61 最悪な状況は変わらない
フレザールの町から少し離れた草原をアリーダ達六人は必死に走る。
距離は離れているが鎧姿のフセット達が追いかけて来るので気は抜けない。
ただこうして逃げてはいるが、行く宛はどこもなかった。アリーダはまだ追跡を躱す策を考えていなかったのだ。一先ず追っ手を撒くしかないと考え走り続ける。
「くそっ、考えろ考えろ考えろ。何か、この最悪な状況の打開策を考えろ」
「――〈大地操作〉」
突然大地が揺れて変形していく。
アリーダ達の前方の地面が盛り上がり、巨大な壁が完成した。
高さが五十メートル近くはあるので跳び越えるのは不可能。
大地の壁は横の範囲も広く終わりが全く見えない。
愕然としたアリーダ達は走るのを止めて後ろへと振り返る。
土属性上級魔法〈大地操作〉を使用したのはフセットでも、彼女が率いる鎧姿の集団でもない。彼女達も驚いているからだ。そんな彼女達のもとへ歩いて来た白髪の男こそが魔法を放った張本人。アンドリューズが足止めしているはずの男であった。
「まさか……おいテメエ! オッサンは、アンドリューズはどうした!」
「殺した」
「はああ!? 何か言ったか言ったよな今! 遠いんだから大声で話しやがれ!」
「彼は死んだよ! 大した足止めも出来ずにね!」
「し、死んだ、だと……う、嘘吐いてんじゃねえぞこの野郎!」
アンドリューズはアリーダにとって最強という言葉が相応しい男。
孤児院では兄貴分として子供達を纏めていたカリスマを持ち、ギルドSランクへ成り上がる程の実力も持つ。幼い頃から彼をよく知るアリーダには、彼の死なんて全く信じられない。彼の死ぬ姿が全く想像出来ない。しかし、白髪の男がやって来たことから彼の身に何かあったことは明白。この時、人生で初めてアリーダは彼の命を心配した。
「前方に敵、後方に壁。横へ逃げても魔法で狙い撃ちされる。最悪な状況だな」
クビキリの言う通り最悪な状況。
アリーダは必死に考えるが打開策を思いつけない。今まではピンチでも何かしら策を思いついたり、事前に考えていたりしたが今回は無策。汗水垂らして考えて時間だけが過ぎていく。
「……迎え撃つしかないか」
クビキリは少しアリーダに期待していたが諦めて刀を構える。
イーリスも、アリエッタも、ルピアも逃走を諦めて敵を見据えた時、ジャスミンだけが壁側へ体を向けた。彼女は「やれるか?」と呟くと深く腰を落とし、深く息を吐いた後で正拳突きを壁に繰り出した。彼女の拳は壁の一部を見事に破壊して人間が通れる程度の穴を空ける。
五十メートル以上の高さに目が行きがちだが厚みも相当あった土壁。
厚さ十メートルはあり、硬度は鉄にも勝る程。
そんな壁を素手で破った事実にアリーダ達は目を丸くする。
「ゴリラでもこんなん出来ねえよ」
「うっさい。ほら、壁を修復される前に通り抜けるよ」
壁に空いた穴を通ってイーリス、アリエッタ、ジャスミン、ルピアが逃げる。
「おい何してんだアリーダ早く来なよ! ついでにクビキリも!」
アリーダとクビキリだけは穴を通らないどころか一歩も動いていなかった。
「貴様も同じ考えか」
「何、お前も? お前等は先行け! 俺達は残って敵を止めておく!」
「何を言っているんですか! 残していけるわけないじゃないですか!」
ルピアが叫んでも二人が考え直す素振りは見せない。
「行きましょう」
イーリスとジャスミンも立ち止まるなか、最初に足を進めたのはアリエッタだった。
「なっ、仲間を置いていくんですか!? なんて薄情な!」
「私だって置いていきたいわけじゃありません。ですが、綺麗事だけ口にしていても状況は変わりません。私達を逃がしたいという二人の想いを私は受け取りましたから、逃がされた私達は必ず生きなければ」
アリエッタだって本当は見捨てたくないし、残って一緒に戦いたい。しかし居残りを決断したアリーダとクビキリの気持ちを無駄にしたくない。全員で戦ったとしたら、勝てたとしても死人が出ると二人は判断したのだ。それならいっそ自分達が犠牲になってでもアリエッタ達を確実に逃がそうと、命を懸けてくれたのだ。
アリエッタは自分が生きなければならない存在だと理解している。
自分とミルセーヌが生存していなければ、デモニア帝国とヒュルス王国の戦争を止められる可能性が著しく低下するからだ。戦争が始まれば死者の数は百や二百じゃ済まなくなる。大勢の犠牲が出る未来を防ぐため、少数の犠牲を出す決断も時には必要である。
「見捨てるんですね?」
「時には誰かの命を見捨てる決断もしなければなりません」
「そんなこと言って、本当は自分が助かりたいだけじゃ――」
ジャスミンがルピアに近付き、無言で腹を殴って気絶させた。
「時間が惜しい。分からず屋の説得は後回しにしてアタシ達は進もう。大丈夫さ、アタシはアンタの気持ちを分かってる。自分の本心を抑えて合理的な判断をしたんだ。アンタは強いやつだね」
「……ありがとうございます」
ルピアはジャスミンが背負い、アリエッタやイーリスと共に逃げていく。
壁の前に残ったアリーダは四人が遠くなるのを見て穏やかな笑みを浮かべる。
「へっ、ようやく行ったか。後は俺達が奴等の足止め……を……し……て」
予想外の事態が起きた。大地の壁が沈んで地面に戻っていく。
考えてみればあの壁は土属性魔法で地面が変形したものであり、魔法使用者なら自由に操作出来る。獲物に逃げられるような役目を果たせない壁は不要と判断して、白髪の男が地面を元の状態に戻したのだ。障害物を消せば逃げた四人を追うのが容易くなる。
「おいおいマジか。クールに仲間を逃がした直後でこれかよ」
「俺達のやることは変わらん……が、誰も通さないのは不可能に近い。アリーダ・ヴェルト、あの白髪の男だけは通さないようにしろ。他の連中は貴様の仲間なら対処出来るはずだ」
「分かってるよ。あの野郎が一番ヤバいっつうことはな」
先程の上級魔法から超一流の魔法使いであることくらい分かる。
仮にアリーダが同じ魔法を使ったとしても、あんな高く分厚い土壁を広範囲に出現させることは出来ない。魔力が全く足りない。白髪の男の魔力量はアリーダの十倍以上だろう。真っ向から戦っても勝ち目はないと断言出来る。
「僕以外はまた逃げた奴等を追え。あの二人は僕の獲物だ」
白髪の男の言葉でフセットを除く鎧姿の集団がアリエッタ達を追う。
「……あなた、覚えているわよね。私が誰を殺すためにあなた達へ協力しているのか」
「じゃあクビキリは生かしておいてあげるよ。君は彼が大事に思っている少女を捕らえればいいさ。目の前で大切なものをぶち壊してあげればいい。ただ殺すよりも恨みが晴れるんじゃないかな」
「絶対よ。クビキリだけは私が殺す。もし約束を破ればあなたを殺すから」
「怖いねえ。分かったから早く行きなよ」
フセットが先を走る集団に加わり、集団がアリーダ達の横を抜けようとした。
アリーダは舌打ちする。二十人は居る鎧姿の集団を素通りさせれば厄介なことになるだろう。仲間の三人がいくら高い実力を持っていても敵の数が多すぎる。一人でも倒しておくのが最善だ。
「行かせるか! 電――」
「――〈大地操作〉」
アリーダと鎧姿の集団との間の地面が盛り上がって再び巨大な土壁が誕生する。
またしても終わりの見えない広範囲の土壁はズズズと音を立てて、アリーダとクビキリの方へと動き出した。
「か、壁が動いている!? まずい、まずいぞこれはあ!」
巨大な土壁が徐々に迫って来るのでアリーダ達は走って逃げる。
二十秒は経った頃、土壁は一気に崩れて破片がアリーダ達へと降り注ぐ。
為す術なく土塊に埋もれたアリーダ達だが、両手で土塊を掘り進めてすぐに脱出した。服と体が土で汚れたアリーダは「汚えなあ」と呟き、クビキリと共に敵を見据える。
フセット達を止められなかったのは仕方ない。
仲間を信じて自分の敵に集中する。まずは勝つことが最優先だ。
「さあ、君達の相手は僕だよ。遠慮はいらない。持てる全てを使え」




