55 契約
鉄のように硬い金属の通路は狭く一人がやっと通れる程度の広さ。
明かりもないため光属性の魔法が使えなければ真っ暗で何も見えない。
丘上の小屋の地下に隠されていたそんな通路を、高貴な身分である王女ミルセーヌは這って進んでいた。
幸い光属性の魔法に適性があったため暗さの問題は解決だ。
小さな光球を前方に進ませて照らしながら自分も先へと進む。
しばらく這い進んだがどれだけの時間そうしていたのか分からない。
途中で疲れて休憩は挟んでいたが、水も食料もない狭い地下通路は早急に出なければいけないのであまり休んでいない。息が上がって限界と思ったら止まって休み、息が少し整ったら進むのを繰り返している。
数時間は経った頃か、ミルセーヌは前方に壁を見つけた。行き止まりだ。
どこかに出口があるはずだと探すと上に金属の取っ手を発見した。
取っ手を持ち、思いっきり上に押すと眩しい程の地上の光を浴びる。
どれだけの時間振りの日光かは不明だがミルセーヌは思わず笑みを浮かべ、すぐに気を引き締める。
ミルセーヌの命を奪おうとする暗殺部隊を今、アンドリューズが単身食い止めているのだ。隠し通路から逃げろとは言われたが、呑気に出口で待っていていいものだろうか。こういう時に戦う力がない自分が嫌になる。王族は守られる立場と分かってはいるが、何もせずに味方を信じて待つのは性に合わない。
出口周囲には細い木々が生えていることからどこかの森だろう。追っ手から身を隠すのに障害物の多い森は適している。しかし、本当に隠れているだけでいいのだろうか。否、良いはずがない。
こんな状況で思い出したのは幼い頃から知っている友人の言葉。
『いいか、まずは最悪の状況を想像するんだ。その最悪な未来を良くするために考えるんだ。もしそのバッドエンドを回避出来たら、待っているのはハッピーエンドだけだからな』
もしアンドリューズが暗殺部隊に勝利して、迎えに来るのならそれが一番良い。だが敗北したとしたら、ミルセーヌを守る者が居なくなるとしたら、暗殺部隊に抵抗も出来ず殺されてしまう。最悪は何も行動せずに死ぬことだ。
逆にミルセーヌに出来る最善は何か。王城に帰って事情を国王に説明して、騎士団をアンドリューズの加勢に向かわせることだ。サーランとその配下の者に見つからないよう国王に会えれば可能。難しいがやるしかない。自分一人の命だけではなく国の未来が懸かっているのだから。
「守られるだけのお姫様なんて嫌だ。そんなの、何も出来ない臆病者と変わらない」
ミルセーヌは走り出し、疲れては休憩を繰り返す。
細い木々の生えた森をやっと抜けたミルセーヌは……落ちた。
走っていた方向にあったのは崖だったのだ。焦りを抱えていたせいで気付くのが遅れ、しまったと思った頃にはもはや落下を止められない状況。幸い高さが七メートル程の低い崖。地面に衝突して即死なんて間抜けな結末にはならず済んだものの、全身が酷い痛みを訴えている。どこかの骨が折れていてもおかしくない。
「何を、やっているんでしょう。うぐっ、負傷は治す方法がない。這ってでも城へ行かないと。サーランは敵だと、お父様に教えないと。私が知らせなければ国は破滅してしまう」
「――うわ大変、あなた生きていますか!?」
幼さが残る女性の声がミルセーヌには聞こえた。
まさかこんな場所に偶然人間が居るとは思わなかった。
「〈超治癒〉!」
都合の良いことに女性は生命属性の魔法を扱い、負傷を治そうとしてくれている。中級の回復魔法なら骨折も治せるので完治するだろう。彼女との出会いは偶然というより、運命のように感じられる。神のような絶対的存在がミルセーヌを応援しているようにも感じる。
体の痛みが消えたミルセーヌは立ち上がって女性に頭を下げた。
「ありがとうございました。お礼は必ずします。あなたの名前と住んでいる場所を教えてくれませんか」
「ええ!? えっと、その、理由があって名前はその、教えられません。そ、そんなことより私、あなたの顔を見たことがあるような気がします。どこででしょう。確かに見たことがあるんですが……」
ミルセーヌを助けてくれたのは赤い長髪の少女だった。
自分と同じ細身の少女だ。魔法使いなら戦力になるが心許ない。それに少しでも誰かの力を借りるべき状況だとしても、説明すれば危険に巻き込むことになる。まだ王女とバレてはいないのでミルセーヌはこの場を離れようかと考える。
「申し訳ありません。急ぎの身なので私は」
「――騒がしいぞ。何があった」
すぐ近くにある洞窟から鬱陶しそうな低い声が聞こえて、一人の男が出て来た。
体と顔に大きな火傷の痕があり、側頭部からは螺旋状の角が生えている。特にミルセーヌの目を引いたのは額にある三つ目の眼球。額の目という特徴はここ数年の手配書で見慣れている。顔も手配書の似顔絵そっくりだ。
「まさか、クビキリ!?」
「あちゃー、どうして普通に出て来ちゃうんですか! 顔くらい隠してくださいよ!」
「人が居たのか。仕方ない、すぐ移動するぞ」
クビキリ。騎士やギルドの人間だけを殺す連続殺人犯。……つまり、貴重な戦力。
この場を離れようと歩くクビキリの前方に移動してミルセーヌは彼の足を止める。
「……退け。何が目的だ女」
「あれ、そうか思い出した。社交の場で見かけたことがある。もしかして、み、ミルセーヌ王女ではありませんか? 私はルピア・ミントと申します。ミント男爵の娘です」
「王女だと? なぜ王女がここに……」
「ミント男爵家。確かお父様を毒殺しようとした貴族」
「うええ!? ご、誤解です! 冤罪なんです!」
ミント男爵家は国王の毒殺を企てたとして当主とその妻が処刑された。娘は二人居たと記録に残っているが長女は勘当後行方不明。サーラン直属の部下が一家の捕縛に動いた際、次女は逃走して指名手配されている。もっとも、サーランが敵と分かった今では毒殺の件も信用出来ない。ルピアの言う通り冤罪の可能性は十分考えられる。サーランにとって都合の悪いことを知られたから殺された可能性は高い。
「慌てないで。私はあなたを捕らえに来たわけではありません。今はミント男爵家の件よりも優先すべきことがありますから。でも、城に戻れたら毒殺を企てたのが事実か調べさせます。男爵が無実ならあなたの指名手配は取り消されるかもしれません」
「ほっ、良かったです。では私達も行く場所があるので行かせて――」
笑みを浮かべたルピアがクビキリと去ろうとしたので、ミルセーヌはクビキリの手首を掴む。
「待ってください。私はクビキリに話があります」
「あ、あの違いますよ! この人はクビキリの真似をしているだけの一般人で――」
クビキリがルピアの口を手で塞いだせいで彼女の言葉が中断される。
「王女、俺には目的がある。投降はしないぞ」
話を聞いてくれそうと判断したミルセーヌはクビキリから手を離す。
「私は今、戦争を起こす材料として命を狙われています。王国の大臣であるサーラン、帝国の大臣であるムーラン、彼等の部下達が私を殺そうと動いています。しかし事情を知る味方は少ない。というわけで可能なら、あなたに私の護衛を頼みたいのです」
ルピアは「え?」と呟き、クビキリも面食らった顔になっている。
当然の反応だ。王女が殺人鬼に護衛を頼むなど前代未聞。二人からすれば頭がおかしくなったのかと心配するレベルで異常な発言。しかしミルセーヌは最初から正気である。
「正気とは思えん。なぜ俺が貴様の護衛などやる必要がある」
「私とあなたの敵が同じだからです。私なら、あなたを本当の敵のもとへ連れて行けます」
「……俺と、貴様の敵が、同じだと? 貴様、何を知っている?」
裏で糸を引きコエグジ事件を起こさせた何者かが居るのは分かっている。おそらくそれはサーランであり、村を襲ったのは彼の部下であるフェルデス達。コエグジ村の魔人達は反乱の意思などなくただの被害者だったのだ。クビキリの出自は不明だがコエグジ事件の生き残りだとミルセーヌは推測している。騎士団やギルドの人間だけを殺す理由もそれで理解出来る。つまり、事件の裏を知ればクビキリが殺したい敵は、ミルセーヌの敵と全く同じなのだ。
「村を襲った集団、コエグジ事件を起こした黒幕。それらがあなたの敵ですよね。私は敵の居場所を知っています。敵は、私がこれから帰ろうとしている王城に居る。あなたは知らなかったでしょうが、王国の大臣であるサーランが計画を立て、彼の部下達がコエグジ村を襲ったのです。残念ですがあなたが殺してきた相手は全て事件とは無関係な人々です」
「……村を襲ってきた奴等の中に、白い長髪の男が居た。誰か分かるか?」
「白い長髪の男……おそらくそれはフェルデスでしょう。国に仕える魔法使いです」
「……そうか。護衛の話、引き受けてもいい。俺を敵に会わせるのを条件としてな」
ミルセーヌは上手くいったと喜び、心の中でガッツポーズする。
クビキリの強さは分かっているつもりだ。戦力として申し分ないし、元から関係者なので危険に巻き込むのも問題ない。もし彼が敵となる者達を全員倒してくれるなら王国が抱える問題は一気に解決へと近付く。




