53 二人の大臣
帝国大臣ムーランが引き起こそうとしているのは過去最大規模の戦争。
必ず阻止しなければいけないとミルセーヌは強く思い、拳を固く握る。
「アンドリューズさん。このことを早くお父様に知らせなければ」
「一応手紙は部下に届けさせましたが……おそらく届いていないでしょう。元々キャリー様も掴んでいた情報ですがアリエッタの話で確信しました。王国の中にムーランの協力者が居るのです。かなりの権力を振りかざせる者がね」
「王国内部、権力者。……もしかしたらですが、それは、フェルデスという者かもしれません」
アンドリューズは小屋の入口から視線を外さずに「フェルデス?」と呟く。
「ええ、可能性の話ですが。資料館で閲覧した騎士名簿やコエグジ事件の資料に載っていた名前。どこかで聞いた気がしていたのですがようやく彼のことを思い出せたのです。フェルデスとは宮廷魔法使いの一人で、白い長髪の男性。大臣のサーランと話しているのを見たことがあります。彼は――」
資料館で閲覧した情報の不自然さをミルセーヌは語る。
コエグジ事件発生前、突如として騎士団に加入して事件後に脱退。
騎士団としては新人なのに事件では討伐隊の隊長を務めている。
他にも事件に関してのおかしな点を隠さずにアンドリューズへと伝えた。
王国において宮廷魔法使いはある程度の権力を持てる。騎士団に加入したいと言えば加入出来るだろうし、スモーラ大陸へ続く橋の通行許可も下りている。帝国大臣の協力者としてはかなり都合の良い人物だ。
「――というわけで怪しさ満載です。協力者の可能性は高いでしょう」
「ムーランと何らかの関係があるのは間違いありませんな。コエグジ事件は戦争の火種となりえますし、ムーランの指示で協力者が事件を起こした可能性が高い。キャリー様に教えられましたが、コエグジ村の魔人達は戦争を仕掛ける動きなどしていなかったようです。王に信頼されている人物なら嘘を信じ込ませるのは容易い。宮廷魔法使いという線もアリですな」
「問題は真偽をどうやって確かめるかですね」
あなたはムーランの協力者ですか、なんて馬鹿正直に聞いたところで教えてくれるわけがない。フェルデスを追い詰めるには確固たる証拠が必要だ。アリエッタが父である国王に証明しなければならない。
証拠として一番強いのは連絡を取っている手紙だろう。
王国と帝国では存在する大陸すら違うため距離がありすぎる。フェルデスもムーランもそれぞれの国で立場ある者達だから直接会う時間はない。連絡手段として考えられるのは手紙くらいなものだ。読んだらすぐ燃やして証拠隠滅している可能性が高いが、一度フェルデスの私室を調べてみる価値はある。
ミルセーヌが思案するなか、小屋の扉の一部が回転して黒い何かが入り込む。
驚きながらよく見ると黒猫だった。可愛いというよりはクール系な顔をしている。
「む、来たか」
「黒猫? 驚きました。扉の一部が回転するなんて」
黒猫は小さな鉄箱を背負っており、アンドリューズがその鉄箱を開けて中身を取り出す。彼が手に持ったのは一枚の手紙だ。彼はずっと黒猫、正確には黒猫が運ぶ手紙を待っていたらしい。小屋の扉から目を離さなかったのはそういう訳かとミルセーヌは納得した。
「手紙ですか? もしやキャリーさん――」
「静かに。余計な推測は心に留めてください。誰に聞かれるか分かったものではない」
「聞かれるって……この小屋には私達二人しかいませんよ?」
「なぜ敵の暗殺部隊が資料館へ向かったかを考えてください」
暗殺部隊が資料館へ向かった理由は当然ミルセーヌの居場所を知っていたからだ。なぜ暗殺部隊が自分の居場所を知っていたのか、ミルセーヌは王国の裏切り者が情報を知らせたからと思っていた。だがもし、暗殺部隊が誰の協力も得ていなかったとしたら、どういう手段か不明だが秘密を好き勝手に調べられる誰かが居ることになる。迂闊に情報を口にしただけで遠くの敵に伝わるかもしれない。あくまで推測だが慎重さは武器になる。
「……なんということだ。ミルセーヌ様、我々の予想よりも最悪な展開ですぞ」
手紙を読んでいたアンドリューズが驚きの声を出す。
「時間がない。手短に言います。キャリー様からの情報でムーランの協力者が誰か分かりました。大臣です、王国大臣サーラン。奴はムーランの弟。人間ではなく魔人です。おそらくコエグジ事件のきっかけを作ったのも奴だ。フェルデスは奴の犬に過ぎなかった。サーランを討つか捕らえるかしなければ国の未来はない」
「……そんな、サーランが?」
サーランはミルセーヌが生まれた時から大臣だった。国王が政治で困ったことがあれば必ず彼に相談する程に信頼される男である。ミルセーヌにも優しく、ずっと家族のように思っていた。そんな彼が国の裏切り者。唐突に知らされた非情な真実にショックを受ける。
大臣は宮廷魔法使いよりも立場が上だ。フェルデスの権限で出来ることは当然出来るし、政治にさえ大きく干渉出来る。ムーランの協力者としてこれ程の適任は居ない。
「真実が判明したところでさらに悪い知らせです。今、この小屋はあなたを狙う暗殺部隊に包囲されてしまった。敵の中に我々の大まかな居場所を特定出来る厄介な能力持ちが居ます。あなたは一刻も早くお逃げください。その椅子下の床は、先程も見た扉と同じ仕掛けがしてあります。落ちれば隠し通路へ行けるのでそこからお逃げください。さあお早く」
「ま、待って! アンドリューズさんは!?」
「当然敵の足止め。勝てる相手なら始末します。私の心配は無用ですぞ、私は強い」
あんまりな急展開。ミルセーヌは思考を付いていかせるのがやっとでも、王族として正しい選択くらいは出来る。小屋に残っても戦闘の邪魔になるだけだ。自分の命が惜しいからと言われれば反論出来ないが、王族としては生きることこそが最重要。民がまだ国に居る限り、民のために生きなければならない。生きて、王族として為すべきことを為すのだ。
「生きて、絶対生きてくださいね! 約束してください、はい約束しましたどうかご無事で!」
言いたいことだけ言ってミルセーヌは椅子を退かして隠し通路へ飛び込む。
小屋に一人残されたアンドリューズは微かな笑みを浮かべながら剣を握る。
「なんと強引な約束だ、簡単には死ねんな。長生きせねば怒られそうだ」
殺気を感じ取る限り敵は三人。人数差で圧倒的不利。
「ふ、血が滾る。過去の栄光が懐かしい。かつて剣の勝負で敵無しと言われたこのアンドリューズ、書類仕事で腕は鈍ったが敵に命を獲らせるつもりはない。さあ、久し振りの戦場へ参ろうか」
――アンドリューズが小屋から出ようとした瞬間、小屋が爆発した。
*
丘の上に立つ小屋が爆炎に包まれている。
もう後戻りは出来ない。左目に眼帯をした白いローブ姿の女性、セイリットは絶望の淵に居た。帝国大臣ムーランの部下である彼女は知っているのだ。帝国では皇帝ゴルゴートがムーランを捕らえるため動き出している。もしかすればもう囚われているかもしれない。彼の計画に協力した者達も当然捕らえられるだろう。
暗殺部隊キルデスのリーダー、ヨシュアにセイリットは逃走を提案したが無駄だった。
「派手にやったなアルニアの奴。まあ、近くに村はないから少しはうるさくしてもいいか」
現在隣に立つ男。灰色の肌を持ち、銀の鎧を着た黒髪の男。キルデスのリーダーである彼は良くも悪くも仕事熱心だ。ムーランに任された任務を確実に、どんなことが起きても遂行しようとする。例えムーランが死んだとしても彼は止まらない。
セイリットがした逃走の提案は彼の怒りを買ったらしく、罰として左目を抉られてしまった。魔法の属性適性がないセイリットでは自力で治療出来ない。精霊談術で生命属性の微精霊の力を借りても眼球の再生は不可能。同じキルデスのワロスなら回復魔法を使えるが、セイリットへの治療行為を禁止されたので治してくれない。
「上級の火属性魔法だ。あれなら王女も生きられまい。おいセイリット、念の為に王女の生死確認をしろ」
絶望的な状況。ヨシュアに従う道しかなくこのままだと破滅一直線。……とセイリットは一人苦しんでいるが、実は皇帝がムーラン捕縛に動いたというのはエルの嘘なので無駄な心配である。
「どうした、早くやれ。今度は右目を抜かれたいのか?」
「わ、分かりましたよ王女の生死確認すればいいんでしょうすれば」
事前に精霊談術で王女とその護衛らしき男が小屋に居ることは確認済み。人間の目に見えない微精霊達は情報通だ。誰が何をしていたか、どこに居るのか、微精霊達は見聞きして知っている。
セイリットは微精霊に念を飛ばして語りかけ、王女についての話を聞く。
「……小屋の床に隠し通路があり、そこから逃走したようです。護衛らしき男は中に残っていたので死んだでしょうが……え、生きてる? 滅茶苦茶強い? あの炎で焼け死なないんですか?」
「なるほど隠し通路か。追いかけっこがお望みならやってやろう。アルニア! 炎を――」
先程まで小屋があった場所を包む爆炎が突如として真っ二つに割れた。
左右に分かれた炎の間から一人の男が見える。セイリットと同じように眼帯をしている、オールバックにした茶髪の男が剣を握りながら堂々と歩く。まるで何事もなかったようだがちゃんと服も肌も燃えていたので、男は素手で炎を払い落とす。
「中々の炎だったな。回避しきれなかったから少々火傷してしまったか」




