13 俺は努力が嫌いだが生きるための努力ならするぜ。筋トレもするし、いかに敵を最低限の被害で倒せるかを常に考えている。俺がお前の注意を引きつけたのは勝てる見込みがあったからなんだぜ
長く掘られた迷路のような洞窟をアリーダは走る。
現在は命懸けの鬼ごっこの最中だ。
後方から追いかけて来る槍使いの男に捕まれば、確実に心臓を貫かれて死ぬ。
「〈電撃〉!」
アリーダは走りながら後ろを振り向き、雷属性の下級魔法を放つ。
下級魔法だからか〈電撃〉は直線にしか飛ばせない。既に見られているうえ、戦い慣れている人間なら躱すのは容易い。槍男は走りながら、最低限の動きで〈電撃〉を躱して鼻で笑う。
「ふん、単調な攻撃だ。回避は容易い」
「畜生当たらねえ。当たればスピードが落ちるのに」
直線状にしか飛ばない〈電撃〉を使ったのは考えあってのこと。
直撃か掠るかすれば痺れが襲い、躱した動きの分だけ速度が落とせる。
当たればラッキー程度にアリーダは考えていたが残念なものは残念だ。
躱した分だけ速度が多少落ちたものの、距離は今までより僅かにしか開いていない。今のアリーダと槍男の距離はおよそ十メートル程度。目的地へ安全に移動するために、アリーダはもう少しだけ距離が欲しいと思う。
「だったらこれだ! 〈土操作〉!」
「何……!?」
土属性の下級魔法〈土操作〉は実際に存在している土を操る。
もう一つの土属性下級魔法〈砂生成〉は魔力を砂に変えたり、大地を細かくして砂を作る魔法。それに比べれば〈土操作〉は実戦向きの効力と言える。
今この洞窟の地面も土、硬い土の塊。
アリーダは地面を操り、硬く鋭い無数の棘を作り出した。
十メートルにかけて作られた無数の棘を前に槍男の足は止まる。
「へっ、石みてえに硬く鋭い棘だぜ! これでテメエは追ってこられねえな!」
「……愚かな」
槍男はゆっくりと後ろを向き、来た道を歩いて戻って行く。
瞬間、アリーダの脳裏をよぎるのは最悪の結末。
最悪はせっかく挑発して自分を標的にしたのに、槍男の標的がイーリス達に戻ってしまうこと。罠に嵌まらず自分が無視されてしまうこと。
「げっ、し、しまった……! テメエ、イーリス達の方へ向かうつもりか!?」
「違うさ」
棘から約十メートル離れた槍男は足を止めて、今度はアリーダの方に振り向いた。
「何だ、立ち止まった? ま、まさかあの野郎、ジャンプして棘を飛び越えるつもりか! マズい、早く逃げなければ!」
アリーダが逃げるのと同時、槍男も走り出した。
槍男は全力で走りながら方向を斜めに変えて、壁に足を付けた。そして信じられないことに、壁から落ちることなく、走る勢いそのままで壁を走り始めた。横向きで走る勢いが落ちてくると、次は今居る壁と対面の壁を交互に飛び移って棘を越えてくる。
「何いいいい!? 壁を走って来るだとおおおお!?」
「言ったはずだ小僧。貴様から仕留めると!」
壁から飛び降りる直前に槍男は手に持つ槍を投げた。
槍はアリーダの足の傍に突き刺さったので「うおっ!?」と悲鳴を上げた。
さすがに恐怖したアリーダだが止まらずに逃げ続ける。
槍を拾った男とアリーダの距離は現在、約二十メートル。
今追いつかれることだけは避けなければならない。
仮に追いつかれても殺されるつもりはないが槍男はかなりの手練れ。
この場で戦っても無傷での勝利は確実に不可能。
アリーダは努力嫌いだが戦って傷を負うのも嫌いだ。
誰だって殴られたり突かれたりすれば痛い。自分を鍛えれば痛みを減らせるとしても多くの時間と根気が必要不可欠。だからアリーダは体を鍛えることよりも、敵を倒しつつ傷を最小限に抑える策を練るのに力を入れている。
今の逃走も最小限の傷で敵を無力化するために必要な行為だ。
「〈水流〉かーらーの〈氷結〉!」
距離を稼ぐためにアリーダは二つの魔法を使用する。
まずは周囲の地面に満遍なく水を撒き、温度を急降下させて凍らせた。
一瞬で洞窟内はスケートリンクへと様変わりだ。
普通の靴では氷上を滑ってしまい満足に走れない。
槍男も例外ではなく、足を滑らせて尻を氷に打つ。
「〈氷結〉だと……何だその魔法は、聞いたことがないぞ」
「誰が教えてやるもんかよバーカ。距離は稼がせてもらうぜ」
未だ立てない槍男を置いてアリーダは洞窟の奥へと逃げて行く。
「教えない、か。ならば俺は敢えて教えてやろう! 貴様は理解していないようだからな! まだアジトの構造を覚えていないようだが貴様の向かう先は行き止まりだ! 食料庫と厨房があるだけで、逃げ場はない! 時間稼ぎをしたところで貴様は殺される運命なのだ!」
そう、盗賊団のアジトであるこの洞窟、最奥は食料庫と厨房。槍男の言う通り行き止まり。アリーダは自ら逃げ場のない最奥へと向かってしまったのだ。正しく袋のネズミである。
子供の悪戯のような作戦で足止めを喰らった槍男だが、急いで追う必要は全くない。所詮この追いかけっこの結末は、逃げ場を失ったアリーダが槍で貫かれるのに変わりないのだから。
氷上から慎重に立ち上がった槍男は滑らないようにゆっくり歩を進める。
氷が張っている場所から出た彼は余裕を持ち、これから殺す敵の方へと歩いて向かう。
せめて一秒でも長く生の時間をくれてやろうと思う彼の心は既に勝利ムード。油断はなくても広い心の余裕がある。
洞窟最奥が見える地点にまで槍男は来たがアリーダの姿は見当たらない。
不思議なことではない、寧ろ自然だ。生き残るために考えたのならどんな馬鹿でも、最奥付近に存在する二つの部屋のどちらかに逃げ隠れするだろう。だがそんなものは所詮、死ぬ前の最後の足掻きにしかならない。
「通路に居ない。食料庫と厨房、どちらかの部屋に逃げたか。さてどちらに……」
洞窟最奥付近の両横には食料庫と厨房へ入る扉が取り付けられている。
どちらに隠れたのか考えていると槍男は見た、見つけてしまった。
「ふっ、くっ、くっくっくっく。間抜けな奴だな貴様は」
なんと食料庫の扉だけが微かに開いていたのだ。
殺されると思って慌てていたのか、自分が入った証拠を残してしまっている。
笑みを浮かべて食料庫の扉に手を掛け、開けようとする直前に笑みを消す。
(……いや、待て。冷静に考えろ。奴は俺の注意を引いたり、小癪な手を使う、悪知恵が働く男。そんな男がこんな子供がするようなミスを犯すか? 逃げた先をバラすような、食料庫の扉を閉めないミスを犯すか? おかしい。あの男がこんなミスをするはずがない)
短い戦いの中で槍男はアリーダの性格や頭脳を理解していた。
アリーダは自分を犠牲に仲間を逃がすようなタイプではない。
自分から挑発して追跡させたのは、何らかの勝てる見込みがあったからだ。
その何らかの策がもし、一度姿を見失わせて奇襲を仕掛けることなら……危険だ。同時に好機だ。一度策を破ればアリーダも打つ手がなくなる。槍男の完全勝利が決定する。
「くっくっくっく、貴様の考えが読めたぞ。扉を開きっぱなしにするのは間抜けの行動だ。貴様はわざと扉を開きっぱなしにして、食料庫に居るように見せかけたんだろう。俺が食料庫に入った瞬間、反対側の部屋から出て奇襲を仕掛けるつもりだな。そうはさせん! 策は見破った! 貴様が居るのは厨房だあ!」
普段料理が行われている厨房の扉を槍男が勢いよく開ける。
部屋の中には誰もいなかった。なぜか淡黄色の液体が撒かれているだけだった。
「――自信満々だったがハズレだぜ」
槍男の背後から声が掛けられて、背中に来た衝撃で厨房内に吹き飛ぶ。
背後からアリーダが跳び蹴りをかましたのだ。
誰もいない部屋に困惑した槍男は無防備であり、楽に一撃を与えられた。
槍男を後ろから攻撃出来るとなれば真実は一つ。
アリーダは厨房とは反対側の食料庫に潜んでいたのだ。
「バカな、貴様は間抜けだったあああ!?」
「間抜けじゃなくて策士と言ってほしいね。テメエはほんのちょっぴり賢いようだから、開いている扉を疑うと思ったぜ。テメエは裏をかいたが、俺は裏の裏! つまり表! わざとバカな罠を仕掛けたのよ! ま、どっちの部屋に入ろうと俺が勝っていたがな」
「勝っていた? もう勝てるつもりなのか? 確かに俺は奇襲を喰らった、ダメージはある。しかしこの程度のダメージで俺の動きは鈍らんぞおお!?」
槍男は立とうとするが液体に滑ったせいで転んでしまう。
ドロドロで滑りやすい淡黄色の液体。
厨房内の現状もあって槍男の心当たりは一つ。
「何だこれは、この液体……まさか」
「さっき策を見破ったとか言っていたがよ、残念だがテメエを始末する策は完成済みだぜ。厨房にあった樽には油がたっぷり入っていてなあ。その油を地面や壁にたあああっぷりと撒かせてもらった。もうテメエは油で滑って立つことも出来ねえよ」
「油……まさか、貴様、まさかまさかまさかまさかあああああ!」
「テメエ傭兵なんだろ? 盗賊団の一員じゃねえなら生かす理由もねえ。お疲れさん」
アリーダが〈炎熱〉を槍男に放ち、去り際に扉を閉める。
油はよく燃える。一度火が付けば瞬時に燃え広がる。
転んで体中が油で濡れていた槍男も一気に火に包まれた。
火は人間に欠かせないものでありながら脅威となりえるもの。
強い人間でも部屋中火災状態では生きられない。
なんとか脱出しようと、悲鳴を上げて転がりながらも扉まで辿り着き、槍男は手を伸ばしたが手は扉を滑った。脱出を防ぐためにアリーダが扉にも油を掛けていたのだ。槍で突き破ろうにも手が滑って上手く使えない。
皮膚が、筋肉が、その奥が焼ける苦痛に槍男は恐怖する。迫る己の死に恐怖する。
自分をこんな酷い目に遭わせた男を憎んだものの、追う手段がなく絶望する。
やがて火は何を燃やしたのか、厨房内で大爆発を起こした。




