50 ザンシュルスの記憶①
赤い長髪の少女、ルピアが息を切らしながら林を走る。
幼い頃から嗜み程度に武術を習っていた彼女は、他の貴族令嬢と比べて体力と筋力が遥かに高い。しかしそんな彼女でも、大の男を一人背負いながら走れば疲れるのが早い。あの場所から離れなければと全力疾走していたが、二分も経てば全身が重くなり走れなくなった。息を整えるのに一分以上は掛かりそうだ。
「……なぜ、俺を助ける」
ルピアは背負っていた男をゆっくり下ろし、自分も休むために座る。
「以前も、言ったでしょう。死にそうな生物が、いたら、助けるのは、当たり前って」
「殺人鬼でもか」
「殺人鬼でも、あなただから、ですよ」
ルピアはお人好しだ、自分でも理解している。しかし、殺人鬼自身から勝負を仕掛けて敗北し、殺されそうになっているのを見てもきっと助けない。今回助けたのは死にそうなのがクビキリだったからだ。ルピアはクビキリをただの殺人鬼とも、悪人とも思っていない。
短い間だが共に行動してクビキリの心情を理解した。
村を襲われ、妹を殺され、膨れ上がった憎悪をぶつける先が人間しかなかった。少しでも戦う理由が欲しくて、村を襲った騎士団やギルドの人間を標的とした。彼の憎悪は今も晴れず、激情のままにまだ戦おうとしている。はっきりと言ってしまえば、彼は他人に八つ当たりする子供のようなもの。負の感情を受け止めきれる程に心が成長していなかったのだ。
当然そんなことは言い訳にしかならない。彼がやったことはとても罪深い。
しかし、彼がどんなに悪人呼ばわりされたとしてもルピアは違うと言い張る。
真の悪とは理由もなく生物を殺すような、善性が欠如した者だ。
彼にはまだ村の魔人達を助けたいという秘めた善性がある。ルピアは彼のような者を悪と思わないし、当然善とも思わない。善悪の境目にいるだけだ。彼にはまだ生き方をやり直せるチャンスがある。殺されてしまうのはまだ早い。罪を償う方法は死以外にもあるのだから。先程の場にも居た被害者の遺族からすれば身勝手で、納得出来ないかもしれないが、ルピアは彼が真の悪に墜ちないなら死なないでほしいと思う。
「もう、ああやって無関係の人を襲うのは止めませんか?」
「関係はしている。ギルドと騎士団に所属したなら――」
「無関係ですよ。コエグジ村を襲った人達じゃないんですから」
「関係、そうだ。同じ組織がまた村を襲わないと断言出来るのか? 俺はあの村を守るために――」
「あなたは目が三つもあるのに、何も見えていないんですね。いえ、見ようとしないんですね」
クビキリは自分自身を理解していない。自分のやり方が正義だと信じている。
「疲れたでしょう。一度、休みませんか? 休む間、自分の心を見てみましょうよ。憎しみ以外の心を。そして、人間のことももっとよく、視野を広げて見てくれませんか。あの村の魔人達は、それが出来ているんだと思います」
回復魔法は既に使ったが体力までは回復しない。
クビキリは座ったまま俯き、睡魔に襲われる。
睡魔は段々と強くなり、視界がぼやけて瞼が下がり始める。
「今は、お休み」
ルピアがクビキリの頭を撫でると彼は安心したように眠りにつく。
先程まで殺し合いをしていたとは思えない程に静かな眠りだった。
* * *
現在から十五年以上前、コエグジという一つの村が存在した。
一部の魔人を王国へ移住させたいというデモニア帝国からの申し出を王国が受け、和平への一歩になるとまで言われた魔人の住む村。後にクビキリと呼ばれる魔人ザンシュルスと彼の妹も、帝国からの移住者に含まれていた。
「もう一度言ってみろ! 同じことを言えば殴る!」
「暴力を振るうのかあ? だが知ってるぞ、魔人共は暴力を振るえない。そういう約束なんだろ? もう一度言ってやる! 魔人なんて人型のモンスターだ、とっとと人間の国から出て行け化け物が! 王様が認めても俺はお前等なんかの移住に反対だぜ!」
側頭部から螺旋状の角が生えた三つ目の青年、ザンシュルスは拳を振りかぶる。
反撃を想定していなかったのか相手の男は「ひっ」と悲鳴を上げて屈み込む。
そんな今にも暴力事件になりそうな現場へ一人の女性が走って近付く。
「止めろザンシュルス!」
走って来た女性は勢いよく跳び蹴りをしてザンシュルスを蹴り飛ばす。
赤い瞳の彼女、ヴァッシュも魔人でありコエグジ村の住人。移住者の中では最も人間に近い外見をしており、ただの人間と違う部分といえば尖った耳、小さな牙、そして今は背中にしまっている蝙蝠のような羽だ。彼女のように普通の人間と似た外見の魔人、逆にモンスターに近すぎる獣のような魔人は帝国だと差別されて嫌われやすい。移住者の多くは外見で差別されてきた者達だった。しかし王国に来ても解決策にはならず、魔人というだけで罵倒されたりする。
「何をするんだヴァッシュ!」
「手を出せば村から追放だぞ。最悪帝国の牢屋行きだ。少しは頭を冷やせ」
帝国の現皇帝と王国の現国王は二種族の和平を目指している。
コエグジ村は和平へのスタートになるかもしれない場所。暴力沙汰を起こせば人間からのイメージダウンは間違いなく、目的が遠のいてしまう。ゆえに皇帝と国王は移住者に暴力は振るわないよう命令した。悪口を言われても、相手から攻撃してきても、移住者達は耐えなければならない。
「大丈夫か?」
人間の男は立ち上がると礼も言わずにコエグジ村入口から走り去っていく。
「……逃げられた」
「ふん、人間は俺達が怖いのさ。奴等にとって魔人はモンスターらしいからな。気に入らない。わざわざコエグジ村まで来ておいて、どうせ攻撃出来ないからと俺達を罵倒しやがって。そのくせ攻撃されそうになれば逃げていく」
「人間全員がそう思っているわけではない。我等を受け入れてくれる者もきっといる」
ザンシュルス以外の移住者は皆そう言う。何の根拠もない、希望が込められた言葉だ。
この場所でザンシュルスは異端と言える。元々、人間と仲良くなる気など彼にはない。わざわざ王国へ移り住んだのはただ一人残された家族、妹のユアミが希望したからである。彼にとって最優先すべきはいつも妹と言える。
愛する妹の待つ家に帰ったザンシュルスの鼻に食欲をそそる匂いが入った。
二人暮らしなので家事の分担をしている。ユアミは主に食事担当。洗濯と掃除は二人で手分けして行い、他のことはザンシュルスが担当している。ユアミの仕事量が少ないが、それはあまり妹に仕事を与えたくないからだ。家事が下手だったり、ザンシュルスがシスコンだからでもなく、年齢の離れた妹に楽をさせたいからであった。
ユアミは九歳。ザンシュルスとは年齢が十も離れている。
父親と浮気相手との子供らしいがそんなことは些細なこと。
綺麗な紫の長髪と瞳は美術品のようであり、顔立ちは整っていて、性格も良い。耳元に生えたエラ、首より下に生えた鱗がチャームポイント。将来は誰からも人気を得られる女性になるだろう。その片鱗なのか、ザンシュルスは既にユアミに夢中だ。もちろん兄妹として。
「お兄ちゃーん。いつになったら人間の村に遊びに行けるの?」
昼食を食べ進めながらザンシュルスはユアミの問いに答える。
「遊びに、とは違うが村に行く機会はある。今の食べ物や飲み物は全て騎士が運んで来るだろう? あの運搬量が次から減っていく。減った分は自分達で補充しなければならない。他の村で人間の仕事を手伝って金を稼ぎ、自分達の金で食べ物を買う。こうやって人間と接する機会を徐々に増やすらしい。しばらくは騎士の監視付きだがな」
「お仕事なら私頑張るよ。私も他の村に行っていい?」
「最初に紹介されるのは肉体労働の仕事と聞くし止めておけ。買い物の時に同伴すればいいさ」
ユアミの「やったああ」と喜ぶ姿を見てザンシュルスは不安になる。
人間の魔人に対する偏見や恐怖は予想以上に強い。ザンシュルスは元から人間と仲良くする気などなかったが、実際に王国へ来てみて仲良くするのは無理だと思うようになった。
いつか妹の笑顔が曇らなければいいが……と思いながらまた料理を口に運ぶ。




