82 帝国領土到着
終章です。王国の話よりも遥かに短いです。
大きな馬車が一台、空気を切り裂きながら鉄橋を走る。
広大な海の上にある鉄橋の景色は見渡す限り真っ青だ。綺麗な景色だが、もう一時間も同じ景色なので飽きている。陸は……デモニア帝国の領土は未だに見えない。
アリーダ・ヴェルトは仲間と共に帝国へ向かっている。
王国へと進軍中の帝国の兵を、戦争を止めるために。
「暇だなー。なあアリエッタ、セイリット、帝国ってどんな景色?」
仲間内で帝国出身の二人にアリーダが問いかける。
肩下まで伸びた黒髪の少女、アリエッタは「うーん」と首を傾げて考える。どんな景色と聞かれても即答は出来ない。アリーダだって王国がどんな景色かと聞かれても答えはすぐ出ないだろう。口で説明するのは難しいものだ。
「王国とあまり変わらないと思いますよ?」
「街並みはそうですね。ですが土は赤いし、砂漠地帯が王国より多いですし、植生も全く違います。帝国の文明レベルは高度なものですけど、自然環境は王国の方が上ですよ」
詳しい説明をしたのは白いローブ姿の女性、セイリット。
彼女の説明でアリーダは嫌そうな表情になる。
「マジかよ、砂漠多いのか。もしかして暑い?」
「そうですね。王国よりは」
「うっへええ、俺暑い場所嫌いなんだよね。イーリスも嫌いだろ?」
唐突に話を振られた金髪の女性は戸惑う。
「え、私か? 別に嫌いではないが」
「鉄の鎧着てると暑いの辛いだろ。今から脱げよ」
「なぜ脱がねばならないんだ。君が私の体を見たいだけだろ」
冷めた表情のイーリスにアリーダは「悪い悪い」と謝る。
空気が微かにしか悪くならないのは仲間としての絆があるからだろう。
「おいみんな!」
馬車の上に居る短い赤髪の女性、ジャスミンが叫ぶ。
彼女が一人だけ上に座っているのは席が足りないから……ではない。狭くても座るスペースはある。それでも上に乗るのは、信じ難いことに筋トレするからというとんでもない理由だった。彼女曰く迷惑を掛けないよう無音で筋トレするのも、負荷が掛かって良いトレーニングになるとか。
因みに席は三人座れる椅子が二つ。
セイリット、アリエッタ、イーリスの女三人が一つに座り、もう一つにはアリーダとアンドリューズの男二人が座っている。ジャスミンが馬車の中に来るなら必然的に男の隣だ。それが嫌だったのかもとアリーダは勝手に思ってしまう。
「帝国領土が見えてきたぞ!」
「マジか! どれどれ」
アリーダが窓から顔を出して前方を見ると、巨大な島のシルエットがうっすら見えた。帝国領土のスモーラ大陸は王国領土のビガン大陸より小さいとはいえ、人の目から見ればとても大きく見える。戦争阻止という目的さえなければワクワクしただろう。
「道のりの半分は過ぎたな」
ただ純粋な旅行だったらどれだけ良かっただろうか。
「帝国に着いて戦争止めたら……その後は」
苦楽を共にした仲間のアリエッタは帝国の皇女。
いつまでも王国のギルドでは働けない。今回の一件が無事に片付いたら彼女は皇女として元の居場所に戻る。そうなれば永遠の別れではないが、再会はとても難しい。彼女にとって帰るのは良いことのはずなのにアリーダは喜べない。叶わない願いと分かっていながらも、もっと長く同じパーティーで活動したいと思ってしまう。
――時は経ち、約一時間後。
鉄橋の終わりとなる関所が近付く中、ジャスミンが異変に気付く。
「あれ、おかしいね。関所の門が……開いてる?」
王国も帝国も関所の鉄製の門は常時閉めている。
二国の仲が悪いからだ。王国は魔人を、帝国は人間を嫌う者の方が多い。過去には互いの国を襲う過激な者達が関所を通り、罪のない人々を襲った事件も多数ある。そういった事件を繰り返さないよう関所の門は閉じられているはずなのだ。
「暗殺部隊が通ったからじゃねえの?」
「いえ、私が通った後は閉めましたよ。暗殺部隊は無関係です」
「ジャスミン。馬車を止めてくれ」
アンドリューズの指示に従い、ジャスミンが馬車を止めようとする。……力尽くで。
馬を操る乗馬の技術なんて彼女にはなかったのだ。車体を前から押し戻そうと全身に力を入れると段々速度が落ちていき、十秒程度で完全に停止。二頭の馬は彼女の力に驚き、怯えて足を止めた。
「……お前、なんつう止め方してんだよ」
「馬を操ったことなんてないんだ。しょうがないだろ?」
とりあえず馬車は止まったので全員が降りる。
「アリーダ、頭の良い君なら門が開いている意味を理解しているな?」
アンドリューズからの問いにアリーダは「まあ」と口を開く。
帝国領土に入るための門は、逆に出るための門でもある。王国から帝国へ渡ろうとしたのはアリーダ達のみ。つまり帝国から王国へ渡ろうとした何者かの仕業。戦争のために帝国の軍隊が進軍しているらしいので、近くまで来て門を開けたと考えれば納得がいく。
「帝国軍が近くに居るかもしれねえな」
アリーダの発言にアンドリューズ以外が驚く。
「そんなっ、もうこんなところまで来ているなんて」
「しかしこちらには皇女のアリエッタが居る。戦いを避けられるのではないか? それにいずれは説得するために接触しなければいけない相手だ。早く会えるのは幸運なのでは?」
「そういう考え方もあるが警戒は必須だ。私が先頭を進もう」
アリーダ達はアンドリューズを先頭にして徒歩で進む。
関所を抜けた瞬間に攻撃される可能性もある。注意しつつゆっくりと進み、アンドリューズが関所の門を通過した。その瞬間、彼は横を見て目を見開く。彼にしては珍しい反応を見たアリーダ達は緊張感が強まる。
「おいオッサン、どうした!」
アンドリューズはアリーダ達へと振り向く。
「みんなよく聞け。門を開けたのは帝国軍ではない。味方だ」
「味方だあ? 帝国に知り合いでも居たのかよ?」
「――やあ、久し振りだねアリーダ君」
大きな門の横から一人の男が出て来て、アンドリューズと並ぶ。
剣を腰の左右に二本ずつ下げ、背中には六本も背負う男。特徴的な剣だらけの彼とアリーダは一度会ったことがある。今やアリーダもそうだがSランクパーティーのリーダーだ。
「あ、アンタは、十剣のシルバーじゃねえか!」
十剣の異名を持つ男、シルバー。
Sランクパーティー『ブレイブソード』のリーダーであり、ギルドで知らぬ者は居ない程の有名人。どんなモンスター討伐も華麗にこなし、雑誌のモデルも務めている。彼や彼のパーティーに憧れてギルドに入る者も少なくない。
「おお、シルバーか。懐かしいね」
「ジャスミンも久し振り。他の子は初めましてかな。僕は十剣のシルバー。ギルドではSランクパーティーのリーダーをやっている。君達の目的や王国内での戦いは知っているよ。大変な思いをしたね」
「なんでアンタが帝国に居るんだ? 忙しいんじゃねえの?」
「まずは関所を通りなよ。僕よりも説明に適任な人が居るから」
言われた通りアリーダ達は鉄製の門を通過する。
景色は一変した。赤茶色の大地がどこまでも広がり、枯れ木がいくつも存在している。さらに、なぜか多くのテントが張られていた。少ないが人間が生活していて小さな集落のようだ。これが異常な光景なのはアリエッタやセイリットの驚く顔が教えてくれる。
「せ、関所の前に、テントが沢山」
「人間が生活しているんですか? なぜ?」
「全て説明するさ。これから会う人がね。付いて来てくれ」
シルバーが歩き出したのでアリーダ達は付いて行く。
戸惑いながらも彼の後ろを歩いていると大きなテントに辿り着く。高さが八メートルはあり、横幅も二十メートルはある。アリーダ達が今までに見たテントで一番大きい。
「ギルマス、客が来ました。入りますよ」
シルバーと共に全員がテント内へ入る。
猫。猫。猫。様々な場所で黒猫が寛いでいる。
その中でも一際大きな人間大の黒猫が立ち上がり入口に目を向ける。一瞬黒猫かに思えた彼女の顔は人間のものだ。首から下は黒い体毛がびっしりと、尻からは猫のような尻尾が生えていた。
「君達に紹介するね。彼女が王国のギルドマスター、キャリーさんだよ」
十歳程度に見える少女はギルドマスターであり、魔人だった。




