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74 誤解


 剣を抜いたイーリスの指示でミルセーヌが三歩下がった。


「止まれ!」


 警戒するイーリスの叫びで意外にも二人組が立ち止まる。

 戦闘は避けられない。銀の鎧を着た黒髪の男、ヨシュアはあまり殺気が出ていないが女の方は凄まじい。黒いとんがり帽子とローブ姿の女、アルニアが人間を見る目は非常に険しい。瞳に強い負の感情が宿っている。


「一応訊いておこう。何者だ」


「俺達はそこの王女を殺しに来た暗殺部隊。知っているんだろう? 貴様等は王女の護衛か? 少しは強い人間を護衛にしてい……あ、アリエッタ様!? なぜアリエッタ様がここに!?」


 ヨシュアの殺気が霧散した。


「行方不明と聞いていましたが人間の領土に居られるとは。まさか人間共に連れ去られたのですか? 可哀想に。アレクセイ様もゼラ様もご心配なされていました。我々と共に帰りましょう」


「アレクセイとゼラというのは?」


 話に出た名前が気になってミルセーヌがアリエッタに問う。


「アレクセイ・ゴルゴート、お父様です。ゼラはお兄様」


「そうだったのですか。それにしても……」


 ヨシュアの態度が想像と全く違うせいで困惑している。

 ムーランからの命令で動く暗殺部隊キルデスは今回、ミルセーヌだけでなくアリエッタも始末する任務を受けている。キルデスの一員であるセイリットが証言しているので間違いない。しかし、どういうわけかヨシュアにはアリエッタへの殺意がない。


「あの、あなたは私も殺しに来たのではないのですか?」


「何を仰る! アレクセイ様のご息女を殺すわけないでしょう!」


「嘘を言っているようには見えないな。どういうことだ?」


 イーリスは誰も居ない場所を瞥見(べっけん)して視線を戻す。


「でも、ミルセーヌ様のことは殺すんですよね」


「任務ですので」


 やはりミルセーヌのことは殺すつもりらしい。

 戦いを避けられるかもと淡い希望はあっさり潰える。


「止めてと言っても止めませんか?」


「任務ですので。アリエッタ様、なぜ人間の命を気にするのですか?」


「……あなたに言っても分からないでしょうね」


 ヨシュアが『なぜ』と質問した時点でアリエッタは説得を諦めた。人間の命は彼にとって足下を歩く虫と変わらないのだろう。

 魔人の中には人間を下等種族と見下す者達が居る。昔から続く差別発言を聞いて育った者は差別思想に染まってしまう。それにより、人間を差別しない者と価値観が変わるのだ。


「アリエッタ様、どうか離れてください。攻撃に巻き込んでしまう」


「断ります。ミルセーヌ様を死なせるわけにはいきません」


「くっ、なぜ……まさか、洗脳でもされているのか?」


「せ、洗脳なんてされていません!」


 酷い誤解だ。アリエッタは自分の意思で守ろうとしているのに。


「――ああ、洗脳されてますよアレは」


 今まで黙っていたアルニアが急に口を開く。


「やはりか。アルニア、よく見抜けたな」


「な、何を言って……」


「二度と解けない洗脳ですねー。殺して楽にした方がいいですよ」


 無表情のままアルニアは恐ろしいことを告げる。

 アルニアの発言でイーリス達は理解した。

 やはりキルデスに与えられた任務に皇女殺害も含まれている。証拠としてアルニアはアリエッタが居ることに動揺せず、ずっと殺気を向け続けている。つまり、なぜか隊長のヨシュアにだけ皇女殺害任務が伝わっていないのだ。


「本当に元に戻らないのか? もし戻らなくても殺すのは反対だな。アリエッタ様を殺したらアレクセイ様に顔向け出来ん。やはり生きたまま連れて帰ろう」


「めんどっ。じゃあ殺さない程度に痛めつけましょう」


「……仕方ないか。大人しくしてもらわなければいけないしな」


「決まりですね。〈超火(フレ)――」


「させないよ」


 アルニアが魔法を詠唱し始めた瞬間、ジャスミンが動く。

 魔法が詠唱し終わる前にジャスミンがアルニアを山の麓まで蹴り飛ばした。彼女は吹っ飛んだ敵をすぐに追おうと走り出す。一連の流れを見た他の者は非常識な蹴りの威力に少し放心してしまう。


「アルニア!」


 一番早く我に返ったのはヨシュアだった。

 仲間の援護に行こうと彼が動いた瞬間、続いてイーリスが動く。背を向けた彼に容赦なく斬りかかるが剣で見事に防がれた。力を込めた二人は弾かれるように離れ、剣を構え直す。


「君の相手は私だ!」


「邪魔な女だな。先に貴様から始末してやろう」


「出来るかな? アリエッタはジャスミンの援護に行け!」


「え、でもそれではイーリスさんが」


「私のことは心配するな。必ず勝てる」


「……分かりました。信じています」


 アリエッタは遥か遠くへ消えたジャスミンを追いかけていく。

 意外なことにヨシュアは彼女を攻撃しようとしなかった。


「行かせてよかったのか? 仲間が死ぬかもしれないぞ」


「確かにあの女の蹴りは凄まじい。アリエッタ様も魔法使いとして優秀だと聞く。それでもアルニアには勝てない。あいつの正体を知っていれば分かることだ。それより自分の心配をするんだな」


「言っただろう。君には必ず勝てる」


 冷ややかな目を向けるヨシュアが襲い掛かる。

 彼はイーリスよりも強い。イーリスも毎日剣士として努力していたが、素早い身のこなしから繰り出される連撃を防ぐので精一杯だ。

 彼に勝っているとすれば筋力。

 互角なのは剣の技術。


「どうした? 勝てるんじゃないのか?」


「最初から全力で動きすぎだな! すぐに疲れて剣速が落ちるぞ!」


 稀に防げない剣技が鎧を切り裂く。

 剣士には身体能力や技術以外に必要なものがある。質の良い武器だ。イーリスは町の武器屋の中で高品質な剣を使っているが、ヨシュアが使うのは明らかにそれよりも上質な剣。鎧を易々切り裂くのは技量よりも扱う武器の力が大きい。


 武器を含めた実力差はかなり開いていた。

 それでもイーリスの希望は消えない。

 必ず勝てると信じている。




 * * *




 山の麓で一人の魔女が倒れていた。

 アルニアと呼ばれるその女の体は所々皮膚が破れている。二キロメートル以上も蹴り飛ばされたのだから当然だ。風と土の魔法で体を守らなければ全身の皮膚が破れ、中身が見えていたかもしれない。


「やっぱ生きてるよな。それに、血が出ていない」


 彼女を蹴った張本人、ジャスミンが目の前に現れる。


「驚かないんだね」


「アンタの正体、セイリットから聞いているからね」


「へえ、完全に裏切ったんだあの女」


 アルニアは立ち上がって魔法を使おうとする。


「〈大爆(エクスプロー)――」


 素早い拳が彼女の口を裂く。

 左頬から唇まで裂けた彼女は慌てて口を押さえる。


「ぬ、ぐ、お、お前」


「早く殻から出て来なよ。アタシが手伝ってあげようか」


 ジャスミンが強烈なボディーブローを放ち、アルニアの腹部を貫通した。本来なら出血で失血死するような大怪我でも彼女の腹から血は出ない。彼女は敵意溢れる顔でジャスミンを睨み……項垂れた。


「やっとかい」


 アルニアの背中側の傷口から水色の液体が大量に飛び出る。

 異常な光景をジャスミンが眺めていると、黒髪の少女が山の緩やかな坂を走って来る。


「ジャスミンさん! 援護に来ました!」


「おおアリエッタ。グッドタイミング。見なよ」


「こ、これは……これが彼女の本当の姿」


 水色の液体が流動して人型へと変化していく。

 目も鼻も口も耳もない。まるで水が人の形を取っているかのような姿。セイリットから事前に聞かされていた情報によればアルニアは特殊な魔人。誰かの皮を被って隠していたその本当の体は……スライム。


「スライムの魔人だってね。実際に見るまで半信半疑だったよ」



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