29 偽装
ナステル村は祭りのように騒がしかった。
理由は一つ、忌まわしき魔人を磔にして燃やしたからである。
魔人の名前はアリエッタ。黒髪の少女のようだったが、実は人間の頭部を食い千切って胴体を乗っ取る悪質な魔人だった。寄生型モンスターの能力を持っていた彼女は人間になりすまし、人間の町で生活していたという。
村の外にある切り株に金髪の女性、イーリスが暗い顔をして座っていた。俯いたまま動かない彼女は自分に近付く人間を察知して、相手を責めるような瞳を向ける。
「……終わったのか」
体格がいい紫髪の男、アリーダは「ああ」と言いつつ彼女の傍に立つ。
「村の連中、菓子貰ったガキみてえにはしゃいでたぜ。今夜は宴だとさ」
「私の気分は最悪だ。本当に、最悪だ。吐いてしまいそうなくらいに」
「最悪? はっ、最悪ってのは全滅した時のことだぜ。俺達は生きてる」
「――そうですね。私はこれで良かったんだと思います」
近くに生えていた一本の大木の後ろから黒髪の少女が出て来た。
彼女、アリエッタは死んだ……と村人だけは信じ込んでいる。
単純な話、彼女の死を偽装することでアリーダ達は村を出られたのである。
「アリエッタを死んだことにするなんて作戦、私はもう御免だがな」
*
三十分前。宿屋でイーリスに斬りかかられてアリーダが対応しようとした時。
何もかも手遅れで、アリエッタが助かる道はイーリスと逃避行するだけだった。それでもアリエッタは自分が死ぬことを選んだし、何よりも大好きな仲間同士で争う姿を見たくない。三人で笑って過ごす時間が彼女は何よりも好きだったからだ。
「止めてください!」
「じゃあ止めるか」
「え?」
アリエッタの叫びをきっかけに、アリーダは素手の構えを急に解く。
あまりに唐突な変わりようにイーリスは目を丸くして、振った剣を止めようと思ったが、既に止められる距離ではなくアリーダの胴体を深く切り裂いてしまう。止めてくれると信じていたのか防御も回避もしなかったアリーダは悲鳴を上げて倒れる。
「ぐあああああああ!? お、お前、何で攻撃止めねえんだよ! いたたたた〈治癒〉!」
「何でって、急に止められるわけないだろ。何がしたいんだ君は」
優しい緑の光がアリーダの胴体を包み、傷を中途半端に癒やしていく。
傷を完治させることも出来たはずだが彼はなぜか途中で回復魔法を中断した。
「最初から言ってんだろー。アリエッタには死んでもらう。村人に死んだと思わせるんだよ」
たった一言付け足すだけで意味が全く違う。
アリエッタを殺すのではなく、殺したと村人に認識させる気だったのだ。
アリーダの考えを理解したイーリスは戸惑いや驚きより怒りが前面に出る。
「な、嘘を吐くな殺すとしか言っていなかっただろう! だいたい言い方が紛らわしいし、なぜ全て説明しようとしなかったんだ!? 死を偽装すると説明してくれれば私だって攻撃しなかったんだぞ!」
「わりーわりー、お前がアリエッタを庇うの見たらなんか嬉しくてよ。あんだけ魔人を嫌っていたお前が、どこまでアリエッタを庇う気なのか確かめたくなったんだ。まさか俺を殺そうとまでするとは思わなかったけどな」
「それはっ、君が殺す気だったから……はぁ、もういい」
怒るだけエネルギーの無駄だと思ったイーリスは剣を鞘にしまう。
二人の戦いが呆気なく終わり、敵意が霧散した状況に混乱中のアリエッタが口を開く。
「あ、あの、アリーダさん。どういうことですか?」
「安心しなよアリエッタ、今回は無事切り抜けられる。全員助かる策は完成済みだからな」
「それを早く説明しろ。君のせいで時間を無駄にしたんだぞ」
「へいへい。じゃあ説明させてもらいますかね」
アリーダは自分が寝ていたベッドに近付き、下に手を入れて必要な物を取り出す。
丸太だ。長さは三十センチメートルあるかどうかの小さな木塊。
所々黒くなっているそれをアリーダは「ほれ」とイーリスに投げ渡す。
「これは……丸太?」
「正解。イーリス、お前には急いでその丸太でアリエッタの首と頭部を作ってほしい。特技だろお前の」
アリーダが何を言いたいのかイーリスとアリエッタは理解した。
ナステル村に向かう途中で披露したイーリスの特技。剣で木を削って精巧な形の木彫りを作り出すそれで、アリエッタの死体を偽装するつもりなのだ。全員助かると自信満々なわりに成功率が低そうな考えで二人は不安になる。
「まさか、木彫りで死を偽装するつもりか? 私を頼りにしてくれるのは嬉しいが騙すのは無理だろう。形は精巧でも色が木そのものだし、人にしては硬すぎる……む、あまり硬くないな。この丸太、まさか腐っているのか?」
「人体にしちゃ硬いがそこは俺が誤魔化す。急げ、形を作り終わったら俺が色を塗るんだから」
昨夜、アリーダは宿屋の外で風呂覗きの子供とぶつかり、アリエッタの裸が見られた可能性を考えた。魔人とバレて騒ぎになった時のため、危機を乗り越える準備を一人でしていたのである。村の外で一番柔らかい木を見つけたら短剣で斬り倒し、モンスターの仕業と見せかけるために爪痕のような傷を付ける。その木を一部、小さな丸太にして宿屋に持ち帰っておいたのだ。因みに、色を塗る用にカラーペンは昨夜の内に宿屋から無断で拝借している。
「成功率が高いとは思えないが他の策を考える時間はないか。仕方ない、やるか」
やるしかないと悟ったイーリスが高速かつ繊細な剣技で丸太を削っていく。
特技なだけあって手慣れた作業だし、普段なら全身作るところを頭部だけなので短時間で完成した。先程までただの丸太だったのに今や芸術的な人の頭部に変化している。森でアリーダの木彫りを作った時は髪の毛一本一本を再現していたが、さすがに今それをやる時間はなく形だけ整えてある。
「おーいいんじゃねえかこれ。どっからどう見てもアリエッタの顔だぜ」
「しかし不自然な点がいくつかある。髪の毛を一本一本作り込む時間がなかった」
「問題ねえって。アリエッタ、悪いがお前の髪の毛を貰うぜ。半分の長さでいい」
「髪の毛……はい、分かりました」
抵抗はあったアリエッタだが今は嫌と言える状況ではない。
背中辺りまで伸びていた黒い長髪を鋏で半分斬り、肩付近で長さを揃える。半分の長さでいいと言ってくれたアリーダには感謝する。髪の毛がまた生えてくるといっても坊主頭になるのは死にたくなる程に嫌だったからだ。
髪の毛を貼り付けた後はアリーダが木彫りに色を塗って完成させる。
彩色前は精巧な作り物という印象だったが彩色後は正に人間の頭部。目に光がないことや表情も動かないことから死体そっくりだ。唯一違うのは人体よりも硬い木の硬度だけなので触らなければ疑問を抱かないだろう。
「……本当に私が死んだみたいです。き、気持ち悪い」
「これからどうする? 生きたアリエッタを誰かに目撃されれば作戦が台無しだぞ」
「俺が村人達の注意を引きつけるからそのうちに脱出してくれ。音を立てないように」
そこからはアリーダが一人で村長達のもとへと行き、死体そっくりな木彫りを見せつけた。何人か疑う人間もいたが、イーリスに斬られた傷をアリエッタとの戦闘で受けた傷と偽り、髪の毛も戦闘で千切れたから短いのだと言って説得力を出す。体はどこだという問いは適当な作り話を信じ込ませて納得させた。唯一不安要素だった硬度だがこれに関しても適当な作り話で納得させた。
村の中心で頭部再現木彫りを木板に縛り、キャンプファイアーのように火を付ければ村人の目は釘付けになる。イーリス達はその隙に村から逃亡して、見つからないよう警戒しながら外でアリーダを待っていた。
――そして今に至る。
平原にある切り株から立ち上がったイーリスはため息を吐く。
「……人間とは簡単に騙されるものなのだな」
「みんな信じたいものを信じてえのさ。自分に都合良く、おかしな点から目を逸らしてでも」
「魔人を恐れていたから、もう死んだと思いたかったというわけか。愚かな」
愚かかもしれないがそのおかげで無事にナステル村から脱出出来たのだ。
アリエッタがもう死亡したと思い込む村人達は生存の可能性を簡単に捨てた。それどころか、今回の依頼理由となった魔人もアリエッタだったのではとアリーダが言ったため、もう村には魔人がやって来ない信じて依頼達成となった。村人達はこれから仮初めの平和を信じて幸せに生きていくだろう。
「しっかし、まさか風呂を覗かれてバレるとはな。これからは俺が監視してやろうか」
「そう言って君が見るのは浴室だろうに」
「はっはっは、まっさかー」
「――どうやら一件落着らしい」
傍にある一本の木の影から女性の声が聞こえた。
アリーダ達の視線が集まった影に波紋が生まれ、黒いフードを被った灰色髪の女性が影から出て来た。彼女がフードを取ると尖った耳、赤い瞳、鋭い牙が露わになる。蝙蝠のような翼こそ出していないものの、彼女の雰囲気は十分に魔人であることを伝えていた。




