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57 真の悪


 ビガン大陸中心に存在している大きな町、フレザール。

 フレザールに住んでいる幼い少女、ルルッカは家から出て驚愕する。

 大きな町なので人口も多く、余所から来る人間も多く賑やかだったが、今日はありえない程に静かだ。普段なら商人と買い物客で盛り上がっている石畳の道には、恐ろしくなる程に人が居ない。


「みんな、どこに行ったの? お兄ちゃん、どこ?」


 兄のルークと二人暮らしのルルッカは頼りになる兄を捜す。

 曲がり角を曲がったルルッカは「ひっ」と怯えた声を零す。

 赤。町に今までなかった赤く大きな水たまりがいくつも存在していた。

 まだ十歳にもなっていないルルッカだがその赤が血液だとすぐ理解する。

 自分が寝ている間にいったい何が起きたのか怖くて想像出来ない。

 いや、本能的に理解しているから想像しないのかもしれない。


 恐怖したルルッカは走り出す。お兄ちゃんお兄ちゃんと何度も呟きながら。

 町を走り回るルルッカはどんどんと、赤の多くなる方へと向かっていた。逆の方へ走れと自分に言われている気がしたが、それでも赤だらけの方へと進む。何となく、大好きな兄がそちらに居る気がしたからだ。


「お兄ちゃ――」


 捜していた町の人間達をルルッカは見つける。

 石畳に積み上げられた、首を失った人の山。

 赤だらけな山から赤い液体が広がっている。


「こねこねこねこね肉団子の出来上がりいいい!」


 山の傍では猫背で細長い顔の男が何かを握り、満足気な表情で食していた。

 フード付きローブを着ている彼の目は空洞であり、肌の色は雪のように白い。異様なまでの白なのだが残念なことに所々に赤が付着していた。形は人でも恐ろしい怪物にしか見えない。その怪物が首を九十度一気に曲げてルルッカに顔を向ける。驚いたルルッカは立っていられず、赤の水たまりに尻を突いてしまう。


「おやあ、まだこの町に人間が居たんですね。とっくに逃げたと思っていたんですが、お子様は愚鈍でいけませんねえ。おっと自己紹介をしなければ。私の名はマダルカルス、好物はお肉です。お嬢さん、あなたのお名前は?」


 笑みを浮かべながらマダルカルスが歩いて来る。


「ひっ、い、嫌、来ないで! 助けて、お兄ちゃん助けてええ!」


「なんということでしょう。自己紹介すらまともに出来ないとはお嬢さんあなた、あなたの家族はゴミクズのようですねえ。ところであなたお肉は好きですか? ほら、これお肉ですよお肉。食べます?」


 マダルカルスは先程自分が齧っていた赤黒い何かを見せてきた。


「い、嫌! そんなの嫌!」


「好き嫌いはよくありませんねえ。仕方ないので私が食べましょう」


 無我夢中といった様子でマダルカルスは赤黒い何かを齧り、咀嚼する。

 くちゃくちゃねちゃねちゃくちゃねちゃ。汚い音が静寂の町に広がっていく。

 怪物の食事中にルルッカは逃げたかったが思うように足が動かず立てない。

 赤黒い何かを完食した怪物は恍惚とした表情だったのに、いきなり真顔に戻ってから気味の悪い笑みを浮かべる。逃げられる好機は失われたのだとルルッカは理解する。


「さて、あなたはお肉好きじゃないので殺しますね。天国では好き嫌いを克服しましょうね」


 マダルカルスの左手から骨が突き出て剣の形に変形した。


「あ……た、助けて。助けて、助けて、お兄ちゃああああああああん!」


 鋭い骨の剣がルルッカの首目掛けて振るわれる。

 恐怖で目を瞑る幼女に生き残る術は何もない。

 しかし、町に響く悲鳴が運命を変えた。


 ガキンッという突如聞こえた硬い物同士の衝突音にルルッカが目を恐る恐る開く。

 一人の大柄な男が骨の剣を刀で受け止めていた。男は見た目通りに優れた筋力で骨の剣を弾き、マダルカルスを蹴り飛ばす。側頭部から螺旋状の角が生えているので人間ではないが、ルルッカの目には人間でなかろうと彼はヒーローのように映っている。


「もう大丈夫だ。安心しろ。一人で立てるか?」


 味方が居るだけでルルッカの恐怖は少し和らぎ、体の震えが弱くなった。

 まだ震えてはいるのでバランスは危ういがルルッカは気合いを入れて立ち上がる。


「た、立てる」


「ならば走れ。町の北東に他の町民が避難している」


「あの、あ、ありがとう角のおじさん!」


 謎の男に命を救われたルルッカは町の北東部へと走り出す。



 *



 見知らぬ幼女を助けた魔人の男、クビキリは目前の敵を見据える。

 ルピアと王女ミルセーヌの三人で町に着いた時は驚いた。町中に血が飛び散っており、平和な大陸中央都市の姿は見る影もなかったからである。町の北東部には災害時に使われる避難所があるのでクビキリ達はまずそこへ向かった。


 避難所には不安そうな顔をした多くの人間が居たので状況を訊けば、急にフード付きローブ姿の男が人々を殺し始めたという。顔を隠すため偶然同じ服装のクビキリはそれが理由で怯えられた。避難所から三人で出た後、クビキリは遠くからの悲鳴を聞き、一人駆けつけて今に至る。


「おや、おやおや? あなた、ひょっとしてクビキリじゃありません?」


「なぜ魔人が王国に居る。貴様も暗殺部隊の一員か?」


「先に私の質問に答えてくれませんかねえ。あなたも先程のお嬢さんと同じで非常識なのですか? 誰かに質問をされたら『知らない』でも『分からない』でもいいから答えるべきでしょう」


「……俺がクビキリだったら何だというのだ」


「いえね、少し驚いただけですよ。まさか本人が目の前に現れるとは」


 クビキリは「本人?」と疑問を口に出し、そこでマダルカルスの後方にある死体の山を注視する。全員頭部が斬られて首から下だけの死体。自分の殺し方と同じだと理解した時、以前ルピアから聞いた話を思い出す。


「貴様、まさか俺の模倣犯か?」


「ええ。わざわざ殺し方を似せたんですよ、あなたに罪を擦り付けるためにね」


「なぜ人間を殺す。人間を憎んでいるのか?」


「理由ですか……今まで考えたことがありませんでしたよそんなこと。難しい質問だ。初めて誰かを殺した時も殺してみたいから殺しただけですしね。ああ、趣味、殺人行為が楽しいんでしょうね私は」


「……ルピアが言っていた真の悪とはこういう奴のことか」


 クビキリはルピアに悪の定義について話を聞いたことがある。

 彼女曰く、真の悪とは理由もなく生物を殺すような善性が欠如した者。

 目前の敵は正に彼女の言う真の悪そのもの。今まで人間を多く殺した殺人鬼のクビキリでさえマダルカルスを悍ましく思う。長い人の歴史の中でも類を見ない欠陥品だ。


「私からも質問いいでしょうか。なぜ、先程お嬢さんを助けたのです? 殺人鬼が人助けなんて展開流行りませんよ。批判殺到でしょう。あなたも私と同じ、殺人鬼なんですから」


 なぜ助けたのかと訊かれてもクビキリは理由が思い付かない。

 先程の幼女の姿が妹に重なったとか、勘違いで殺した者達への贖罪とかでもない。悲鳴を聞いた瞬間、考えるよりも先に体が勝手に動いたのだ。しかし自分が間違っているとは思わない。


「体が勝手に動いた。これ以上は上手く言語化出来ない」


「まあ納得してあげましょう。さて、そろそろお喋りは終わりにしましょうか」


「もう終わりか? 貴様の最後の言葉がそれでいいなら構わんが」


 マダルカルスは右手からも骨の剣を出して襲い掛かってきた。

 両手から飛び出る骨の剣を振りかざす動きはまるで剣術の素人。骨の剣を躱すのも刀で弾くのも容易である。笑みを浮かべながら襲って来るのは気持ち悪いがそれだけだ。油断は出来ないがクビキリにとってマダルカルスは強敵にならない。


「二刀流か」

「いいえ」


 ――マダルカルスの口から大きく長い骨の棘が飛び出た。

 咄嗟に首を傾けたクビキリだったが少し遅く、骨の棘が頬を掠める。


「三刀流だったか」

違いますよ(ひはいはひゅよ)


 両肘、両肩からサーベル状の刃。両膝から大きな棘。両脇腹から鎌。

 信じられないことに各部位から二本ずつ骨の武器が飛び出る。合計、十一刀流。

 クビキリの一刀流と比べれば手数の多さは圧倒的だ。対応するのは骨が折れる。


 体の動きでどの武器から攻撃が来るのか予測は出来る。クビキリは十一個の武器の連撃を回避したり刀で防御出来ているが、防御に精一杯で反撃の時間が生まれない。相手が疲れて動きが鈍らない限り反撃の時間は来ないだろう。


「――あっれえ? なんで魔人が二人も居やがるんだあ?」


 防御の体勢のままクビキリが後方に軽く吹き飛んだ時、第三者の声が聞こえた。

 聞き覚えのある声にまさかと思い振り返ると、予想と同じ紫髪の大柄な男が歩いてきていた。その男、アリーダ・ヴェルトの登場で状況はさらにややこしくなる。クビキリは内心で『タイミングが悪い』と呟く。


「……アリーダ・ヴェルト。なぜここに」


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