75 スライムの魔人
「スライムの魔人だってね。実際に見るまで半信半疑だったよ」
魔人の中には人間の姿と遠く離れた者も居る。コエグジ村にも長であるゲリー含め十人は居た。今まで自分の目で見てきたジャスミンとアリエッタだが、アルニアの体は特殊だと感じられる。流動体で動ける魔人なんて噂ですら聞いたことがない。
「私の姿が気持ち悪い?」
「ああ、気持ち悪いね」
「ジャスミンさん!?」
デリカシーのない発言にアリエッタは驚く。
「人間も、私以外の魔人も、誰もが異物を見るような目で私を見る。ムーラン様でさえそれは変わらない。でも、あの御方の目的に私は共感した。私が望む世界のために皇女様には死んでもらう!」
アルニアとアリエッタはほぼ同時に〈超火炎〉を唱えた。
二人の火属性中級魔法はぶつかり合い、完全に相殺される。
「わ、私はあなたを気持ち悪いとは思いません!」
「嘘を吐かないで! 〈大電――」
アルニアに魔法を使わせないため、ジャスミンが顔面を殴って弾け飛ばす。爆散するとまでは思わなかったがこれで顔は消えた。口がないなら魔法名を唱えられない。
「――撃〉」
「ジャスミンさん避けて!」
しかし、魔法は唱えられてしまった。
「くっそおおおおお!」
ジャスミンは今、アルニアの間近で拳を突き出している。
電撃を避けられない……かに思えたが、奇跡的な反射神経と運動能力で真横に転がるよう跳んで避けた。超至近距離からの魔法を避けられたアルニアはとても驚いた。
「はあ、はあ、あっぶな。アンタ、どこから喋ってんだい?」
爆散したアルニアの体の一部が本体に戻り、再び頭部が作られる。
「教えない。ふふ、そろそろ勝てないって悟ったんじゃない? パワー馬鹿のあなたじゃ私の体を傷付けることさえ出来ない。魔法の発動も止められない。私と戦えるのは戦闘経験の浅い皇女様だけよ」
「それは、どうかな」
ジャスミンが再度攻撃を仕掛けた。
単純に速く、重く、突き刺すようなパンチ。先程のパンチと違うのは止める位置。先程は拳を振り抜いていたが、今度はアルニアの体に触れた瞬間止めている。
殴られたアルニアの顔が苦痛で歪む。
「……い、痛み!? 私に打撃でダメージを!?」
「今までアタシがどれだけスライムを殴ってきたと思う? 毎日欠かさずアンチフィジカルスライムを殴ってきた。どういう向きや強さでパンチすればダメージを与えられるのか常に考えてきた。そして、流動体に響くパンチの打ち方を編み出したのさ。残念ながらアンチフィジカルスライムには効かないけどね」
ジャスミンが休む間も与えず打撃の嵐を浴びせる。
流動体のアルニアは今まで打撃でダメージを受けたことはなかった。彼女がダメージを受けるのは魔法や自然現象のみであり、打撃を警戒したことなど一度もない。打撃は無駄な行動のはずなのに彼女は今怯えている。本気で逃げたいと思っている。それなのに底知れぬ恐怖と、凄まじい速度で蓄積する痛みのせいで体が上手く動かない。
「やっぱりジャスミンさんは凄い。援護に来たはいいけど、私の魔法じゃジャスミンさんを巻き込んでしまう。相手が魔法を使ってくれば相殺しようと思っていたんだけどなあ」
もはや戦いなんて呼べない。見ているとアルニアが可哀想に思える。
「バカなっ、こんなバカなあああ!」
「アンタの敗因はただ一つ。アタシと戦ったことさ」
猛ラッシュの締めとしてアルニアの顔面に拳が入る。
最後の一撃を受けた彼女は足先から崩れ落ち、下半身は水たまりのようになってしまった。上半身も徐々に崩れており、完全に人型を維持出来なくなるのは時間の問題だ。
形が崩れていく彼女は青空に憎しみの目を向ける。
「……この世界は、不平等だ。こんな姿に生まれたせいで私は差別されてきた。私は私を見下す人間も魔人も嫌い。私自身のことはもっと嫌い。この世界のことはもっともっと嫌い」
「ちょいと気になったんだけどさ。アンタはなんで、人間の皮を被っていたんだい? 帝国じゃ人間は嫌な目で見られるらしいじゃないか。なのに、どうして人間に擬態してたんだい?」
「……帝国の領土で、重傷の人間を助けたことがある。あの時の私はゴブリンの魔人の皮を被っていた。彼の傷が治るまで私は共に過ごした。私は、彼に好意を抱いていた。彼も、私のことが好きだと、言ってくれた。だから私は本当の姿を彼に見せた……なのに、スライムの姿の私を見て彼は『気持ち悪い』と……言った」
「では、その男性に好かれたくて人間に擬態を?」
俯いたアルニアの顔が零れ落ちていく。
苦しそうな顔をしながら、彼女は答えを返さないまま水たまりになった。質問に対する答えが彼女の中にあったのか、なかったのか。それは彼女だけに分かること。
「……死んでしまったんでしょうか」
「さあ、分からない。戦える状態じゃないのは確かだよ」
何も知らなければただの液体にしか見えない。彼女の体の構造は不明だ。心臓があったのかも分からず、生存確認の仕方も分からない。ただ、もう動かなくなったとしか言えないのである。
「生きていてほしいのかい?」
「まだ彼女とは話をしたかったんです」
「……まあ、アタシも同じ気持ちかな。気持ち悪いとは言ったけど嫌いじゃなかったよ」
「でも今はイーリスさんが心配です。戻りましょう」
「ああ、そうだね。あの男はかなり強そうだったし」
ジャスミン達は未だ戦闘中だろうイーリスのもとへ走り出した。
* * *
緩やかな山の斜面で斬撃が飛び交う。
金髪の女性イーリスが、灰色の肌の男ヨシュアと剣戟を繰り広げていた。激しい剣戟だが勝負の流れはヨシュアに傾いている。イーリスは鎧も体も切り傷だらけなのに対して彼に傷はない。彼の着る鎧にはヒビが入っているがそれだけだ。
敵の攻撃を防御しつつイーリスは隙を見て鎧に攻撃している。正確には、鎧で覆われていない部分を狙っているのに、狙いを外されて鎧に当たってしまう。
鎧は頑丈だ。破壊は難しい。
しかし何度目か分からないイーリスの反撃が届き、鎧の胸部分が砕けた。
「ほう、鎧を砕いたか。貴様のパワーと剣技は賞賛に値する。特にパワーは俺以上だ。もし俺が貴様の体を使えたとしたら今よりもっと強い戦士となるだろう。……だが」
「ぐっ!?」
「イーリスさん!」
イーリスは軽鎧ごと胸部を斬られてしまい、思わず後方へ下がる。
少し離れた場所で戦いを見守るミルセーヌが心配の声を上げた。
「剣の強さが勝敗を決定的にした。俺に勝てると宣言していたが、もう分かっているだろう? 儚い夢だったと。無謀な戦いだったと。希望など、何一つなかったと」
「何度も言わせるな。私は必ず君に勝てる」
「自己暗示のつもりか?」
「違う。事実だ」
「……もう死んでもらおう。会話の時間が無駄だ」
イーリスの自信の源はいったい何なのか。戦闘中に探っていたヨシュアは分からず、ただの自信過剰な愚か者として殺すことにした。しかし、その自信の源を無視したことこそが敗北に繋がる。
「――電気矢」
「ぐぼあっ!? な、何、が?」
ヨシュアの胸に突然、電気で作られた矢が刺さった。
丁度鎧が砕かれて灰色の肌が露出している場所だった。
「こ、この矢は、セイリットの属性弓?」
今のヨシュアは胸に刺さる矢に注意を奪われている。戦闘中では致命的な隙だ。一方イーリスは味方からの援護だと状況を受け入れて、フルスピードでヨシュアの額に刺突を繰り出す。
「しまっ、ごあ!?」
ヨシュアは刺突を防げず、剣が頭部に深く突き刺さった。
脳まで達する程の傷。彼の死は確実と判断してイーリスは剣を引き抜く。彼は額の傷から血飛沫を出しながら倒れ、剣を手放した。既に絶命しているようでピクリとも動かない。
「私一人で勝つとは言わなかっただろう。出て来いセイリット」
ミルセーヌの傍の空間が歪み、一人の女性が出現する。
左目に眼帯を付けている彼女は弓を右手に持っている。
「私が居ることに気付いていたんですか? 私があなた達に同行するのを知っているのはアリーダ君だけなんですがね」
「気配察知は得意でね。味方が一人多いのは分かっていのさ」
この場で察せていなかったミルセーヌだけが驚く。
「ええ!? じゃ、じゃあ、ずっと私の傍に居たんですか!?」
「光の微精霊の力を借りて私の姿を見えなくしていたんですよ。まあ、イーリスが偶に目を合わせてくるので、気付いているかもとは思っていましたけど」
イーリスがヨシュアに『必ず勝てる』と言えたのは、姿を隠す味方の援護があると信じていたからだ。それがなくても、ジャスミンとアリエッタが戻ってくるまで粘れば勝てる計算だった。
「それにしても……」
セイリットが眼帯に触れながら敵の遺体へと近付く。
「これで終わりとは、呆気ないものですね。微精霊が興奮して騒いでいます。どうやらジャスミンとアリエッタ様がアルニアに勝利したようです。合流して先を急ぎましょう」
「ああ、そうがはっ!?」
――突然、一本の剣がイーリスの腹部を軽鎧ごと貫いた。




