EP20 別れ
「やめて、お願いだから…」
泣いて懇願をする佐花。しかし真人にはその涙の理由はわからない。ただ、検査と言われるものに何かがあることはわかった。
「な、何をするの?」
真人は恐れながらも男に聞いた。
「だから、検査だって。簡単な検査だけだよ。そうだね、どういう検査かって言うなら…適性の検査かな?」
「適性?」
「そう。んで、適性があればお国のために働けるってわけ。いや、今はそれどころじゃないな、世界に貢献できると言っていいかも」
「えっ?」
そこまでの偉業を達成できる可能性を見いだせるならば、適性の検査とやらになぜそこまで怯えるのか?真人は疑問を膨らましていた。
少なくとも、真人自身は適性があったとしたならば、人々に貢献ができる――つまり、神から言われていたことを守るのではないかと、前向きに考えだしていた。
そもそも神なのかすらはよくわからない存在ではあったし、言われたとおりにしなければなにをされるかなんて想像することもできないが…罪滅ぼしはしたいと思っていた。
「う、受けるだけなら…」
「真人!!」
佐花は叫ぶ。
「何も知らないのに勝手に乗せられちゃだめよ!あなただって検査とか曖昧な言い方で真人を惑わさないで!」
「やれやれ参ったなぁ…そうだよね。惑わすって言い方は気に入らないけれど、まぁ、君にとっちゃ似たようなことか」
真人から距離を置いた男。佐花はそれを見て少しながら安心する。
「うん…じゃあ具体的なことを言っちゃえばいいんだよね」
男は胸から名刺を取り出す。
「僕はこういうところで働いているよ。名前は神原相模。よかったら見てよ」
と、真人にそれを渡す。真人は丁寧にそれを受け取り見つめる。
「絶対生存機構?」
「そう。仮ではあるけどね。名前は無いよりはある方がましだ」
「これだけじゃわからないんですが…」
「うん、説明しとくよ。納得してくれない人がいるんでね」
と、一瞬だけ佐花に目をやる。
「人類が生き残るための研究をしている施設さ」
「生き残る?」
「ほら、わかるだろ?今のままじゃ人間なんてこの代を最後に途絶えてしまうんだよ。そう、君たちぐらいの子が最後に、ね」
男の言っていることは現在日本に蔓延している奇病のことだ。そのことぐらいは真人にも理解できたし、そういう施設が出来るのは当たり前だと思っていた。
「だからさぁ、若い君たちの力が特に必要になってくるんだよ。なんで?って思うでしょ?そこからが適性の話だ」
男はまくしたてるように話し始める。
「まぁ、僕達のお仕事を結果的に言うとね、人工的に子供を生み出す力を植え付けることなんだよ。つまりその力を失った、もしくはもともと持っていなかった女性に協力してもらわなければいけない。それにはどうしても若い女性の方がやっぱりいいんだよ。体力面とか、耐久面とかがね。まぁ、やってることはそれだけってわけじゃないんだけど、これが今一番急いでいることかな?他にも一般人向けの医療品を作ってたりもするよ?ようするに開発局ってことだよ。丸めて言えばバイオ技術かな?」
「んーえっと…」
「無駄なことを話しすぎちゃったかな?でもこれぐらい言わないとうるさいでしょ?なんならもう少し詳しく言っても…そうだ!佐花美咲について教え――」
「やめて!!!!」
男が陽気に話し掛けるのに対し、佐花はそれを消し去るような金切り声で叫んだ。
「あらら、マジで怒こらないでよ。ジョーク、ジョーク。あんまり堅くなっても仕方ないよ?今は現実に目を向けなきゃいけないんだら。そんで、今一番直面してるのはこの子。君の意見なんて聞いてないから」
「私はその子の保護者よ!その子を守る権利があるわ」
「じゃあ、いわば僕達も君の保護者じゃないか」
「あんたなんかに保護者ヅラされたくないわ!あくまで他人よ!」
「ひどいなぁ、10年もの付き合いだってのに。それにそれを言ったらこの子だって他人でしょ?しかも期間で言ったら出会って一ヶ月ぐらいじゃないの?なんでそこまで執着するんだか…」
男はやれやれと首を振った。その表情はどこか柔らかいものがあったが、温かみと言えるものは一切感じられない。
「まぁいいよ…友達を作ることは善いことだからね。あ、違った。保護者気取ってるってことは家族かな?娘?妹?設定は考えてた方がいいよ?その方がおもしろいからさ」
「あの…」
「あぁあごめん。佐花美咲はちょっとばかし性格に難があるよね。話が拗れやすくて困っちゃうよ。今は君と話したいんだよ、僕だって」
話を長くしたのはこの男だろうと思いながらも真人はそれをぐっと飲み込んだ。
「ま、とにかく。適性判断だけでも検査を受けてくれないかな?最悪僕達としてはサンプルが採れるだけでいいし」
「サンプル?」
「あぁ、血とか、毛髪とかね。本人に害がないレベルのものだよ」
「採ってどうするんですか?」
「ん?…ん…あ…」
男は口を潜もらせる。真人も流石に警戒心を持つ。
「言えないんですか?」
「んーそうだね。やっぱり全部は言えないよ。協力してもらわない限りはね」
「…」
真人はそこで考える。何に協力しようとしてるのかを。
男は言った。人類に貢献する、子供を生み出す力を植え付けると。それは誰かにそういう力を植え付けることだと解釈したが、それと同時に適性は若い女性がいいと言っていた。
つまりそれは…
「もしかして、ですが聞いていいですか?」
「ん?なんでもどうぞ。答えられる範囲なら全部回答するから」
「その協力するのって…私自身にその力を植え付けるってことなんですか?」
「もちろん」
「もし、成功した場合は…」
真人は恐る恐る男に聞いた。いや、もうわかっているのだ。佐花があれほど慌てていたではないか。
「そりゃ子供を…いや、子孫を残してもらうよ。人類のためにね」
「だ、だったら嫌です!!」
「あれ?わかってて最後まで聞いたんじゃないの?」
「違います!とにかく、そんな話なら検査もしません」
「えっ!?なんでさ!!最悪そこまでは求めないし、サンプルだけでいいって…」
「嫌です!」
もし、検査をしてしまったら…わかってしまうであろう。自分には植え付ける必要がないことが。そうすればその行程を飛ばした挙げ句、物珍しさにより別の実験までされかねないだろう。サンプルどころの話ではなくなってしまう。
真人はそれに気づき、必死で拒否反応を示す。
「なるほどね…どうしても嫌?」
「はい」
「却下」
「えっ?」
途端、男の目付きが変わった。鋭く、冷たいものに。
「葛城、真島、車に連れていって」
男がそういうといきなり研究員らしき男が二人、玄関から入ってきた。
「えっ、なに?」
「悪いけど、丁重に招待させていただくよ」
「な、無理矢理ですか!!」
「君がただイエスって言ってくれたらそりゃ早かったさ。でもね、土壇場で拒否するんだもん」
葛城と真島と呼ばれた男たちは真人の両腕を掴む。
「ちょっ…そりゃそうですよ!子供を産むなんてそんな…」
「なにを言ってるんだい?子供を産むことは女性としての一番の喜びだよ?それに…否応なしにでもしなくちゃ、もう後がないんだよ」
「でも、もし適性がなかったらどうするんですか!!とんだ無駄足ですよ?私みたいな一市民に構ってるぐらいならもっと…」
「あぁ…」
男は真人を見つめ、次第に口角を歪めだす。
「君、適性とか関係ないでしょ?だって…もう備わってるじゃないか」
「え…なんでそれを…」
「なんでって…ふふふっ…はははははは!!!」
男はもう堪えられず大きく背を曲げながら笑いだした。
「君、結構間抜けだね!僕がここに何をしに来たと思ってるんだい?」
「な、なにって…さ、佐花の検査とかを…」
「そう。佐花美咲の検査が目的さ。さて、ではその検査とは一体なんでしょうか?」
「…わかりません」
「正解は生活環境の検査、でした」
「へ?それはどういう…」
「言ったでしょ?ここは僕達が彼女に与えた場所だって」
「う、うん」
「もちろん中の備品もさ」
「…そうかも知れないですけど。それがなんなんですか?」
「僕たちはね、佐花美咲が何一つ不自由のない生活を送るために様々なものを提供しているんだよ。つまりだね、定期的に体調管理と備品の検査をするんだよ。つまりわかるかな?」
「…だから?」
「生理用ナプキンが一つ消費されているね」
「あっ…」
それは間違いなく真人が使った分のものであろう。しかし、なぜそんなことまでこの男にわかるのかが気掛かりで仕方がなかった。
「いつ調べたと思う?残念だけど教えてあげない」
「だけどそれが生理のために使ったとは…それに私が使ったともわからないじゃないですか」
「確かにそうだね。使い道はあれこれあるかもしれないね。でもさ、こんなこと言われたら引くかもしれないけど…」
「なんですか?」
「経血に塗れた下着が見つかったしね。それに誰が使ったかなんて今君にジャージを脱いでもらえば一目了然なんじゃない?」
「な!!へ、変態ですか!!何を見てるんですか!!」
「そうだね、変態だろうね…でもさ…」
男は真人に近付きポンと頭に手を置いて言う。
「ちょっとぐらいおかしくならないとさ、こんな世の中生きていけるわけないでしょ」
「う…」
そうなのだ。実際今の日本は恐ろしいくらいに狂ってきている。犯罪の件数は二十年前の十倍になっているし、現実から逃避するために薬に手を染めるものだって少なくない。そんな狂った世の中で生きていくには自分自身も狂ってしまう方が楽ではあるのだ。
「そりゃこんな世の中に振り回されないで真面目を貫く人もいていいよ。中途半端な正義感ほど気持ちのいいものはないだろうからね。だいたいそれ自体が現実逃避なんだから。でもそれじゃあ生きていけない。個人じゃないよ、人類がね。だから一人ぐらいが汚れ役を勝手出なくちゃいけないんだよ」
「それがあなたたちだと言うんですか?」
「そう、そして君もね。集団で生活する上で一番必要なのはバランスなんだよ。それを保つためには悪役が必要。わかりやすく言えば反面教師ってやつだね」
「わかりませんよそんなの…」
「わからなくていいよ、僕たちが勝手に進めていくから。ほら、連れていくからしっかり立って」
「…」
なすすべもなくゆっくりと立ち上がる真人。
「待って!!だめよ!!連れて行かないで!!」
佐花は真島に飛びつく。だがいとも簡単にその手は払いのけられてしまう。何度も何度も佐花は繰り返す。だが、腰の抜けているような状態ではここまで体格のいい男を止められるわけもなく、やがて動けなくなってしまう。
「あぁ、惨めだよ佐花美咲。諦めなよ、別に悪用するんじゃないんだからさ」
「関係ないわ!真人は嫌がっているもの!私が…私が守らないと…」
必死で体制を立て直そうとする佐花。ぷるぷると震えながらも腕の力だけで体を支え、真島に再びしがみつく。
「…なるほどね。佐花美咲の考えていることはわかったよ。要するに何かに縋りついていたいんだね」
「なにをいって…」
「だってそうでしょ?君はずっと一人だった。そして何もかもを勝手に進められていく孤独感、に縛られていた。そこで一人の少女に出くわす。自分よりも格下と思える少女に…」
「黙って!!」
「だってそうだろ?赤の他人を保護者気どりになって匿うなんて正気の沙汰じゃないよ。君はね、この少女に縋りついて自分の劣等感を隠そうとしたんだ」
「黙れ!!」
「…」
「何も…言わないで…」
佐花は、もう動けなくなっていた。男に自分の汚い所を真人の前でさらされてしまったからだ。本人が本当にそう考えていたかは定かではなかったが、どこにも否定できる要素はなかったのだ。
しがみ付いていた腕には、もう力は残っていなかった。
「行くよ、あ、佐花美咲、検査はきちんと受けてよね」
「佐花…」
「あのね、君は自分の心配をしていたほうがいいよ。なんせ新しい生活が始まるんだから」
「…佐花………さようなら、いままでごめんなさい」
佐花の前からは、もう真人はいなくなってしまった。
「な、なんで…私の大事なものばかり奪っていくの…なんで…」
「佐花さん…大丈夫ですか?」
今まで蚊帳の外だったスーツの男が慰める。
「なんで!あなたたちは止めなかったのよ!!あなただって真人に興味があったんでしょ?連れていかれたら意味ないじゃない!」
「無理です。彼らを止めることなんて…それはあなたが一番わかっていたことでしょう?だから逃げることを選んでいたのではないですか?」
「そんなの……わかってたわよ…でも…もう一人になりたくない…真人…」
佐花は――流れる涙を止めることができなかった。