51 ザンシュルスの記憶②
コエグジ村での生活が一ヶ月を過ぎた頃。
王国の環境に慣れるには十分な期間であり、和平計画はまた一歩進む。
コエグジ村から最寄りの村へ騎士が魔人を数名連れて行き、肉体労働の仕事を始めさせたのである。ザンシュルスもユアミのために働きに出た。主には農業と建設業の手伝い。やはりというべきか偏見のせいで仕事の同僚は態度が素っ気なく、ある人物は「国からの命令がなければ追い出している」とまで言った。
しかし、状況は意外と早く好転する。
一ヶ月程も経てば同僚の人間達は普通に接してくれるようになり、次第にその村の人間も話をしてくれるようになったのだ。魔人の働きぶりが人間の心を僅かに動かしたのである。得体の知れないモンスターもどきなんて認識では恐ろしいが、実際に接して話したりすればその魔人の内面も分かり、少しずつ二種族の溝は埋まっていく。
王国に来て一年が経過した頃には、四つの村から信頼を勝ち取り暮らしやすくなっていた。騎士からの監視も既にない。そして人間側からの信頼があれば、魔人側からの信頼もある。仲良く出来ないというザンシュルスの気持ちも変化していた。
「うわああああ! 助けてくれえええええ!」
ある日、ザンシュルスは一人の若者をモンスターから助けた。
人間を丸呑みしそうな大蛇型のモンスターだったが、昔から自己流で剣術を身に付けていたザンシュルスなら余裕で倒せる。……とはいえ、ザンシュルスの実力は並の騎士となら戦える程度なもの。とんでもなく強いモンスター相手では為す術がないので、今倒した相手があまり強くなくてよかった。大蛇型モンスターを真っ二つにした後で安堵のため息を吐く。
「大丈夫か」
「あああ、ありがとうございます! おかげで助かりました……って、ま、魔人!?」
人間はマッシュルームのような髪型の男であり、ザンシュルスを見て驚く。そしてザンシュルスも驚く。人間の男は過去、コエグジ村にまでわざわざ罵声を浴びせにきていた男だったからだ。厄介なことになりそうだと一人で考える。
「お前、いつだったかコエグジ村に来た男」
「え? あ、ああ、アンタあの時の……」
いきなり男が頭を下げる。
「何をして……」
「すまなかった。あの時は魔人が怖くて、家族も怖がっていたから帝国へ追い返してやろうと思ってた。本当にすまない」
「頭を上げてくれ。あれは、仕方がないものと理解している」
今ならザンシュルスにも分かる。
昔から植え付けられた偏見多い知識で人間と魔人は基本的に嫌い合っている。だから最初から仲良くしようなんて者は極僅かで、大抵の者は互いの好感度が最初からマイナスなのだ。ザンシュルスが仕事をして信頼を勝ち得たように、まずはどちらかが歩み寄らなければ印象は何も変わらない。コエグジ村に来た頃なばかりの時はそんなことにすら気付いていなかった。何も知らず、やはり人間など嫌な奴と決めつけていた。
「俺はナステルって村に住んでるチェンってもんだ。村の連中、今じゃすっかり魔人と仲良くなったよ。以前とは意見が真逆だぜ。魔人はちょっと体の作りが違うだけの人間だなんてさ。あの、是非助けてくれた礼をしたい! 家に来てくれよ!」
ナステル村は少し遠いがザンシュルスは付いて行く。
村では歓迎されたし、人間と魔人が談笑している姿も見た。そしてザンシュルス自身もチェンの家で彼の妻の料理をご馳走されて楽しく過ごせた。人間と魔人の関係は確実に、まだ一部の地域だけとはいえ良くなっていると実感出来た。
コエグジ村に帰ってからは自宅に帰りユアミと過ごす。
二人は夕食の時、一日の間にあったことを報告し合っている。
「お兄ちゃん聞いて聞いて。今日フィル君とロナリアちゃんと一緒に影鬼って遊びやったんだよ。すっごい楽しかったなあ」
「俺も今日は少し楽しいことがあった。こんな日々が続けばいいな」
ユアミは人間と関われなかった時は退屈そうな顔だったが今は違う。
今や限定された村だけとはいえ安全に二種族の交流が行える。ユアミは毎日出掛けては誰かと遊び、楽しそうに暮らしている。今はまだ四つの村でしか交流出来ていないが、時間が経てば魔人の良い噂が広がり関わる人間も増えていく。いずれはこの世界の全員とまでいかずとも、互いに嫌い合う二種族の関係は良いものへ変化して、過去に起きたような戦争は二度と起こらない。ザンシュルスはそんな気がした。
「ふふ、お兄ちゃん変わったね。私が王国への移住を提案した時に猛反対していたでしょ?」
「……そんなこともあったな。今は、来て良かったとすら思える」
「あの時言った通りでしょ? 良い人間は居るはず。視野を広げて相手を見なきゃ何も分からないって」
自分も偏見を持ったことをザンシュルスは反省している。
碌でもない種族と人間を嫌い、悪口を数え切れない程に吐いてきた。仲良くなる前の人間と同じ気持ちだったのかもしれない。種族差別というものはきっと、お互いの心を知らないから起こるのだとザンシュルスは思う。
「私もね、最初は不安だったよ。人間のこと知りたくて王国へ行きたかったけど、知らない土地に種族、知らないことだらけな未知の場所だったからね。でも、お兄ちゃんが付いて来てくれたから大丈夫になった。ありがとうね。お兄ちゃん大好き!」
「……ああ。俺も、好きだよ」
今日も平和に一日が過ぎていく。
そして早朝……爆発音で目が覚めた。
目覚ましになった爆発はとんでもない騒音。
熟睡していたザンシュルスも飛び起き、慌てて外の様子を確認する。
玄関の扉を開けて外を見てみればコエグジ村が炎上していた。
家も大地も焼け、鎧姿の人間に魔人が襲われていた。
村は無惨な状態となっていて平和の影など全くない。
ただそこにあったのは争いで命を落とした死体、そして生まれる憎しみ。
地獄なんて言葉は今、この時のような場所で使うのかとザンシュルスは戦慄する。
「……な、何? なんだ、なんだこれはあああああ!」
人間は良い者達ではなかったのか。これまでの笑顔は嘘だったのか。
混乱していたザンシュルスだが真っ先にしなければならないことは分かる。
「ユアミ大変だ起きろ! 今すぐ逃げなければ……ユアミ?」
家の中に居るとばかり思っていたがユアミはどこにも居なかった。
既に彼女は起床していて、家の外に出ていたのだ。つまり戦場の中に彼女は居る。
愛する妹を捜すためにザンシュルスは家を飛び出し、戦場の中を駆ける。息を切らす程に全力で駆け巡った結果、ようやく見つけた妹は気絶しているのか、白い長髪の男に紫の髪を持たれて引き摺られていた。
「妹から離れろおおおおおおおおおおお!」
「こいつは活きが良いのが居たね。〈大爆発〉」
白い長髪の男が放った魔法によりザンシュルスは派手に吹き飛んで地を転がる。
体は重傷だが意識は残っていた。霞む目でも気にせず敵を睨む。
「知らないだろうから教えてやろう。僕達の攻撃はね、国王からの命令なんだよ。君達はヒュルス王国に攻め込もうとした、ということになっている。まったく、何も知らない奴等を見ていると笑いが零れるよ。君達コエグジ村の住人も、騎士団もギルドも、あの国王も所詮道具。哀れだと思うね」
「……妹から、離れ、ろ」
「ああこれのことか。ふーん君の妹、ね。なら君に返してあげようじゃないか」
白い長髪の男が「〈大地の剣〉」と呟くと、大地の一部が長剣の形となって飛び出す。鋭い長剣を手に持った男はそれをユアミの首目掛けて振るい、彼女の頭部と胴体を切断してみせた。
いとも容易く、躊躇もなく、ザンシュルスの目前でユアミは殺された。いや、既に死んでいたのかもしれないが、兄の前で妹の体を傷付けた結果は変わらない。
「ほら、君の大事な妹だ」
男は近付いて来て、ユアミの頭部をザンシュルスの目の前に置く。
「魔法は好きだけど今は騎士だからね。剣も使ってみたんだけど結構使いやすいなあ……って、この剣も魔法か。ああ聞いていないね、放心してるのか。もう起き上がる気力もない、と。だが君は見所あるよ。強くなれるし、そのためのモチベーションも与えた。もし生き残ったらまた会おう。その時は、熱い戦いをしようじゃないか」
白い長髪を揺らしながら男は立ち去っていく。
唐突な酷い現実を受け止めきれないままザンシュルスの意識は消えた。




