約束
「あなた……その胸の首飾り……立派な宝石が付いているようだけど……」
ディアは少女に近づき、徐ろに手を伸ばす。
「駄目! 触らないで!」
少女は咄嗟にその手を叩き、王族以外には話せない筈の古代語を話す、怪しい女に言葉を合わせて叫ぶと、宝石を胸に抱えて守るように蹲る。
「ごっ……ごめんなさい! ごめんね! 奪おうとか、そういうつもりじゃなくて……」
ディアは、少女が宝石のせいで巨鴉に攫われたのではないかと、その背後の首無しの死骸を指差して説明する……。
「な……何!? この大きな生き物! きゃあ! これ、血よ! 血だわ! キャーーーー!!」
後ろを振り返り、死骸を見つめて、不思議そうな顔をして驚いた後、足元の血の海に気が付いた少女は発狂した。
「あなた名前は? どこから来たの?」
ディアは少女の事を、良く分からない不思議な、変な子だと思いながら、保護する為に身元を尋ねる。
「きゃー! 嫌ー! ……え? 私? 私は……南大陸……から……来ました」
冷静なディアの反応を見て、少女は落ち着きを取り戻す。
「私の名はティオ……ティオ・サウス! 南大陸の王の娘です!」
ティオは王家の人間らしく、落ち着き、胸を張り、堂々と威厳を示すような態度でそう答えた。
「ちょっ、ちょ、ちょ、ちょっと待って! お姫様? 南大陸? どこ? それ……? まさかヘルの事じゃ……無いわよね……」
ディアは、真剣な表情をしたティオの予想だにしない答えに、一瞬、混乱した後、頭を巡らせ質問を返す。
「ヘル? それは知りませんが……寧ろここは何処ですか?」
ティオは記憶を失いでもしているのかとディアは思った。
(困ったわ……。この子……)
この世界でヘルを知らない者などいる筈が無い。
「ここは西域、その辺境」
勿論、そこに誰も住んでいない事は分かっている。
自分の質問が馬鹿げているのも確かだが、南の大陸と言えばヘルしか存在しないのだ。
「この世界に南大陸なんて場所は無いでしょ!? あなた混乱してるの? お姫様って……もしかして、私をからかってるつもり!?」
ディアはティオがふざけていると考え、少し語気を強めて再び質問する。
「私は冗談なんか言ってません! あなたこそ馬鹿にして! 初対面なのに失礼じゃありません!?」
ディアはティオの迫力に圧倒されて面喰らう。
「私は白死海に落とされて! そうよ! ここはアビス? アビスでしょ!」
どうやらティオはふざけておらず、本気で答えているようだ。
「ごめんなさい。白死海? アビス? 何を言ってるのか全く分からない」
ディアは両手を挙げて後ろを向き、降参のポーズをする。
「一度、近くの村に帰らない? 宿を取ってるわ。依頼の報告もしなければいけないし、何時までもこんな所で話してるのもなんだから……」
ディアがそう言って振り返ると、死骸の向こう、蹲っている時には隠れて見えなかった東の空を見て、驚愕の表情を浮かべるティオが立っていた。
「あっ! あれは? あの巨大な壁は何!? それに、空一面に広がる……あれはまるで……白死海の白波……」
その瞬間、ディアの脳裏に愛する弟との会話が蘇る。
『姉さん……。俺……もしかしたら巨塔の上には、俺達のまだ見ぬ世界が広がってるんじゃないかって……夢見てるんだ。だから必ず、扉の先に一緒に行こう! 約束だ!』
ディアは一つの答えにたどり着く。
「アレス……あなたの言った通りだった」
「ティオ、ここが今、私達がいる西域。そして陸続きに上って北域。そのまま進んで東域。世界の南に浮かぶ大陸、これがヘル。そして東域の南端から細く伸びる大地を通ってのみ行けるのが、世界の中心にそびえる巨塔よ」
村に帰り宿の酒場で食事を取りながら地図を広げて、ディアはティオにこの世界の事を教えている。
「私達がヘルや他の地域に海上を通って渡る方法は無い。この世界の海は陸から離れていく程、巨大な水中モンスターが住み着いている。巨塔は塔とは言っても実際にはヘルの大陸と同じくらいの大きさがあって、高さだけじゃなく縦横に広い。ヘルと巨塔は海の下で地底を通って繋がってる。この世界に住むモンスターはヘルで生まれ、そこを通って巨塔の入り口から出てきたり、海や空を渡って世界に広まった」
ティオは口にパンを頬張り、スープで流し込みながら食い入る様に話を聞いている。
「巨塔の中の環境がモンスターに適してるらしく、モンスターが沢山、棲息していて、モンスター同士の食物連鎖の末、弱いモンスターは巨塔から溢れ出てくるから、近くの街の冒険者が外で退治してる。その結果、巨塔の中では、上に行く程に選別され生き残った、強力なモンスターが住み着いてる」
ティオは肉を口一杯に詰め過ぎて飲み込めず、苦しそうな顔で頷く。
「巨塔の壁面を登って上を目指そうとした者もいたみたいだけど、壁面には巨大な怪鳥が住み着いているし、絶壁を登れる程の道具は無いし、休む場所も無いから体力が持たない。世界の成り立ちについては誰も知らないけど、巨塔の最上階にある扉を開けば、世界の秘密が解ると伝説では言われているわ……」
それを聞いたティオは目を見開き、口の中を急いで飲み込む。
「そして、ここからが本題よ。あなた、もしかして巨塔の上から来たんじゃない?」
むせるティオの背中を擦りながら、ディアは自らの推測を語り始める。
「巨塔の扉の先に、ティオ、あなたの住む世界があって、そこから落ちてきたあなたが偶然、宝石を身に着けていた為、巨鴉に捕まった。あなたが白波と言っていたのは、こちらでは雲って言うの」
ディアは巨塔から西域まで巨鴉に運ばれたとはいえ、かなりの距離がある為、ティオはお腹を空かせていたのだろうと思う。
それを聞いたティオは、ディアと目を見合わせ大きく縦に首を振り口を開く。
「きっとそうだわ! その通りかも! 今、あなたと喋っている言葉はいつも私が話してる言葉とは違って、本来、王族しか話せない古代語なの! それに私達の世界にあんな恐ろしい動物はいなかったわ!」
ティオは首飾りを手に取りディアに渡す。
「私達の世界には神聖な神殿があって、その首飾りを鍵にした扉がある。邪悪な者が出て来るから、決して開けてはならないと言われていたわ。あなた達が言う巨塔の扉って、もしかしたら……」
それから二人は自らの生い立ち、お互いの世界、今日に至るまでに起きた出来事を語りあった。
「……だから私は国に帰らなければいけない! 扉を開いてはいけなかったのだけれど、あなたの話を聞くと、ヘルのモンスターが言い伝えに聞く邪悪な者だったのかも。でも、このままだと私達の世界は北王に支配されてしまうわ。それに、あなたは扉の近くまでたどり着いた事があるんでしょ? ディアとなら、邪悪な者を通す事なく扉を通って国に帰る事も、北王を倒す事も出来るかもしれない!」
ティオは必死にディアに助けを求めた。
「……」
ディアは複雑な感情を抱いていた。
ティオの話の通りなら、もしあの頃、扉に触れる事が出来てたとしても、鍵が無ければ結局、自分達は頂上に辿り着けなかったと言う事だ。
それでは何の為に弟は命を落としてしまったのか……。
「ディア! あなたはこの世界で一番強い戦士なんでしょ? お願い! ディア! 私を助けて!」
ティオの悲痛な叫びを引き金に、項垂れるディアの脳裏に再びアレスの言葉が蘇る。
『えっ? なんで剣じゃなく盾を選んだのかって? 姉さん……。俺は弱ってる人や助けを求めてる人、そんな誰かを護れる強さが欲しかったんだ! 勿論、姉さんの事も俺が守るよ!』
ディアの閉じた瞳からテーブルのスープへと、涙の雫が溢れて混じる。
『だから姉さん! その時は俺の分まで姉さんの力で悪い奴らを叩き潰してやってよ! 約束だよ! ディア!』
顔を上げ涙を拭い立ち上がると、ディアはティオに近付いて頭を撫でた。
「ティオ! 大丈夫! 全部、私にまかせろ!」
読んでくださってありがとうございました。