49 クビキリに対しての切り札
この瞬間、クビキリは今までよりも素早く加速した。
風の精霊の力を借りたおかげだ。一時的にスピードが上昇する。
電撃糸の猛攻を全て掻い潜ってアリーダに刀を振るえる程に速い。
(ま、マズい。急激な加速! 手札を隠していたのはこいつもだった! 急接近したと思ったらもう刀を振っていやがる。ダメだ、躱せない。思考はともかく体の動きが追いつかない。首に当たる。お、俺の首輪に刀が当たる!)
タートルネックで首を隠していたが、アリーダの首には首輪が付いている。
「しょうがねえ、か。これは最後の手段だったんだが」
硬い金属の首輪。これこそがクビキリ戦においての切り札。
トドメの一撃が必ず首に来るのは分かっているからこその策。
刀はタートルネックの服を裂き、首輪に直撃してガキンとうるさい金属音を鳴らす。首輪の材料はフルメタルスパイダーではなく普通の鉄だが斬撃を受け止めるくらい出来る。相応の衝撃で首に負荷が掛かるがアリーダは気合いで耐えた。
「残念だったな。これがテメエを詰むための最後の策さ。テメエは俺の首を斬れない」
「こんな首輪如きで身を守ったつもりか。こんなものおおおお!」
鉄の首輪に小さな亀裂が入り、徐々に広がっていく。
クビキリ程の剣士なら鉄をも斬れる。
ついに首輪の右部分が割れて刀が奥へ……進まない。
どれだけ力を込めてもアリーダの首には届かない。
鉄でも筋肉でもない感触の何かが斬撃を完璧に阻止している。
「言っただろ。テメエは俺の首を斬れない。なぜなら首輪の中身は」
割れた首輪の中から刀を押し出して黒い流動体が飛び出て来た。それは――。
「フィジカルアンチスライム!」
スライムらしく流動するそれは高速で刀を伝い、クビキリ本人に纏わり付く。彼はあっという間に黒い流動体に呑み込まれて呼吸を封じられた。何も対抗手段がなければじわじわ溶かされて消化を待って死ぬのみ。しかしフィジカルアンチスライムは魔法に脆弱であり、彼は精霊談術により無詠唱で魔法と同じ現象を起こせる。脱出は容易だし、そのことはアリーダも承知している。
「角度完璧。足止め完璧。トドメの準備も、完璧」
クビキリが精霊談術により、小さな炎をフィジカルアンチスライムの体内に生み出す。フィジカルアンチスライムはもがき苦しみ木っ端微塵に弾け飛んだ。クビキリが拘束されてから脱出までの間、約三秒。戦闘においては致命的な隙。
「零距離〈電撃〉あああああああああ!」
「ぐああああああああああああああああああああああ!?」
アリーダはクビキリの厚い胸板に人差し指を当てて、渾身の電撃を体に流し込んだ。
残った魔力の九十九パーセントを一撃に込めた。もしこの攻撃を受けてもなお動けるのならアリーダに勝ち目はない。白目を剥いたクビキリが倒れるか、倒れないか。心臓をバクバクと派手に鳴らしながら運命を決める一瞬を待つ。
一歩、クビキリの足が前に出る。
彼の体は細かく震えており、まともに刀を握ることも出来ず落とす。
執念ゆえか彼は殴打の構えをとる。後ろに右腕を引き、そのまま……前のめりに倒れた。
一気に緊張の糸が解けたアリーダは立っていられず尻を地面に打ってしまう。
「……テメエの、負けだぜ。復讐鬼」
激しい戦いは終わった。アリーダは確かに勝ったが、この戦いはどちらが勝者になってもおかしくなかった。アリーダの強みは事前準備にあるので、事前に考えた策全てを打ち破られたら敗北していたかもしれない。最後の手段を使わざるを得ない程に追い込まれたのもあり、本気で死を覚悟したものだ。
実際のところクビキリはアリーダより強かった。実力も、精神も、上だった。
「凄い奴だよテメエは。執念っつーのか、覚悟っつーのか、そこは素直に凄いと褒めるぜ」
アリーダは倒れたクビキリを木の傍まで運び、縄で木に縛り付ける。
本当ならダブルボーラーを拘束具として使いたかったが、糸を斬られてしまったので上手く縛れない。普通の縄を使うのは仕方ないことである。強度的な不安はあるが、アリーダが目を離さなければ逃亡出来ないだろう。
クビキリを拘束してからしばらく経った頃、一人分の足音が聞こえてきた。
「――アリーダ、そいつは」
林を駆けて来たのは、鋼の胸当てとスカート姿のイーリスだった。
胸当てもだが、剣も携えているので戦闘のことは確実に知っている。他に知るのはジャスミンだけなので彼女が話したに違いない。やれやれという態度でアリーダは「お喋りなやつだ、あいつも」と小さな声で零す。
「お察しの通りだぜ。こいつが殺人鬼の」
話を聞かずイーリスは剣を鞘から抜いてクビキリへ駆け寄ろうとしたので、アリーダが肩を掴んで止める。
「待て待て。いきなりすぎんだろ。お前の気持ちは分かっちゃいるが」
「分かってない! やっと、やっと見つけたんだぞ! 父を殺した、憎き敵を!」
イーリスはずっと父親の仇だけを追い続けてきた。尊敬出来て頼れる父親を殺し、母親を悲しませたクビキリだけを探してきた。復讐だけが目的だった。他の何を犠牲にしてでも戦おうとした相手が今、目の前に居る。
「……騒がしいな」
「よう、お目覚めか」
そしてそんな相手が今、目を覚ました。
三つの瞼をゆっくりと開けてアリーダに視線を送る。
クビキリは縛られている現状に気付き、なんとか脱出しようと腕を動かすが縄は解けない。血管を圧迫するくらいに強く縛っているので、魔法でも使わない限り脱出するのは不可能だろう。アリーダに見張られている状態では下手な行動が出来ないので彼もすぐ諦めた。
「俺をどうするつもりだ?」
「どうするだと? 殺すに決まっているだろう、私が、この手で!」
「俺はアリーダ・ヴェルトに訊いたのだ。俺に勝った、その男に」
「何だと!?」
「……まだ悩んじゃいるが、騎士に引き渡すのが普通だろ。多くの人間を殺したから死刑になるだろうし、そういう点じゃ殺すってのと同じ意味かもな。あの村の村長からも頼まれている。殺してでも止めてくれってよ」
「騎士に渡す? 冗談じゃない。頼むアリーダ、私に、私にそいつを斬らせてくれ」
肩を掴まれたアリーダは今にも泣きそうなイーリスの瞳を見る。
彼女は仲間。仲間の想い、目的を目の前で奪うのはアリーダも心が痛む。
別に、彼女の復讐を否定したいわけではない。悩んでいると言ったように、まだ自分のするべき選択が分からないのだ。本音を言えば本当に殺すべきかすら判断出来ない。クビキリの事情を村長から聞いてしまったせいでこんな気持ちになるのだろう。
「考えたが、一先ず俺がテメエを殺すことはない。騎士団かイーリスのどちらかにテメエを渡す。死ぬだろうな、確実に。復讐したいって気持ちは理解出来るがよ、テメエの復讐は認められない。殺した奴等の中に少なくとも一人、コエグジ村襲撃とは無関係の人間がいるのを俺は知っている。罪を裁く自分に酔い、本当の敵も見えていない人殺しだよテメエは。三つも目があるのに全部曇ってちゃ意味ねえよ」
少なくともタリカン・アットウッドは事件と無関係な人間だ。コエグジ事件当時は子供で関わりようがない。アリーダが知らないから断言出来ないが、全くの無関係な逆恨みで殺されたのは彼だけではないだろう。騎士団やギルドに所属しているという理由だけで殺していたのだから。ただ、イーリスの父親が無関係かどうかまではアリーダにも分からない。
「アリーダ、私に、任せてくれるな?」
「……ああ。お前の好きにしろよ。あの村長から頼まれていることだしな」
イーリスが剣を構えてクビキリに近寄る。
「アリーダ・ヴェルト。二つ、貴様に伝えたいことがある」
「分かった。ちょっと待っとけイーリス」
「一つ。今、キルデスという帝国の暗殺部隊が王国にやって来ている。狙いは王女の命、戦争のきっかけだ」
クビキリから情報が出ると思わなかったが、アリエッタが話してくれた帝国大臣の計画からして王女を狙う何者かが来るのは予想していた。しかし肝心の王女ミルセーヌが行方不明なので対策の取りようがない。彼女と共に居るアンドリューズが守ってくれるのを期待するしかないだろう。
「二つ。貴様も行ったあの、魔人の村。あの場所が何者かに襲撃された」
「あの村が!? 村の奴等は生きてんのか?」
「死者は出たが半数以上生きている。襲った者達は虹色の腕輪を付けていたらしい。俺が見つけて皆殺しにしようと考えていたが、貴様に対処を任せたい。あの村と関わりがあり、異種族と共存している貴様だからこそ、任せたい」
魔人が隠れ住む村が襲われたのは予想外な情報だ。問題はアリーダ達の敵か味方かだが、人間側にまだ、イーリスのように復讐心を燃やす者が居るのかもしれない。アリエッタの正体がバレれば襲われるのは確実だ。敵になる可能性が高い相手だが、虹色の腕輪という目印があればその相手も見つけやすいし対策を練りやすい。クビキリからの情報は非常に有用なものであった。
「普通の奴なら断るだろうなあ。自分を殺そうとした相手からの頼みだぜ? 断るに決まってる。だが、テメエの頼みは自分勝手なものじゃない。あの村のことを本気で心配して、助けたいって想いが言葉から伝わる。いいぜ、引き受けた。虹色の腕輪を付けた連中を捜してみるぜ」
クビキリは「そうか」と小さく笑みを浮かべる。
イーリスは「もう、いいな?」とアリーダに確認を取る。
「テメエは許されねえ罪を犯した。同情はしねえ」
待たせて悪かったという感情を込めてアリーダがイーリスの名前を呼ぶ。
クビキリはこれから死ぬ。被害者遺族によって殺される。復讐は果たされる。
本当にこれで良かったのだろうかとアリーダは未だに悩んでいたが、誰もが納得する答えを出せずにいた。剣で斬首されるクビキリを見たくなくて目を伏せ、顔を逸らす。自分の選択が正しいことを願いながら剣が振られるのを待つ。
――ポトッ。何かが、アリーダ達の近くに落ちた。
手のひらサイズの白い玉だ。小さな穴が十箇所も空いており、そこから煙が出ている。
全員すぐに煙玉と気付き驚く。排出される白煙はみるみる勢いを増して、煙玉はその勢いで暴れ出す。あっという間に辺り一帯は白煙に包まれてしまい、傍に居るはずの相手の位置が分からなくなった。時間が経てば白煙は薄れて消えていく。
「何だったんだ今のは。……居ない」
視界がはっきりした時、クビキリは姿を消していた。縄は切断されている。
剣を握っているイーリスが悔しそうに歯を食いしばり、木に八つ当たりする。
「逃げられた。あと、少し……あと少しで殺せたのに。くそおおおおお!」
アリーダは近くに落ちていた煙玉を拾い、腰の短剣で玉を斬る。
煙玉の中には黒い葉がぎっちり詰められていた。黒い葉の正体はモクモという植物の葉。元々は純白だが、着火すると色が黒くなり、燃焼時に白い煙を大量に放出する。市場で売られることもあるし、作ろうと思えば素人でも簡単に作れる道具だ。
煙玉が飛んで来たのはクビキリの方からではなかった。別の誰かが投げたのだ。
「……てっきり孤独に戦ってると思っていたんだがな。居たのか、協力者」
逃走を許したのは、敵の仲間の存在を考えなかったアリーダのミス。
今後二度と同じミスはしないと心に誓い、またクビキリと会う運命の日を待つことにする。




