18 過去の過ちを悔やむのなら、同じ事をしないよう生きなければなりません。しかし後悔なき人生が良い人生ではありません。後悔するということは間違いを知るということなのです
ソリエ・グリッドマンはエル・トットフィードの元婚約者だ。
二人の別れ話はエルが十七歳の時、七十年前に遡る。
貴族は基本的に貴族同士で結婚しており、幼い頃に親同士の手で子供の婚約が結ばれる。トットフィード公爵家の長女であるエルも例外ではなく、親の手でグリッドマン伯爵家次男、ソリエとの結婚が約束されていた。しかし、二人の間に恋愛感情なんてものは一切なかった。貴族の場合、殆どの子供が見知らぬ相手との婚約を親に決められる。二人のように恋愛感情を抱けず、成人とされる十七歳まで育つのは珍しくない。
二人に愛はなかったが、エルはソリエに強い独占欲を抱く。
両親は自分よりも妹に愛を注ぎ、エルの欲していたものは殆どが妹に与えられる日常。そのため強い繋がりを持つ婚約者だけは、手元に残ったものだけは手放したくなかった。彼に近付く女性には裏で暴力を振るったり、持ち物を隠したり、罵倒したり、近付かなくなるまで虐めた。五年以上もそんなことを続けてバレなかったのは奇跡かもしれない。
とある日、ソリエが可愛らしい女性と密会しているのをエルは見た。
女性の名前はフロル・アゾット。男爵家の令嬢。
仲睦まじい様子で話す二人を見たエルは激しい憎悪を抱く。
当然エルはフロルを虐めたが今までの令嬢と違い彼女の心は折れなかった。折れかけたことはあっても、まるで踏まれて強くなる雑草のような心の持ち主だ。短期間で立ち直っては真っ向からエルと対立してくる。
今まで見た中で最強の令嬢を前にエルのストレスは溜まり続ける。
苛立ちも怒りも憎悪も最高潮に達したある日、思いも寄らない事態が起きた。
貴族がよく行く茶会の会場となる屋敷でそれは起きた。エルがフロルに悪口を言った後、フロルが屋敷の階段から落下したのである。これは足を滑らせた不幸な事故だが目撃者は皆無。現場に居たエルでさえ、茶会をやっている部屋に戻ろうと背中を向けており、事故の瞬間を目撃していなかったのである。
階段下で倒れたフロルを介抱することなくエルは逃げ出した。
自分が階段から突き落としたと疑われるのを恐れたのだ。虐めの恨みからエルの仕業だとフロルが証言する可能性もある。一刻も早く現場から離れ、他の貴族と一緒に居たというアリバイを作る必要がある。そんな心配も虚しくフロルは意識不明の重体となったのだが、エルと彼女が一緒に居るのを見た者が居た。証言でエルの立場は弱くなり、それを機に今まで虐めを受けた者達がエルの行いを暴露する。一気に不利になったエルが階段から突き落としていないと言っても、誰一人として信じる者は居ない。
親も妹も取り巻きも婚約者すらも敵となった状況。
犯人と決めつけられたエルは親から勘当されて修道院に送られた。
修道院は勘当された貴族だけでなく、真剣に神を信じる人間が労働したり祈りを捧げる場所。エルが送られたユルセール修道院は主に罪人の更生施設の面が強い。修道服を着て、労働で汗を流し、神に祈りを捧げる新たな日常が始まったのである。
「修道女として生活する内、私は自らの愚行に気付きました。深く反省しています。酷い目に遭わせた人達にも、あなたにも謝罪をしたかったのですが、既に貴族社会からは追放され爵位も剥奪された身。あなたや被害者の方々に会えるはずもなく、一生謝る機会などないのだと思っていました。今日を逃せば二度と機会は来ないでしょう」
エルマイナ孤児院の庭でエルはソリエに深く頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
「何の謝罪かね。私は何もされていないぞ」
「奥方様、フロル様に対しての愚行です。奥方様には既に謝罪していますが、公爵家追放以降あなたとは会えませんでしたので、今謝罪しておきたかったのです。当然、罪を許してほしいとは言いません。私は罪を抱えて生涯を終えるつもりですから」
実はフロルの意識は一年で回復しており、彼女は修道院までエルを訪ねて来た。
ただの事故だったのに犯人扱いされたエルを気にかけて謝りに来たのだ。
自分が意識不明にならず、足を滑らせて転落しただけだと証言出来れば、勘当されることもなかったのにと彼女は自分を責めていた。謝ってもらう資格などないと言ったエルが逆に謝り、反省したなら構わないと許しを貰っている。
「妻は君を許している。私も君を許そう。自分のための謝罪でもなさそうだしな」
「いいえ、自分のためでもあります」
頭を上げたエルは真剣な瞳でソリエを見つめる。
「謝れなかった後悔をなくすためでもありますから」
ソリエは薄く笑みを浮かべて「ふっ、そうか」と呟く。
彼は夜空を見上げてから視線を孤児院に移動させる。
「……君は、なぜ孤児院を作ろうと思ったのかね」
「下町で身寄りのない子供を見かけたのがきっかけです。家がなく、食べる物に困る孤児を見て、私がどれだけ恵まれた場所に居たのか理解しました。可哀想に思い、修道院で農作業をやっていたので収穫した青果物を孤児に与えましたが、根本的な解決にはなりません。まともに生活出来る下地を誰かが作ってあげないと、孤児は飢えに苦しみ続けます。……だから、私が助けになれればと」
修道院の食事は主に自給自足。野菜や果物、家畜をも育てて自らの糧とする。
エルは自分の収穫分を孤児に分けたが所詮はその場凌ぎ。
孤児達にも必要なのだ。エルにとっての修道院のような、誰かと共に暮らせる温かな家と、自分の力で生きていける環境があるべきなのだ。そう思ったエルは修道女の仲間に相談して、使われていない建物を買い取り孤児院にした。
「最初は同情から孤児院を始めましたが今は違います。私にとっても子供達は家族、大切な存在になりました。私はこの命の灯火が消えるまで、孤独な者に寄り添って助けたいと思っています」
「……本当に、変わったのだな。君は」
エルが傲慢で独占欲の強い令嬢だったと誰かに喋っても信じないだろう。
少し悩んでからソリエが「アレを」と護衛の騎士に告げると、騎士は馬車の中から白い布を取り出す。
「渡すか迷っていたが、私と妻からの誕生日プレゼントだ」
騎士から白い布を手渡されたのでエルが広げてみると修道服だった。
滑らかな生地の障り心地から高級な素材が使われていると分かり「まぁ」と驚く。
「今夜は冷える。今日は帰らせてもらうが、次は妻も連れて来よう」
「ありがとうございました。帰り道、お気をつけください」
馬車に乗り込むソリエにエルは頭を下げた。
彼の乗る馬車が出発して遠くに行くまで下げ続けた。
馬車が去ってからエルは頭を上げ、孤児院の建物内へと戻る。
ソリエは今夜が冷えると言っていたが不思議とエルは寒さを感じない。
心配して玄関から覗き見していた子供含め院内で待っていた子供達から、触れてもいないのに温もりを感じるからだ。穏やかな笑みを浮かべるエルは、今日も自分の心を温めてくれる子供達を見守る。




