39 フセットの行方
アリーダ達とクビキリが戦闘したケルトリオス森林から少し離れた崖下の道。
左が岩壁、右は森。行商人がよく通るというその道をクビキリは歩いている。
紫の痣がいくつも体にあるせいで痛みが酷く、歩くスピードは子供よりも遅い。
(ジャスミン、想像を遥かに上回る強さだった。アリーダ・ヴェルトと組まれた時は厄介さが数倍になる。あの二人、仕留めるなら一人になった時がよさそうだな。……くっ、ダメージを受けすぎた。この傷、生命の精霊の力を借りてもしばらく完治せんな)
「――ようやく見つけた」
崖下の道を歩いていたクビキリの前方に水色髪の女性が現れる。
「フセット・ポラミアン、か」
「なーんだ。私が戦うまでもなく既に誰かに負けたみたいね、残念。あなたは私が嬲り殺してあげようと思ったのに。まあいいか。結局、私があなたを殺すって結果には変わりないわけだし。私があなたを殺すことに意味がある」
「……殺されるのは、貴様の方だ。フセット・ポラミアン」
重傷のせいで動きが鈍いクビキリだがフセットを殺す自信はあった。
剣士や格闘家と比べて魔法使いは実力を測りにくいが、彼女からは強者独特の雰囲気が感じられない。アリーダもそうだったが彼のような戦い方をする人間は少ないし、彼女が仮にそうでも一対一なら殺しきれると考えている。当然無理と判断すれば逃走する冷静さもあるので、想定外のことが起きても死ぬつもりはない。
「〈超火炎〉」
一瞬で想像を絶する熱量の炎が広範囲を埋め尽くした。たった数秒とはいえ、圧倒的火力の蹂躙は範囲内の物質を焼失させた。当たり前のようにクビキリの姿もなくなっている。フセットが放ったのは中級魔法だが、上級魔法以上の威力と消えた仇を見て思わず笑みが零れる。
「は、はは、はっはっはっは! やった、やった! 肉片一つ残ってないじゃん!」
「――ご満悦のようだねえ」
フセットの後方から白い長髪の男性が歩いて来た。
気分が良いフセットは振り返らず、黒くなった地面を見ながら笑い続ける。
「凄いよ、あなたがくれたこの精隷輪具ってやつ! 中級魔法が上級並、いやそれ以上に強くなったんだから!」
フセットは左手首に虹色の腕輪を嵌めていた。
今来た白髪の男性、フェルデスから貰った特殊な道具だ。
魔法の発動や高威力化をやってくれる精霊を強制的に協力させて、本来の威力以上の魔法を扱うことが出来る。さらに属性の適性を持たない、魔法の才がない人間でも全属性の魔法を扱えるとんでもない代物である。
「凄いよねー。でも、クビキリには逃げられたよ」
「……は、逃げられた? 跡形もなくなったでしょ」
「いいや違うね。遠目だと分かりやすかったよ。どこかへ飛んでいったのさ彼は」
「嘘、本当? 殺せなかった? くそっ、くそおおおっ!」
仇を討てなかったと分かったフセットは歯を食いしばって地団駄を踏む。
憎悪で溢れているフセットを見てフェルデスは「こっわ」と若干笑みを浮かべる。
「次会った時に殺せばいいじゃん。だけどまた会うには情報が必要だ。我々『魔人殲滅部隊』に入ってくれればありがたいなあ。仲間になってくれるならさ、その精隷輪具だって無期限で貸し出すよ。悪い話じゃないだろう」
「分かった。入るよ、魔人は全員殺してやる」
「ありがとう。歓迎するよ。早速だけど手伝ってもらいたい仕事があるんだ。今、この国にデモニア帝国のお姫様が来ていてねえ。ぶっ殺せって言われてんの。もしぶっ殺したら戦争が始まって、魔人を殺し放題だ。そう思うと昂ぶるだろう」
「戦争か、そりゃいいや。魔人から寄って来てくれるんだからね」
恋人を殺されたフセットの憎しみはクビキリだけに留まらず、魔人という種族全体に広がっていた。もう彼女は止まらない。全ての魔人を殺し尽くすまで怒りと憎しみは収まらない。戦争がしたいなんて言ってしまう程に愚かな思考をする彼女の心は既に壊れていた。
* * *
森の中でアリーダはイーリスに左手を治してもらい、ジャスミン含めた三人と帰る途中、アリーダ達を追ってきたアリエッタと合流。何が起きたのか全員で共有するため、情報漏れの可能性が低いエルマイナ孤児院の一室で情報整理をした。憎き仇であるクビキリとの邂逅を逃したイーリスは歯を食いしばり、部屋の隅にまで一人離れていってしまう。
「大変でしたね。私がもっと早く駆けつけられたら噂の殺人鬼も捕まえられたかもしれないのですが……間に合わなくてすみません。でも、アリーダさんとジャスミンさん、お二人が無事で居てくれて本当に良かったです」
「左手ぶった切られたけどな。まあ、ジャスミンが来てくれなきゃ左手どころじゃ済まなかったから幸運か。そんでジャスミンはどうよ、フセットは宿に戻っていたのか? 確認してきたんだろ?」
「ダメ。帰ってなかったよ。本格的に行方不明だねこりゃ、行き先に見当もつかない」
フセットの精神状態も心配だがもっと心配なのは命の方だ。
一人で出歩いたからといってそこらのモンスター相手に後れを取る彼女ではない。しかし、今日のように偶然クビキリと遭遇することもありえる。恋人を殺されて精神が不安定な彼女は真っ先に復讐しようと魔法をぶっ放すだろう。実際に戦ったアリーダだから分かるがクビキリは優秀な魔法使い程度余裕で蹴散らす。九十九パーセント勝てないし、見逃す理由もないので殺される。
「あの女は簡単にゃ死なねえ。きっと一人寂しくどっかで泣いているだけだ。早く見つけて、お前にはまだアタシが居るって言ってやれよジャスミン。パーティー抜けた俺じゃそんな言葉言ってもあいつの心に響かないだろう。あいつを立ち直らせるのはたぶん、お前にしか出来ねえぜ」
「そうだね。きっと、そうだよね」
最悪の場合、自殺しているという推測をアリーダは心の中にしまっておく。
今ここで何を言ってもフセットの状態は変わらないし、最悪なんて無駄な推測をジャスミンに聞かせて心配させたくない。無事で生きていると思った方が誰でも気が楽になる。
「アリエッタは何か報告することあるか?」
「すぐアリーダさんを追いかけたので特に変わったことはありません。あ、依頼の件ですが、アンドリューズさんに考えがあるらしいので任せてしまいました。重要な仕事だったのに申し訳ありません、勝手な判断をしてしまって」
「いや、オッサンに考えがあるってんなら任せよう。情報整理は終わったしギルドに行こうぜ」
「一つ疑問なんだけど、この話し合いってギルドでやったらダメなのかい? クビキリの件、どうせ報告するのに」
「そりゃあするけど、仲間との重要な話はなるべくこの場所でしたい。身内しか居ねえし、この客室には滅多に人が来ない。情報漏れの心配が最低限で済む。今、俺達、情報を無駄に他人に漏らすわけにいかない状況だからな」
仕事の話途中でギルドから出て来たので、本来なら真っ先にギルドのマスタールームへ戻るべきだろう。しかしクビキリの件はイーリスにとってデリケートな話題。のんびり落ち着ける空間で話をしたかった。イーリスだけのためではなく、アリエッタを守るためにも重要な話は人の少ない場所でするべきだ。些細な情報でも、アリエッタの命を狙う刺客がどこの誰かも分からない状態だと、ギルドなど人の多い場所での話が不安になる。
「やけに神経質になってるね。何かあったのかい?」
「いや何も。ちょいとプライベートってやつを大事にしているだけさ」
ジャスミンは信頼出来るがアリエッタの件を話すのは止めておいた。
魔人は人間にとって関わりが殆どない不気味な存在。そんな中、パーティーのリーダーを殺されたジャスミンが魔人に恨みを持っていてもおかしくない。かつてイーリスが魔人全体を憎んでいた時と同じだ。気持ちを切り替えろと言葉にするのは楽だがそう簡単に考えは変わらない。もちろんジャスミンが魔人全体を憎んでいない可能性もあるが、彼女の胸の内が分からない以上、何も教えない安全策を取った方がいい。
「さて、おいイーリスいつまで壁と向かい合っているつもりだ。お前もギルドに行くぞ。クビキリと会ったことは報告しとかねえといけねえし、オッサンやミルセーヌがまだ待っているかもしれねえ。うーん、やべえな、怒ってなきゃいいんだが」




