77 正面突破
ヒュルス王国大臣のサーランは紅茶を飲んで寛いでいた。
今頃は反乱分子をフェルデスが皆殺しにしている頃だ。敗北は考えない。彼は最強の魔法使い、最強の人間。彼より強い人間が居ると聞いても信じられない。そういう訳でサーランは勝利を確信している。
――優雅な一時を邪魔するノックの音が響く。
「誰だ? 入れ」
「失礼します」
部屋の扉を開けたのはサーランの部下の一人。
フェルデスが率いた魔人殲滅部隊は半数であり、残りは王都に残している。王女や皇女が王都に向かっているからだ。王女と国王が会うのは必ず阻止しなければならない。自分が帝国大臣と繋がっていて、戦争を企んでいるなんて話されたら一気に信用を失う。
「報告します。王女ミルセーヌ、皇女アリエッタが王都に近付いています。二人の護衛であろう者は女二名。どちらも指名手配中の人間です。女剣士がイーリス・ソルトラック。もう一人の女がジャスミン。実際に見た者によればかなり強いようです」
「はっはっは! 笑わせる。たった四人で何が出来る? しかもミルセーヌは戦闘力など皆無。戦力たったの三人で突撃でもする気か? ああ、奴等は自分達の作戦が筒抜けなことを知らないんだったな。奇襲を仕掛けるつもりだったのかもなあ」
「我々はどうしましょうか」
「はっ! お前達魔人殲滅部隊は城に残れ。敵の捕縛は騎士団とギルドの連中に任せればいい。お前達は戦いが終わった後ミルセーヌとアリエッタを始末しろ。ただし、ミルセーヌはあまり傷付けずに殺せ」
「了解」
紅茶を飲み干してサーランは立ち上がる。
「私は王のもとへ行く。いいか、くれぐれもミルセーヌを玉座の間に近付けるなよ」
サーランはテーブル上に置かれた虹色の腕輪、精隷輪具を左腕に付けて部屋を出た。彼の心はまだ平穏だ。何しろ彼と彼の部下には、ムーランから送られた精隷輪具がある。適性を無視して上級魔法を使える力がある。敗北など考える方がおかしい。
不敵な笑みを浮かべながら彼は玉座の間へと向かう。
* * *
王都に辿り着いたイーリス達は王城近くまで来ていた。
王城入口は見えているというのに足は動かない。王城前の道には現在、ギルドと騎士団の人間が大人数待機していた。正面から進めば大勢の実力者から襲われてしまう。なんとか戦わずに切り抜けたいイーリス達は住宅の後ろに隠れ、しばらく様子を窺っている。
「困ったね、こりゃ。戦いは避けられないか」
「一般人はどこかに避難しているようだ。彼等は実力を十全に発揮して私達を捕縛、もしくは殺害しようとするだろう。私、ジャスミン、アリエッタの三人であの大人数を相手にするのは厳しい。戦わずに突破したいが……」
何も解決策を思い付かない。アリーダなら何か考え付いたのだろうか、とイーリスはこの場に居ない彼のことを考える。
「みなさん、一つ提案があります」
声を上げたのはミルセーヌだった。
「正面突破しましょう」
「なっ、いや、それは無茶でしょう」
「ミルセーヌ様を守りながらでは、私も無理だと思います」
「うーん、アタシ一人なら突破出来るか?」
ミルセーヌを隠したまま三人で特攻しても、二百人以上の大人数を倒し切るのは不可能に近い。しかも、極力殺しを避ける甘さを捨てればと注釈がつく。
敵対する者を殺すのは良くない。人道に反するとか、殺人を嫌っているからとかではなく、作戦が破綻する可能性が出るからだ。
今回イーリス達がやらなければならないのはヒュルス国王グンダムに真実を知らせること。大臣サーランが戦争を企んでいること含め、多くの真実を知らせなければならない。だが真実を語るうえで欠かせないのが信用度。人殺しが語るか、誰も殺していない人間が語るかで信用度は大きく変わる。
「私が説得してみます。アリエッタさんはコエグジ村の方々を説得してくれましたよね。今度は私の番です。戦わず、道を譲ってくれるよう説得してみせます」
「ですが失敗すれば……」
「いいじゃないかアリエッタ、やらせてみよう。他に手はないしさ」
「確かに他に手はない。ミルセーヌ様を信じるしかないか」
「……分かりました。私も信じます」
期待の視線を受けてミルセーヌは一人で表通りへ出て行く。
真実はどうあれ今のイーリス達は犯罪者。ミルセーヌと共に登場すれば相手が不信感を抱き、話を真剣に聞いてくれないかもしれない。成功率を上げるためにも単独での会話が重要だ。
ギルドと騎士団の人間がミルセーヌに気付く。
「あれは、王女様?」
「情報通り来たのか。しかし一人?」
ミルセーヌの登場で集団がざわつく。
「私はミルセーヌ・グレイセス。このヒュルス王国の王女です。皆さんが集まっている理由は分かっています。それを承知で私は皆さんに道を譲ってもらいたいと思います」
話し始めると集団のざわめきが収まっていった。
「皆さんが私や仲間のことをどう聞かされているのかは知りません。ですが、私はずっと王国のために動いている。これだけは信じてください。今、王国は危機に瀕しているのです。戦争を企む者によって大きな争いが起ころうとしています。私はただ、争いを止めたいだけなのです。そのためにお父様と、国王と話さなければいけません。どうか私と私の仲間が城へ行くのを見逃してください」
集団は沈黙している。
各々が自分はどうするべきかを考えている。王女という立場の者が発した言葉を疑う輩は居ないだろう。発言に嘘は一つもない。後は個人の善意と信頼からの判断を待つだけだ。
「ミルセーヌ様」
騎士が一歩、前に出る。
「騎士団長、ベンガルさん」
「あなたの仰る戦争を企む者というのはサーラン様のことですか?」
ミルセーヌはベンガルの質問が好機だと思った。
自分が知らないだけでサーランは何か、企みがバレるようなミスを犯していたのではと。そのミスに騎士団長であるベンガルが気付いたのではと。希望的観測だが合っていれば場の流れを一気に自分側へ傾けられる。
「はい、そうです! サーランこそ王国の敵なのです!」
「……やはり」
ベンガルの表情が険しくなる。
誰もが知る名前が出されて他の者達は動揺していた。
「皆の者聞け! 今のミルセーヌ様のお話に動揺した者は多いだろう。しかし真に受けるな! ミルセーヌ様は間違った情報を教えられたと分からず、敵の虚言を信じ切っておられる!」
ミルセーヌは「なっ!?」と激しく動揺する。
「ミルセーヌ様を誘拐した一味はサーラン様を逆恨みしており、王国の崩壊を企んでいる。ミルセーヌ様は都合の良い駒として利用されているだけだ。私はそれをサーラン様に聞かされている。これ以上利用されないためにミルセーヌ様を拘束せよ! 誤解は後で解けばいい!」
集団が誰を信じるかはその言葉で決まった。
正面からの説得は悪手ではない。寧ろミルセーヌに出来る最善の策だと言える。しかしサーランは説得を見越していたのか策を投じていたのだ。彼の策のせいで説得は不可能になり、争いは避けられなくなった。結果的に最悪の事態にしてしまったミルセーヌは顔面蒼白になる。
「マズい、ミルセーヌ様を守るぞ!」
「はい!」
「仕方ない、全員相手するしかないね!」
敵の動きに反応してイーリス達も表通りに飛び出す。
二百以上の人間が押し寄せる悪夢のような光景。一人一人が荒事に慣れた実力者であり、たった三人での勝率はとても低い。気合いを込めて声を上げる三人の表情は険しいものだった。
「あいつら指名手配されている奴等だ!」
「王女様を誘拐した一味か! ぶっ殺せ!」
「ジャスミンさんには失望しましたよ!」
「犯罪者捕まえてギルドの信頼取り戻す……ぞ!?」
――集団の先頭がいきなり転倒する。
糸だ。極細の糸が路地の端から端まで伸びていた。目先の敵だけを見ていたギルドや騎士団の者達は派手に転び、後続の者達も多くが倒れてしまう。明らかに罠だがイーリス達は何も知らない。
「なんだこの糸! 誰だこんなことをしたのは!」
「今だ、攻撃いいいい!」
イーリス達の前方にある十字路の左右から多くの人間が飛び出た。その者達のことをイーリス達はどこかで見たことがあると感じたが、肝心の誰だったかが思い出せない。突然の見知らぬ援軍に困惑するイーリス達は棒立ち状態だ。
「な、なんだ? 誰なんだ彼等は」
「分からないけど味方らしいね」
「あの人達、どこかで見たような」
数秒見つめたミルセーヌは「まさか」と呟く。
「あの人達、エルマイナ孤児院の?」
「――その通り」
近くの家の屋根から一人の男がイーリス達の傍に降り立つ。
オールバックの茶髪。左目に眼帯を付けた強面。筋肉質で大柄な肉体。彼のことは全員が知っていた。知っているからこそ、激しい驚きが全員を襲う。
「お久し振りです。我等エルマイナ孤児院出身の人間が加勢致します」
「アンドリューズさん!?」
死んだはずの男の姿がそこにあった。




