EP9 黒のスーツの
「……そこであなたたちは何をしようとしているんですか?」
全身を黒のスーツに纏った、清潔そうな風貌であり。がらどこか怪しげな雰囲気の男は言う。相手は一人の少女だ。
「見てわからない? 援交よ、援交。ね、おじさん?」
まだ幼さを顔に残した少女は悪びれもなくそう返す。そして、付き添い歩いている中年男性に相づちを求めた。
中年男性はというと、あまりにもストレートに言われてしまったため正直困り顔であった。彼としては一応やましい行為だという自覚はあるらしい。
だが、開きなおったのかスーツの男に向けて強気な発言をする。
「あぁ、そうだ。よく言う援交だ。だが、なんだ? 貴様に関係あるのか? ワシは金を払ったんだ、彼女も文句はないはずだ。むしろ人助けだよ、人助け」
「なるほど、確かにそうかもしれませんね」
依然として落ち着いた態度の男。中年男性はその真意が見いだせず、気味悪く思った。
黒スーツの男は落ち着いた調子で続ける。
「ですが、待ってください。彼女はお金を払えば付き合ってくれるわけなんですよね。お金が欲しい理由があるから、生活に困っているから。だから人助け。そうですよね?」
何を当たり前な、と不機嫌な顔をする少女。
「そうよ、お金が欲しいからしてるのよ。悪い? どうせ私たち女の子の稼ぎ口なんてこんぐらいしかないんだし」
「しかし私はそれを最善とは思わないのです。いささか余計なお世話かもしれませんが」
「わかってるなら別にいいじゃない。私はね、これからお金払ってもらった分このおじさんにご奉仕しなきゃいけないの。だからもういいでしょ? さっさとどっか行ってよ」
中年男性の手を引きスーツの男から逃げようてする少女。しかし、男は逃さない。
「あなた……初めてなんじゃないですか?」
その言葉を聞いて身体をびくつかせる少女。図星であることを隠そうとはしなかった。
「強気には見えますが、弱さを隠しているようにも私には見えますね。まるで慣れていないような……」
「……だからなによ。私だって必死なのよ。あんたにとやかく言われる筋合いなんてないわ。私には、こうするしかないんだから……」
「度胸は認めます。しかしですね、もう一度言いますがそれは最善の方法ではありません」
「じゃあ、どうしろって言うのよ! 今から就職でもするために勉強しろっての?」
少女は怒気を利かせる。最後の手段として思い切ったのにも関わらず、歯止めを利かそうとしてくるからだ。少女としてはこれ以上心を揺るがせて欲しくなかった。
しかし、男はそんな少女に一歩も退かず、むしろ近づく。
中年男性に黒スーツの男は言う。
「あなたは何円で申し出ましたか?」
「え?」
いきなり何を……と言い返そうとしたが、質問の意味にそれ以上深い意味はなさそうなので多少戸惑うもののそのまま返事をする。
「十万だ……」
「ずいぶんと持ってらっしゃるんですね。管理職か何かでしょうか。まぁ、私は一般的な会社の管理職がいくらもらっているかなど知りませんが」
「なんだ、貴様……まさかワシを脅そうってわけじゃないだろうな。それだったら無駄だぞ! 今さらそんなこと一々気にしてたまるか!」
「脅そうなんてことはございません。ただ……」
スーツの男はスーツと同く真っ黒のスーツケースから封筒を取り出す。
「この少女を私が買い取りたいと思いましてね」
「なに?」
男は封筒を中年男性に渡す。中を覗けば、二十万円が入っていた。
「二倍です」
「だからなんだ」
「これであなたには手を退いてもらいたい」
「なんだと!」
中年男性は目を丸くする。しかし、この男性も実は今まで援交などをしたことがなく、女性との付き合いなどもない。汚い手とは言え、せっかく巡ってきたチャンスをそうそう手放そうとはしたくないのだ。
「ふん、十万だと? 笑わせるな。この子にはそれ以上の価値がある。こんだけでワシは……」
「よくわかってらっしゃる。いやはや少しだけ見くびっていました。申し訳ありません。あなたはなかなかモノの価値というものがわかっているようで」
その会話を聞いていた少女は自分をモノ扱いされたことに腹を立てている。だか、スーツの男はそんなことも気にはしない。
「女性には、お金なんかでは量れない価値があります。そうですよね? しかし、あなたはどう思っているのでしょうか」
そういってスーツの男はスーツケースを全開にする。
「なに!?」
中年男性の見たものは、スーツケース一杯の札束であった。一億はくだらないであろう。
「さて、どうなんですかね? あなたの中では一億と、女の子一人ではどちらが価値のあるものなんでしょうか」
中年男性は生唾を飲む。人生の中で初めてみる金額だからだ。これを十万を払った女と交換するというだけで……。
「……いいだろう」
「では、交渉成立ですね」
そう一言だけ言ってスーツケースを中年男性に渡すと、少女の手を引き颯爽と歩いていく。
「ちょっと! なに勝手に話つけてんのよ! 私の意志は?」
もちろんそんな勝手に進められた話に納得が行くわけがなく、少女はスーツの男の手を振り払う。
だが、男はそんなことには動じず、ただ、自分の意見を淡々と述べる。
「あんな汚らしい男に犯されても構わなかった、とでも言うのですか?」
あまりにもストレートな表現だったため、少女の威勢も弱まってしまう。
「そ、そりゃそうだけどさ……」
ちら、と中年男性の方を見る。先ほどの金を両手に握りしめ、喜びをありのままに感じているようだ。汚らしい、それは心にも言えたことだと、少女は思った。
今度はスーツの男を見る。体型は太過ぎず、細すぎず、身長も180はあるだろう。スーツは清潔さを存分に醸し出しており、先ほどの中年男性と比べれば差は誰が見ても歴然だった。
ただ、目はサングラスをかけているためまったく表情はうかがえない。だが、少女は思う、きっと整った顔をしているのだろうと。
「買い取る、とか言ってたわよね。一体どういうつもり? まさか、あんたが私を犯そうって言うの?」
だとしたら先程の男となんら変わりない。むしろ、見栄えのよさを利用し、あの汚らしい男よりもましだろう、といった具合に女を引き付ける、そんな腹ならより最低なヤツだ。そのような憶測でスーツの男を軽蔑の眼差しで見る。
「あなたが望むのであれば、それもなんとかしたいですが。残念ながら私の目的はそんなものではありません。私はただ……」
遠くを見つめるような視線をしてつぶやく。
「この国には、可哀想な女性が沢山いるようでしたから……少し幸せになっていただきたいだけです」
「……結局これから私をどうするのよ。」
「別にご自宅に帰っていただいても構いません。しかし、私は出来ればついてきていただきたいのです。女性が安心して暮らせる街、女性だけの街を私は創ろうとしています。よかったらあなたにも来ていただければ」
まぁ、あくまで私はあなたの意志を尊重しますが。男は付け足してそう言ったが、その言葉には何の意味もなかった。少女はもう答えを決めていた。
「そんなの簡単じゃないと思うけど? ……それでも保証してくれるなら行ってあげなくもないけど」
男はその言葉を聞いて軽く微笑むと、なるべく譲歩いたします、と言った。
「あんた一体何者なの?」
「私は」
男はなんのためらいもなく言う。
「私はただの誘拐犯ですよ」