88 あれから十年
エルマイナ孤児院の中には英雄の墓石が建っている。
悪しき者から世界を救った英雄の一人がそこに眠るとされている。
なぜ孤児院の中なのか、疑問に思う人々は居るだろうが理由はある。どこに墓石を建てるか誰もが決めかねていた時、彼が育った場所にしようと仲間の女剣士が告げたのだ。墓石が建って以来、稀に彼のことを知った者が訪ねて来ては、祈りを捧げて帰って行く。
「……君が居なくなってから十年も経ってしまったな」
墓石のある小さな狭い部屋で、長い金髪の女性が寂し気な笑みを浮かべる。
「この十年、様々なことがあった。しかし、君と共に居た時間と比べたらあっという間だった気がする」
長い金髪の女性、イーリス・ソルトラックは語る。
「先月、エルさんが亡くなったよ。悔い一つないような安らかな顔をしていた。やりたいことを死ぬまでやったのだろう。孤児院のことは安心してくれ。意外に思うかもしれないが、私がエルさんの代わりに院長となったからな。私がやりたいと告げて、皆納得してくれた」
元々孤児院でエルの手伝いをしていたので仕事には慣れている。反対意見を出す者は誰も居なかった。剣技に長けているので悪党が来ても返り討ち。暇な時には子供に護身術の指南をしたりしている。今やイーリスは子供達から慕われる院長だ。
「今の私が居るのはエルさんと君のおかげだ。君達と関わらなければ私は魔人全てを憎み続けていたし、アリエッタも殺していた。深く感謝している。だから、エルさんと君の居場所である孤児院の力になりたかったんだ。ふふ、似合わないと君は笑うかもな」
「――笑わねえけどよ、確かに似合わねえな。てっきり騎士団にでも入るのかと思っていたぜ」
「ああ、君が生きていたらきっとそう言う……え?」
笑みが崩れたイーリスが振り返ると、二人の男女が立っていた。
頭部に二本の角が生え、尖った耳を持つ少女。そして透明な体の大柄な男。
「あの、どうも」
「よっ」
「あ、あ、あああアリーダ!? い、生きて、透けて!?」
イーリスは戦慄する。
少女に見覚えはないが、男の方は見覚えのありすぎる顔だ。どこからどう見ても死んだはずの英雄アリーダ・ヴェルト本人。生きていた当時は透けていなかったのになぜ今は透けているのか。そもそも十年何をしていたのか。疑問が次々と湧き上がってくる。
「十年振りだなイーリス。しっかし服も女っぽくなっちまって違和感ありまくりだなあ」
「ほ、本当に君なのか! どうなっているんだその体は!」
「いやあ、ムーランをぶっ殺した後に気い失って、目覚めたら精霊界っつう別世界に居たもんだから焦ったぜ。どうやら俺、精霊と魂が混ざったみてえでよ。今の俺は人と精霊の中間みてえな存在なわけよ。すぐこっちの世界に戻りたかったんだけど、誰かに召喚されるのを待てって精霊の王様に言われちまってさ。一年前にようやく召喚されて戻って来たってわけ」
精霊と魂が混ざるってなんだ。
人間と精霊の中間ってなんだ。
精霊の王様ってどんなだ。
情報量が多すぎてイーリスの理解力が付いていけない。
「あ、こいつ俺の契約者のフィオン・ヤーゼオラ」
「フィオンです。初めまして」
「は、初めまして。イーリスです」
丁寧に頭を下げたフィオンにイーリスも頭を下げる。
難しいことを考えるのは止めた。アリーダが、大切な仲間が生きていたことだけ分かっていればいいのだ。会って話が出来るだけで心が満たされ、こんなにも嬉しいのだから。
「みんなに会いたかったんだがここには居ねえか。お前とだけでも会えて良かったけどよ。みんな今何してんだ?」
「……アリエッタは帝国城で兄と共に皇帝の補佐。ミルセーヌ様は今じゃ女王様だ。ギルドにはギルドマスターとしてキャリーさんが帰還し、アンドリューズさんは新人育成担当になったよ。セイリットは新生コエグジ村で自由に暮らしているらしい。ルピアは外交官として働いていたな。ジャスミンは行方不明だ」
変わったのはイーリスだけではない。十年という長い時間の中で、みんなそれぞれ自分の目標に向けて突き進んでいる。イーリスも孤児院経営資金を得るためではあるが、有名な彫刻家としても活動している。
「そうか……行方不明? あいつ行方不明なの?」
「十年前の一件後、王国に帰ってすぐ修行の旅に出てしまったよ。今何をしているのかは妹のルピアですら知らない。死んではいないと思うがな。どこで何をしているんだか」
もしかしたらジャスミンは、どこかでフィジカルアンチスライムを殴っているのかもしれない。フィジカルアンチスライムを殴り殺すことが彼女の目標なのだから。
「あのゴリラは心配無用だろ。まあ、みんな元気そうで良かった。シスターエルの墓はどこにある? 墓参りしたら出て行く。俺だけなら長話したがフィオンも居るしな。今やりたいことを探して旅してんだ俺達」
「なら時間は無駄に出来ないな。案内しよう」
前院長であるエルの墓は町の共同墓地に作られている。
共同墓地に向かう途中ですれ違う町の人々は、透明なアリーダを見て驚いていた。幽霊のような男が墓地に向かったら恐怖する者も居るだろう。中には塩や十字架を投げてくる者まで居る。
「ああそうだ、君がここに来たことをみんなに知らせておこう。みんな驚くぞ」
「待て待て、教えなくていいぜ。サプラーイズってやつよ。後ろから近付いた俺が手で相手の目を隠してよお、だーれだって言ってやりたいんだよ。くっくっく、驚く顔が今から楽しみだぜ」
「ふっ、君らしいな」
町の共同墓地へ着いたイーリス達はエルの墓に祈る。
「イーリス、孤児院のこと、よろしく頼むぜ」
「任せておけ」
「……元気でな」
「ああ。そちらもな」
手を振ったアリーダとフィオンが遠ざかっていく。
十年振りの再会にしては短い時間だった。少しだけ、孤児院に留まってくれたらと思っても口には出せなかった。自分だけ彼と過ごすのはズルいという気持ちもあったからだ。
「……そういえば、帰って来たら言いたいことがあったな」
十年前、事情があったとはいえ勝手に消えた仲間に一言。
文句や世間話の前に言っておかなければいけない言葉だった。
「おかえり」




