76 ブラッディーソードの魔人
――突然、一本の剣がイーリスの腹部を軽鎧ごと貫いた。
「な、に?」
数秒、全員の思考が乱れた。
戦いは終わったはずなのに、灰色の肌の魔人は砂利道に倒れたままなのに、なぜか彼が振るっていた剣が勝手にイーリスを貫いたのである。この状況を呑み込むのに時間が掛かるのは仕方がない。
「終わっていない。戦いは、まだ」
「この声、ヨシュア!?」
イーリス達が灰色の肌の魔人を注視する。
「そっちじゃない、ここだ」
セイリットが「ま、まさか」と呟き、イーリスの腹部を貫通する剣に視線を移す。彼女は言葉にしなかったが視線だけで他の二人にも思考が伝わる。彼女に遅れてイーリスとミルセーヌも剣を見つめる。
剣の鍔に一つの目があった。
閉じられていたその目が開く。
「そう、今貴様の腹に刺さっている剣こそが俺なのだ。そっちの男は俺が操っていただけで、剣こそが本体なんだよ! 正体をバラすことになるとは思わなかったぞ!」
「なっ! まさかあなたの正体は、ブラッディーソードの魔人!?」
ブラッディーソードとは浮遊出来る剣型モンスター。
剣としての切れ味も硬度も一級品であり、剣士からすれば相性最悪のモンスターと言える。性能だけでも厄介なのに、ブラッディーソードには一つの特殊能力がある。柄に触れた相手の心を傷付けて体の支配権を奪えるのだ。実際に過去、武器にしようとして触れた人間が体を乗っ取られている。
ヨシュアがブラッディーソードの魔人なのは誰もが理解した。納得し難い事実だが納得するしかない。魔人はモンスターの特徴を持つ人型生物なんて呼ばれているが、彼のように人型から果てしなく遠い魔人も存在する事実。これではまるで、人間の知力を持ったモンスターだ。
「ぐうっ、いつまで、私に刺さっているつもりだ」
「ダメですイーリス! 柄を持ったら操られます!」
イーリスは腹を貫いているヨシュアを掴む。
「持ったな? 俺を。これで貴様の精神を乗っ取れるぞ」
「……最悪の、展開」
柄を持てば操られてしまう。イーリスの体を操作されたら、セイリットだけで戦っても勝ち目がない。ミルセーヌは戦力にならず、アリエッタとジャスミンはまだ山の麓から戻らない。絶望の風が吹く。裏切らなければ死ななかったと少し後悔もする。
「勘違いするな。私は、わざと貴様を持ったんだ」
「強がりは止せ。貴様の体は俺が使ってやる。俺が使えば貴様は今よりも強くなれるぞ。最強の剣士になれる。それだけのスペックが貴様にはあるのだ。さあ、俺を受け入れろ。この女の体を手に入れたらセイリット、真っ先に貴様を始末してやろう」
セイリットの属性弓では攻撃が難しい。属性弓は精霊武具と呼ばれる特殊な武器だが矢の軌道は普通の弓と同じ。弓の技術を磨いてきた彼女でも、今の状況で矢を射ればイーリスを傷付ける可能性が高すぎる。打つ手無しの状況で彼女は歯を食いしばって俯く。
「見えていないな、現実が」
イーリスが笑う。
「現実の話をしたつもりだがな。精神攻撃で頭がおかしくなったか?」
「君はなぜ、私の体を乗っ取れる前提で話している」
「貴様の体を乗っ取れないと言いたいのか?」
「そうだ。言っただろう、わざと君の精神攻撃を受けたと。これは互いの精神同士のぶつかり合いだ。心の強かった者が体の支配権を得る。乗っ取られるのは、どちらかな」
「き、貴様まさか、俺の体の支配権を得るつもりか!?」
驚くヨシュアをイーリスは「ふっ」と鼻で笑う。
イーリスの言葉を聞いたセイリットの目に希望が戻る。
ブラッディーソードを持って操られなかった者は記録に残っていない。しかし、記録にないからといって不可能と決まるわけではない。もしかすれば、心が強ければ、操られずに済むかもとセイリットは思う。
「ミルセーヌ様! イーリスを応援しましょう!」
「え、お、応援ですか?」
「ええ応援です! 頑張れええ、負けるなあ!」
「が、頑張れ頑張れ。負けるな負けるなイーリスさん!」
二人の応援を受けたイーリスは少し困った顔になる。
「……確かに、貴様の精神力は高いようだ。先程まで俺が使っていた男は数秒で支配出来たんだがな。貴様を支配するには本気を出すしかないようだ。必ず貰うぞ、その強靱な肉体を!」
「やれるものならやってみろ」
本気という言葉はハッタリではなかった。
今までイーリスを襲っていたのは頭を殴られるような頭痛のみだったが、急に痛みの強さと範囲が倍増する。まるで体の中を大きな生物が這い回っているような感覚もある。非常に強い身体の痛みと嫌悪感。イーリスの表情は苦痛で歪む。意識を強く保とうとしなければ簡単に飛んでしまう。
必死に耐えているとイーリスの頭に記憶が流れてくる。
自分のものではない。ヨシュアの今までの記憶だ。
彼は壮絶な人生を歩んできた。
原因は全てブラッディーソードの体。
初めて母親の中から出た時、既に親からも医者からも恐怖されていた。両親は人型の魔人なのに、なぜ剣の形をした子が生まれるのか原因は一切不明。実のところ、親と違う姿の子が生まれるのは珍しくない。それでも剣という異形の姿で生まれた前例はない。
気味悪がった親から彼は捨てられ、孤児院に預けられた。彼はそこで誰とも仲良くなれなかった。生物は得体の知れない存在を恐怖し、遠ざける。人か獣に近い魔人が多いなか、剣の体を持つ彼が恐れられるのは当然だ。
興味本位で近付く子供は居たが、剣の体である彼に触れた子供は傷付く。柄に触れれば苦痛に襲われる。そんな彼に誰も近付かなくなるのは早かった。存在を無視されて彼はとても苦しんだ。
苦しみしかない人生が転機を迎えたのは六歳の頃。
帝国大臣を務めるムーランが孤児院を訪れ、引き取りの話を持ち掛けたのである。やっと現状が変わると喜んだ彼はムーランに付いて行く。
彼の生活は確かに変化した。……死が日常の生活へと。
ムーランにとって邪魔な存在を殺す日常が始まったのだ。新しい生活で苦労もしたがすぐに慣れる。他人の体を乗っ取る方法を教わったおかげだ。殺し含め出来ることが大幅に増えた。
しかし……満たされない。
彼は結局誰とも仲良くなれなかった。
握手すら一度もしたことがない。
ムーランも彼に触れてくれない。
誰かの温もりを感じるという目標は次第に諦め、いつからか仕事一筋になっていた。同じ仕事をする仲間と仲良くしたい気持ちも消えていた。
「……寂しかったのか。君は」
記憶を見たイーリスは彼を哀れむ。
いつの間にか身体の痛みは弱くなっていた。
「見たのか、俺の記憶を。精神の衝突で流れてしまったか」
「どうした。痛みが引いてきたぞ」
「俺は全力で貴様の体を支配しようとした。……完敗だ。誇れ、貴様の精神力は俺の想像を上回った。もう俺の体は動かない。支配するつもりが、逆に支配されたようだな。もはや俺に出来るのは喋ることくらいか」
イーリスの痛みは完全に消え去る。
「剣士と剣は一心同体」
「何の話だ?」
「君を解放はしないが、雑には扱わない」
「……どうせ貴様には逆らえん。好きに使え」
「そうさせてもらおう。これからよろしく」
雰囲気から勝利を確信したセイリット達が喜びの声を上げる。
イーリスはヨシュアが操っていた男の遺体に近付き、鞘を取って彼を収納した。目は鍔に付いているので彼の視界は遮られない。しっかり彼に配慮された作りなのだろう。
「一時はどうなるかと思いましたが勝ちましたねイーリス」
「ああ。応援のおかげかもしれないな」
「自分でやっといて疑問なんですが、あれ意味ありましたかね」
「……たぶん」
ヨシュアを携帯したイーリスは困り顔で答える。
少し経ってからジャスミンとアリエッタが戻って来て、勝利報告をされた。今回の戦いで暗殺部隊は壊滅。敵対する存在が一つ減って少しだけ気が楽になる。
「想定外に時間を消費してしまった。王都へ急ごう」
激闘を乗り越えたイーリス達は王都へと足を進める。
本当に勝たなければならない戦いはこれからだ。




