それに、非人道的と言っても監禁したものはそれすら分かってなかったと思うけどね」
「どういう意味ですか」
「生まれたての赤ん坊を監禁したのさ。異常が感染症だったのなら日本中の人間がもうすでにかかっている可能性がある。ならば絶対にその可能性のない赤ん坊を採用するしかない。もちろん親もまだ生殖機能に異常が無い者を選んだ」
神原の考えた計画はこうだった。ウイルスになのか、何らかの影響によるホルモンの異常なのか。わからないなら、それが起こり得ない環境ができないか調べてみるしかない。
もし、これが成功し、監禁した赤ん坊に異常が起こらなければ、とりあえず、防ぐ方法がひとつ発覚するというわけである。それが、いくら非人道的とは言え、生き残るすべなのだと、神原は言う。
「……よかったよ。ほんと、安心した。実験は実は成功したんだ。実験体は二十歳まで生殖機能が失われないことが発覚したんだ」
「なにがいいっていうんですか。根本的な解決にはなってないですよ。理由が結局分からないなら、止めることはできても直すことは出来ないじゃないですか。それに、現にもう日本には異常に侵されていない女性はいないんですよね。じゃあ、もうその実験の成果だって意味が無いはずです。いくら止める方法が分かったとしても、もはや守る人間すらいないんじゃ話にならないじゃないですか。あなたは、ただ一人の人間の人生を狂わせただけです」
たまらずに真人は気持ちをぶつけた。神原への憐れみは確かにあるが、もはやここまで何も思わない人間には救いがない。今もなおへらへらと笑いながら話している彼の顔を見るだけで黒い感情が押さえられなくなっていた。
「そうだね。確かにそうだ。僕たちは人類を救うと言いながら、彼女をおもちゃにしていただけかもしれない。だけどね、もし――そうだ、キミが男だったらどう思う」
その発言にどきっとする。もと男だった真人としては複雑な心境だ。
「男だったら――なんですか」
「こんな世界で一人、君のために子供を作ってくれる女性がいるとする。たった一人だ。それを幸運にも手に入れた。どうする? 普通は結ばれるだろう?」
「わ、わかりません」
「キミがもしいい人間なら――ここでキミが世界を救うには、ただ一つだけしか手段が無い。そうさ、彼女との子供をいっぱい作ることさ」
真人は、否定はしない。それは確かに正しいことだ。それしか手段が無いなら、真人だってそうするだろう。しかし、今その女性の立場に立たされているのは真人だ。
「根本的な解決には確かになってない。でも、たった一つだけ残った道だ。誰かが子供を作る。――別にもう手遅れだろう。十人、二十人子供が出来たって、どうなる? 彼らだけで暮らしていけるか? そんなわけはない。悲観的になって、このまま滅びゆく、それが楽だろう。だが、少しでも希望があるなら、それにチャレンジするのもまた一つの手。つまりはそういうことだ。その女性の気持ちはわからない。でも、男の立場からすれば、無理にでも、彼女を犯してでも子供を作らせるべきだろう」
「そういう結果になるってわかってて、そんな実験したんですか」
「それは、一応言わせてもらうけどちがうよ。実験の段階でなにか解決策が見つかると思ったんだ。だけど――案の定そう世の中うまくいかないもんだ」
「――その女のひとはどうなったんですか」
「おっと、そうだった。忘れていたよ。それが本題だ」
神原はぐっと上体を起こす。重体とは思わせないほど身を軽くして、そのままベッドから降りる。さすがに怪我人であるため、真人は止めようとしたが、その心配は無用だった。神原が首に巻かれた包帯を外すとそこにはもう傷跡すら残っていなかった。
「言っただろう。ちょっと休んでから話したかったって。だらだら話していたからその間によくなってしまったよ」
「信じられない――」
神原の治癒能力も眼を見張るほどのものだが、それ以上に組織の処置も驚くべきほど完璧だったのだ。
神原はベッド横にあるクロゼットから白衣を取り出し羽織る。特に意味はないが、それが彼なりのスタイルだったのだ。
「さて、行こうか」
何の説明もなしに神原は真人の手を引く。その足取りはいたって軽快なものだった。こけそうになりながらも真人はそれについていく。
「ちょ、どこに行くって言うんですか!」
「決まってるだろう。実験体のところさ。もしかすると、急ぐ必要があるかもしれないからね」
真人は聞きたいことだらけだったが、この男が行動に移った時なにを言っても聞かないのは分かっていた。ただ言われるがままに車に乗り、連れて行かれるだけであった。