52 人間と魔人の歩み
星が浮かぶ夜、林の中でクビキリは目を覚ます。
夢を見ていた。忌まわしき襲撃、後にコエグジ事件と呼ばれた光景を。
木に背を預けて寝ていたので起き上がろうとしたが、自分に寄りかかって眠っていたルピアに気付いたため座ったままにしておく。
夢はコエグジ村で気絶したところで終わってしまったが当然現実は続く。
村の中で気絶した後、自分を見つけて介抱してくれたのは意外なことに騎士だった。その騎士はジルレットという名前で、コエグジ村にかつて飲食料や生活備品を届けてくれていた男だ。彼はコエグジ村襲撃に不参加だったものの、気になって様子を見に来ると悲惨な殺戮を目にすることになる。恐ろしくて逃げようとしたところ、偶々気絶中のクビキリを見かけたので背負って逃げたらしい。
ジルレットに事件の話を聞いたクビキリは騎士団とギルドに憎しみを抱き、復讐のために自らを鍛えることに専念しようと考える。最初は命の恩人でも騎士であるジルレットを殺害して、もう戻れない復讐の道を歩み始めた。修行に最適な場所を探す前にコエグジ村へ戻ってみたが、既に村があった場所には何も残っていなかった。家も、人も、何一つない焼け野原。しかし、そこで運良くヴァッシュと出会い、逃げ延びた魔人達と合流出来た。
同じ被害者である魔人達に復讐の話を持ち掛けたが、彼等は復讐などせず共に暮らそうと言うばかり。話にならないと呆れたクビキリは一人で強くなるための修行を続ける。そして数年掛けて修行は終わり新たな村を出て行く際、当然村長達に止められはしたが強行突破して復讐の旅に出た。
騎士を見つけては襲い、戦いで負傷すれば休み、動きに支障がなくなればまた騎士を殺しに行く。ギルドの人間は騎士団の鎧のような証がないので下調べが必要であり、時間が掛かるため後回しにする。そんな生活を続けていく中でクビキリは徐々に、人間という種族を嫌いだった頃に心が戻っていった。しかし一時でも談笑出来た人間は存在する。良い人間も確かに居る。だからせめて関係者以外は殺さないよう、その一線だけは越えないようにと心掛けてきた……つもりだった。
「俺は、見ないフリをしていたのかもしれん」
騎士のジルレット。魔人達を助けてくれたというギルドマスターのキャリー。
騎士団もギルドも所属する人間全員が悪なわけではない。心の奥では分かっていたはずなのに、強すぎる憎悪が真実を霧で覆い隠していた。自ら視野を狭め、激しき怒りのままに所属する人間を殺し回るだけの怪物。クビキリは今、そう自覚する。
「ずっと俺は、敵を見間違えていたということか」
本当の敵はあの日、襲撃してきた人間達とそれをさせた黒幕。
「……長の言っていた、本当の敵。騎士団でもギルドでもない第三の勢力。思い返してみれば今まで殺してきた人間の中に、村を襲撃したと言った奴等は一人も居なかった気がする。もし奴等が騎士団に紛れただけの別組織だったとすれば……厄介だな。鍵となるのはやはり、あの白い長髪の男」
別組織が主犯だったなら今までやってきた復讐は何の意味もないことになる。
今まで騎士団やギルドの者達は死んで当然と思っていたが、真実に気付いてしまった今は違う。今更だが、これからはしっかりと敵を見極めようと誓う。もう騎士団やギルドの者達を見つけても自分からは襲わない。
「まず、あの男を捜さなければ」
怪物だったクビキリの目は覚めた。しかし、復讐心はなくならない。
* * *
王都から少し離れた丘に、ポツンと一件だけ建つ木造の小屋。
誰かが住む家や別荘にしては狭く、この場所で過ごした形跡は一切無い。小屋の中にある物といえば日持ちのする干し肉などの食料、水、椅子のみ。テーブルすらない殺風景な小屋だ。
「一つ、はっきりさせたいことがあります」
ウェーブのかかった黄緑髪の女性、ミルセーヌが椅子に座りながら口を開く。
視線の先にはこの小屋に居るもう一人の人間。ずっと入口側に体を向けている男。
「アンドリューズさん。あなたは何者かの指示で動いており、ここで何かを待っている」
左目に眼帯を付けた茶髪の男、アンドリューズは何も答えず入口の扉を眺めている。
彼はミルセーヌを攫ってから今まで必要最低限の会話しかしてくれない。ただ、待遇は悪くなかった。食料や水は貰えるし、縄で手足を縛られたりはされない。少し警戒したが貞操の危機なんてことも起こらない。不自由があるとすれば外出が許可されないくらいだ。
「あなたが従う相手として一番可能性が高いのはギルドマスター、キャリーさんでしょう。行方不明と聞いていましたがあなたは彼女の帰還を信じ、ギルドマスターではなくギルドマスター代理になったそうですね。あなただけでなく、いくつかのパーティーの方々は彼女の生存と帰還を信じていた。それは……彼女の居場所を知っていたからなのでは?」
「……雑な推測ですな。仮にそうだとして、なぜあなたを攫ったのです」
ミルセーヌはアンドリューズが会話に応じてくれたことに少し笑みを浮かべる。
彼の目的については、彼が従う人物によって推測が変わる。ミルセーヌの肩書き、ただ一人の王女というのも重要だ。ヒュルス王国は世襲制なので国王の子供が居ないと非常に困る。仮にミルセーヌが死んだ場合、今の王妃だと出産に耐えられるか不明なため、おそらく現国王グンダムの親戚が次の王となる。このように王位を目的とした誘拐も過去にあるらしいが、それなら未だに殺されていないのはおかしい。未だに生かされているということは、ミルセーヌを殺すつもりがないと推測出来る。つまり……。
「私の身を守るため。そうですね?」
「……やれやれ。誰に聞かれるか分からないので全てを話すことは出来ませんが、あなたの推測は合っている。私はキャリー様の指示であなたを誘拐した。あのまま資料館に留まっていれば、あなたの命を狙う者達の襲撃を受けていたからです。護衛騎士は足手纏いになるので置き去りにしましたが、奴等は標的が居ないと分かりどこかへ去ったようですね。そしてまだあなたを捜している」
「その者達は、いったい何者なのです」
「デモニア帝国の大臣、ムーランの部下である暗殺部隊とのことです。奴等はあなたの命と……アリエッタの命を狙っている。アリエッタの方は頼り甲斐のある悪戯小僧が精一杯守るでしょう。不安はありますが、私はあいつを信頼しています」
「ま、待ってください。アリエッタとは、彼の仲間であるあのアリエッタですか? なぜ彼女まで命を狙われて」
アリエッタという名前をミルセーヌは知っている。
旧知の仲であるアリーダと共にギルドで働いている黒髪の少女。一瞬人違いかと思ったが、アンドリューズが説明なしで名前を出しているので間違いない。あまり話したことはないので、彼女について知っているのは強力な魔法使いなことと仲間思いなこと程度。帝国大臣に命を狙われる理由が全く思い当たらない。
「これは聞かれても困らないので言っておきましょう。アリエッタはデモニア帝国現皇帝の第二子、つまり皇族なのです。ムーランはあなたとアリエッタを殺害し、あなたは帝国の者、アリエッタは王国の者に殺されたことにするつもりなのです。そうなればどうなるか、分かりますな?」
「最悪の場合、戦争が始まる。それもおそらく、強い憎しみが動力源となる過去最大の戦争」
「正解です。理由は知りませんがムーランの狙いは戦争なのです」
過去に人間と魔人との間で起きた戦争は千五百年前、九百年前、八十年前の三回。
戦争の理由は種族差別と領土問題である。かつてビガン大陸とスモーラ大陸は繋がっており、瓢箪のような形の一つの大陸だった。大昔には人間と魔人が共に暮らす集落も多かったらしいが、魔人に対する差別が徐々に広がっていき減少。人間は魔人をモンスターもどきと罵り、時間が経てば魔人は人間を下等種族と罵るのがいつしか拡大。二種族の仲は険悪になっていき、ついに物理的な争いが始まる。
人間は人間の、魔人は魔人の、同種族の戦える者を集めて種族戦争と呼べるものが始まった。これが千五百年前の出来事。
最初の戦争では人間側が優勢だったが結局どちら側も被害は甚大。このまま戦い続けても死者と憎しみしか残らないと人間側が気付き、終戦を訴えて魔人側がそれを了承。差別は止まらないのでいっそ互いに離れて暮らそうと決意した両陣営は、大陸の一部を破壊して二つに分けた。それこそが現代のビガン大陸とスモーラ大陸である。戦争で優勢だった人間達が大きな方の大陸に住み、劣勢だった魔人達は小さい方の大陸に移り住んだ。これが今では第一次人魔戦争と名付けられている。王国と帝国が誕生したのもこの頃とされている。
第一次人魔戦争から約六百年後、第二次人魔戦争が起きた。
理由としては単純。時代が流れて過去の過ちを忘れた世代の魔人達が、スモーラ大陸より大きなビガン大陸に人間が住むのに納得出来ず、王国の領土を奪おうと戦争を仕掛けた。数年で大陸同士を繋ぐ橋を架けて攻め込んだとされている。当時の人間側の被害はとても多く、勝利したといっても辛勝。犠牲者は多く魔人への強い憎しみが広がった。第二次人魔戦争後、大陸間を繋ぐ橋は残り、多くの復讐者が互いの大陸を行き来することとなる。
時代はさらに流れ現在から約八十年前。第三次人魔戦争勃発。
戦争を仕掛けたのはなんと人間側からだった。当時の国王、つまり今から二代前の国王が強い野心を持っており、スモーラ大陸をも自らの支配に置こうと考えたのだ。精霊の力を借りて便利な道具が生み出され続ける時代、王国は船を使い、陸と海から一気に攻め込む。しかし帝国の技術発達は想像の上をいっており苦戦。結局仕掛けた王国側が劣勢からの危機感で攻撃を止めるまで、帝国側が耐えて終戦という形になる。
帝国大臣ムーランが引き起こそうとしているのは過去最大規模の戦争。
必ず阻止しなければいけないとミルセーヌは強く思い、拳を固く握る。




