EP14 誘拐と誘惑
読み辛いかもしれません。
――この男は何を言っているんだろう。第一俺は…
「どうかさなれましたか?」
「いや、どうにもならないほうがおかしいですよね?」
「おや、これは失敬」
演技でもしているかのような口調は真人の驚愕を和らげてしまう。一瞬でも焦った自分が馬鹿らしい、そう思っていた。
この男の発言は絶対冗談だ。この口調なら真剣に言っているようには聞こえない。そう心で決め付けた真人は軽く否定しようと考えた。
「…私、家に帰りたいんです本当は。だから別にどこかに行きたいってわけじゃないです」
「ほう、帰りづらいだけだと。つまり勇気さえ出せば帰ることも可能…だとおっしゃるわけですか?」
「え?」
「あなたは少し勘違いをなさっています。認識が甘いのではないかと。なぜならそれはあなたの気持ちしか考えていないから。はたして、家の人はあなたに帰ってきて欲しいなんて思っているでしょうかね」
――おかしい。さっきまでとは違う。なぜか冷たいものしか感じない。直感でわかる。怖い。怒ってる?わからない。
男は笑顔だ。しかし、その笑顔から発せられるにはあまりにきつい言葉であった。真人はその言葉に心を抉られるような気味の悪さを感じていた。
「あ、不安にさせてしまいましたでしょうか?いや、最悪のケースというのは常に考えておきたい性分なので。もしものことがあればと」
「あははは…そうですよね」
「大丈夫だとは思います。あなたの両親、もしくは単に保護者である方はあなたを大層大事にしてらっしゃるでしょう。なぜならあなたは家に帰りたいと言っていますからね」
「はい…」
「しかしながら…ひとつ言わせていただきますが、私の勘から申し上げますとあなたが原因で家出になったのではないでしょうか?」
「なぜわかって…!」
「単純です、あなたが反省しているようだからですよ。つまりはあなたの方が啖呵をきった、そうですよね?それにより保護者の方は愛想を尽かせてしまった可能性もありえなくはないとは思いませんか?なんせこんな世の中ですからね。これを期に一人分の生活負担が減ればさぞかし幸いなことでしょう」
「そ、そんなわけ…」
佐花がそんなことを考えるわけがない、真人はそう信じていた。しかしどうであろう。あれだけ言われても尚、少しも嫌われてないなどと断言できるだろうか。
真人にはそこまでの自身はなかった。少しぐらいは嫌われてしまっているだろうと頭の中で肯定してしまった。
そんなうなだれる真人を見て男は不敵な笑みを漏らした。それに真人は気付いていない。
男は真人の心情を見透かすかのように話を続ける。
「気まずいですよね。多分家に帰ることは可能でしょう。しかし、刺々しいムードの中で生活していくことは否めないでしょうね」
「でも…きっと仲直りだって…」
「ケンカによる仲直りが出来るのは子供同士ぐらいですよ。大人になれば仲直りと言ったって表面上のものでしかなくなります。それもお互いの利害を考えたものだけで。だから心の中ではどう思われているなんかわかったものではありません」
「…」
「あなたは…表面上だけの仲直りなんかで満足なのですか?」
返す言葉もなかった。男の一言一言が絶対性を持っているようにしか聞こえなくなってしまったのだ。
「楽しそうに暮らしているように見えて実は裏ではあなたの愚痴を言っている。そんなこともありえる中で暮らしていけるのですか?」
「そんなのは…確かに嫌だ」
「でしょう?」
「でも!」
真人はそれでも男の言葉を信じたくなく、それに対しわずかながらの抵抗をみせる。
「そんなことを言ったら…誰とも一緒にいることなんて出来ないと思います。それだったら普段一緒にいる人にも嫌われている可能性だってありえると言ってるようなものじゃないですか。そこまで言ったらキリがないですよね?」
「…ええ、その通りですよ。人間というのは本当に信頼しあえる仲などと言うものは初めからありえないのですよ」
「何を言ってるんですか。むちゃくちゃですよ、そんなの…」
「仮に、あなたのような美しい女性がいたとします」
男は論文を読むかのように説明口調で続ける。
「その女性をある男が好きになりました。さて、ここに愛はありますか?」
なぜいきなりこのようなたとえになるのか理解し難かった真人であったが、一応男の質問に答えようとする。
「…そりゃ好きになったのだったら、男の人には愛があると思います」
「では、女の人の気持ちも考えてみましょう。彼女はその男に好かれているとわかっていました。それでその男を悪く思っていなかったため、いっそと思い告白し付き合うことにしました。もちろん男としては願ってもないことですから晴れてカップル同士というわけです」
「…それがどうしたんですか?」
「そこに愛はありますか?」
先ほどと同じ質問に少しだけ戸惑うが、なるべく冷静に答える。
「両思いみたいなものですから…あると思います」
「本当にそうですか?」
「…そうじゃないんですか?」
「女性のほうには好きと言う気持ちはありません。あくまで嫌いじゃないから、です。最近の恋愛はみなそうです。軽い流れでの付き合い。謂わば遊びの恋愛…そんなものに愛なんてものがあるとでも?そんな恋愛の中でもキチンとしたルールを守っているなんてものが一番滑稽です。それで愛を知った気になってるのでしょうかね?」
「話がずれてるんじゃないですか?」
「確かにそうですね、じゃあ結論から申し上げましょう。恋愛なんてものも互いの利害関係から成り立っているものなんですよ。信頼の上に成り立つ?それすらも自分たちの愚かな解釈ですよ。相手が好きだから自分も好き。相手が子供が欲しいと言ったから生む。素直な愛のように見えますが、ただ単調な作業をしているだけでしかないんですよ。一番信頼としての理想の形である互いのことを思う恋愛こそが一番味気ないのです」
イマイチぴんとこなかったが、確かに男の言う言葉には力があった。人を悲しくさせる力が。
「理想は一つしかない。そのままの意味です。しかしこれが一番悲しいということを理解していない人が多すぎる。理想の一つ下を目指せば手に入るものは多いでしょうに」
「…」
「わかりますか?理想を求めるものが一番愚かなのですよ。理想を語るものが一番哀れ。その場その場に落ちているものを理想だと思って拾うことが一番楽なんですよ」
聞けば聞くほどに真人の心は蝕まれる。佐花と完全な仲直り果たすという理想の意味を見失いそうだからだ。
そんな理想を求めるよりも…この男についていくことを理想だと思うことが楽なのではないか?男はそう言っているのだろうと理解した。
口がもう開かない。完全に負けてしまった。こんなムチャクチャな理論に真人は一言も言い返せなかった。
手をぐっと握りしめ、唇を噛むことしか出来なかった。
「さぁ、どうしますか?悪いことはいいません。無理にとは思いません。あなたが決めることですから。ただ、私としては一緒に来ることが最善とは思います。私はあなたに来て欲しいのです」
男は柔らかい笑顔で手を差し出す。
「わ、私は…」
真人はその手を掴んでしまった。