86 全てを滅ぼす怪物
帝国城三階、玉座の間。
この場所へ辿り着くまでにムーランの部下数人と戦闘になったが、アリーダ達は余裕で突破。ゼラがイーリス並みに強かったおかげだ。体力も魔力も余裕を残して黒幕と対峙出来る。
玉座には一人の魔人が座っていた。
灰色の肌。濁った瞳。情報からして彼こそムーラン。
「驚いたな。あの牢屋から外に出られるとは」
「テメエがムーランだな?」
「いかにも、俺がムーランだ。そういう貴様はアリーダ・ヴェルトだな? 王国の内乱では貴様と貴様の仲間が活躍したと聞いている。今ではギルドの最高ランクまで上り詰めたとか。貴様等の目的は理解している。俺を捕らえるか、殺すか、そんなところだろう。だが予め不可能と言っておく。貴様等にも、この世の誰にも、俺を殺すことなんて出来やしない」
「あー、なるほどね。それを持ってたのかよ」
ムーランは右腕に虹色の腕輪を付けていた。
精隷輪具。微精霊を内部に取り込み、強制的に魔力を引き出して魔法の威力を底上げする道具。使えば中級魔法が上級魔法以上の威力に強化される。王国ではサーランや魔人殲滅部隊が身に付けていたのでアリーダ達もよく知っている。
「ハッタリだ。ムーランに戦闘能力はない」
自信たっぷりにゼラが言い切る。
「そう思うのは貴様だけのようだぞゼラ皇子」
「何?」
「ゼラさんはまだ知らなかったのか。精隷輪具」
「気を付けてくださいお兄様。ムーランが付けている腕輪は、誰でも上級並みの魔法を扱うことが出来ます。油断は出来ません」
そう、油断は出来ない。だが負けはしない。
アリーダ達五人の戦闘能力なら、上級魔法を容易く使う敵にも充分勝てる。敵の魔法に直撃すれば命の危険はあるものの、五人の戦闘経験や技術があれば回避出来る。
「ふっ、勘違いするな。貴様等もこの道具の真価を知らん。サーランはこの道具のことを何も理解していなかった。人間も魔人も、戦争させて苦しませようと思っていたが予定変更だ。俺自身が二種族を皆殺しにしてくれよう!」
「真価、だと? うっ、ぐお!?」
アリーダは激しい頭痛に襲われて膝を付く。
「どうしたアリーダ!」
「まさか、奴の攻撃か!?」
「アリーダさん、しっかり!」
攻撃ではない。ムーランが付けている精隷輪具から、微精霊の悲鳴が何重にも重なり合って聞こえる。何千何万という微精霊の絶叫が鳴り止まない。まるで断末魔のフルコース。アリーダだけに聞こえるのは精霊談術の影響だ。
「……微精霊の悲鳴が、聞こえる。鳴り止まない!」
「精霊共よ! 俺の力となれえええええ!」
突如としてムーランの肉体が膨れ出した。
彼の表情は苦痛に塗れ、錯乱したように暴れ出す。
「ぐおおおおおおおおおおおああああああああああ!」
「なっ、ムーランの体が……」
「いったい何が起きている!」
「――吸収だ」
仲間が困惑する中、アリーダだけは状況を理解している。
微精霊が叫ぶのだ。ムーランが何をしているのかを。
「数え切れない数の微精霊を、精隷輪具を通して肉体に取り込んでいやがる。ヤベえぞ。微精霊に拒絶反応を起こした肉体が変化しているんだ。もしかしたら、適応しようとしているのかも。もし適応しちまったら奴は……人智を超えた存在になる」
「恐怖するがいいいいいい! 差別の歴史、欲望に塗れた人の過去、それらから生じた憎悪! それが俺だ! ぐううううううっ、俺の望みは人々の殲滅のみ! 目的さえ果たせれば俺はどうなってもいいごあああああああああ!」
ムーランの体は徐々に膨れ上がり、天井を破壊した。
アリーダ達から見えるのは短くも極太の脚と、巨大なボールのように丸く膨らんだ腹の一部のみ。肥大化したムーランはおそらく帝国城に近い全長である。あまりの巨体に耐えきれず床には亀裂が入り、壁にも広がって崩壊していく。
「ギュアアアアアアアアアアアアアア!」
野生の獣のような雄叫びが帝国城全体を揺らした。
「どんだけ大きくなってんだいあいつ!」
「マズい、奴のせいで建物が崩れるぞ!」
「に、逃げろおおおおおおおおおおお!」
崩れゆく城に残れば潰されるだけだ。
アリーダ達は大慌てで階段を下りて城を出る。
脱出してすぐに城は崩れ落ちてしまい、城があった場所には一体の怪物が存在していた。限界まで膨らんだ風船のような上半身。腕は脚よりは細いが、普通の人間や魔人の数百倍は大きく太い。顔も大きくなっていて、目からは血涙を流している。
常識外れな容姿に唖然とするアリーダ達のもとへ、先に城を出ていたアンドリューズ、セイリット、アレクセイの三人が駆け寄る。中の様子を知らなかったのでアリーダ達よりも戸惑っているだろう。
「何が起こった!? あの怪物はなんだ!」
「簡潔に説明するぞ。ムーランが微精霊を体内に吸収して、化物になっちまったんだ! おそらく自我も残ってねえ正真正銘の化物だぜアレは!」
「……吸収。精霊の悲鳴はその時のものですか」
「城を破壊する怪物……まるで、悪夢だな」
アレクセイの言う通り悪夢のような存在。
城を簡単に壊す体の頑丈さと大きさで暴れれば、数日で帝国領土に住む魔人が全滅する。今までアリーダ達が見たどんなモンスターよりも化物。放置すればムーランの宣言通り人間も魔人も皆殺しにされてしまう。
逃げたいところだが逃げ続けても事態は好転しない。そもそも最初から、大切なモノを守りたいなら逃げるわけにはいかないのだ。家族を、友人を、今まで出会った人々を殺されたくないなら立ち向かうしかない。
「アレを放置したら帝国どころか世界が滅茶苦茶になっちまう。どんな手を使ってでもぶっ殺さねえと生物が絶滅するぜ。おら喰らえや〈電撃〉!」
アリーダの指から電気が走り、遠くのムーランにまで到達。
分厚い腹部に〈電撃〉が直撃したもののムーランは無反応だ。
「くそっ、気にも留めねえあの野郎!」
「なら私が上級魔法で攻めます!」
「俺も力を貸す。合わせろアリエッタ!」
「〈灼熱太陽〉!」
「〈雷光爆〉!」
巨大な火柱がムーランの巨体を持ち上げ、腹部全体を雷光が包む。
「〈超竜巻〉!」
さらにゼラが使った魔法で巨大な竜巻が発生。
瞬く間に火柱と雷光は風に乗り、火と雷を纏う巨大竜巻がムーランを襲う。全力で放たれた上級魔法は災害だ。もし人がこれを喰らえば生存出来る者は極僅かである。
「凄まじい攻撃だ。これならダメージも……」
イーリスの呟きをゼラが「いや」と否定する。
ムーランが咆哮して、火と雷を纏う巨大竜巻が霧散した。
遠いので傷を与えたのか不明だがまだまだ元気に見える。
「残念だがダメージがあるようには見えないな。俺とアリエッタの上級魔法でも効かないとは。奴に魔法は効かないのか? それとも威力不足なだけなのか?」
「なら!」
「打撃で攻める!」
ジャスミンとアンドリューズがムーランの腹部へと跳び上がり、渾身の蹴りを入れた。回避しようともしないムーランの巨体は衝撃で後退して、倒れそうになったがギリギリで堪える。
「お、おおすげえ!」
「本当に人間なのかあの二人は」
ムーランが雄叫びを上げながら二人に殴りかかる。
空中ではさすがの二人も回避出来ない。しかし、咄嗟の判断でアンドリューズがジャスミンを蹴って攻撃範囲の外へと飛ばした。そのせいで彼一人が巨大な拳を受け、勢いよく殴り飛ばされた。地面に衝突した彼は地面を抉りながらアリーダ達の方へ転がる。
「はっ!? お、オッサン! 大丈夫か!?」
「……ぐ、うう……体が動かん。まさか、あれ程のパワーだとは」
「ごめんマスター代理! アタシを庇ったせいで敵の攻撃を……」
アンドリューズの肉体は激しく損傷していた。
両腕は折れ曲がり、肩から背中は抉れて筋肉が見えている。
アリーダとセイリットは精霊談術で生命属性の微精霊に語りかけ、アンドリューズの治療を頼む。さらにイーリスが〈超治癒〉で回復させていく。
「アリーダ、何か、何か策はないのか?」
「急に言われたって何も……」
アリーダはイーリスの期待する目から顔を逸らす。
アリエッタの魔法が効かない時点で魔法攻撃は効かない。
ジャスミンの蹴りが通じない時点で物理攻撃は効かない。
打撃も魔法も効かない敵を打ち倒す方法なんてあるわけがないのだ。いくら考えても無駄と思いつつも思考を止めなかった結果、脳裏を過るのは先程のアリエッタの魔法。アリーダの頭にムーランを倒す可能性が僅かに浮かび上がる。
「いけるか? おいゼラさんよ、一番近い湖はどこだ。湖じゃなくても、大量の水がある場所ならどこでもいい。どこか、何かねえか?」
「東に数キロメートル進むとにダムがある。それがなんだ?」
「よし策は決まった。ジャスミンとイーリスはオッサンと皇帝様を連れて、今の危機的状況を多くの奴等に知らせてくれ。残りは俺と一緒にムーランをダムへと誘導するぞ」
仮にアリーダ達がムーランを倒せなかった場合、次に襲われるのは近場の魔人達。ムーランの巨体を遠くから見て不安がる住民に知らせる必要がある。戦うにせよ、逃げるにせよ、覚悟を固める準備をしておけと。
「信じているぞアリーダ。君なら、奴を倒せると」
「戦いたいけど、アリーダの指示なら従うかね」
「あの、私も彼女達と共に」
「セイリットは必要なんだよ。悪いが付いて来てくれ」
アリーダ達は二手に分かれて進む。
走るアリーダ達、イーリス達を見下ろすムーランは交互に視線を彷徨わせ、体をイーリス達の方へと向けた。視線はもうブレない。先程の蹴りに怒っていたのかもしれない。
「なっ、あの野郎、俺達の方に来ない!」
「どうするんですか? これじゃ誘導なんて」
「こうなったらアレしかねえ」
アリーダは深く息を吸い込む。
「おーい、バーカバーカ! お前のその醜いデブった体じゃ誰にも追いつけねえだろ間抜け! 頭は退化しちまったのかあ!? お前の弟はバカでカスでクズだし、兄のお前も同じなのかあ!?」
あからさまな挑発だがムーランの顔がアリーダの方へ向く。
挑発のおかげかムーランはアリーダ達を追って来た。しかもイーリス達を追う時よりも速い。怒りを感じている証だ。微かに自我か感情が残っているのだろう。
「うわっ、こっちに来ましたよ!」
「逃げろおおおおおおお!」
敵に追いつかれないようアリーダ達は思いっきり走る。
「おい、ダムに行って何をする。奴を倒すのに水が必要なのか?」
ゼラの疑問は尤もだ。アリエッタとセイリットも同じ疑問を目で訴えている。特にセイリットは本当に自分が必要なのかと疑い、睨むように目が鋭い。
「なあゼラさんよ。アンタ、空の上には何があるか知ってるか」
「空の、上? 星か?」
「学者が言うには漆黒の闇が広がり、そこに数え切れない星々が存在しているらしい。そこは宇宙と呼ぶ。そこへ行った生物はすぐに死ぬ。生物が生きていられない空間なんだってよ」
「まさか、その宇宙に……」
「そうさ! ムーランをこの大地から宇宙へ追放する!」
打撃も魔法も効かない敵相手に全員で勝つ策である。
先程のアリエッタの〈灼熱太陽〉はムーランを持ち上げていた。つまり、もっと強い衝撃を与えられれば空の彼方まで吹き飛ばすことが可能。……あくまで理論上はの話だが。
「魔法による水の砲撃で奴を飛ばすのか。しかし、水量が足りるかどうか。そもそも宇宙とやらが本当に生物が生きられない空間なのかも分からない。成功するかは賭けになるな」
「学者ってのは人間だ。それでも信じるかい」
「言っただろう。もう人間への憎しみはない。信じるさ」
走り続けたアリーダ達はダムに辿り着いた。




