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第1章 AS入会(4)

 11月に入り絶酒して6ヶ月が経過して、ハネムーン期は終わり壁期がやって来た。

筆者注:壁期は絶酒して6から9ヶ月の期間で、壁の前にいるような気持ちでスリップしやすい。


 信七郎は朝から気分が優れなかった。ここのところ自助グループのミーティングに行っても楽しくなく、休み勝ちになっている。

 この日は時間があるのでスロットをやってから行こうと思い、ミーティング2時間前からパーラーで遊んでいた。台の設定が良いのか、ボーナスが簡単に入る。

 ジャグラーという台なのだが、ボーナスが入ると台の左隅の『GO!GO!』ランプが光るのだ。このときの至福の喜びは何とも形容し難い。

 これは脳からドーパミンが大量に抽出されて、喜びを感じるのだろう。ギャンブル依存症はここから始まる。このシステムはアルコール依存症と同じだ。

 一時間に6回もボーナスを引き、それもすべてビッグボーナスばかりで、下皿がコインで一杯になる。オレは満面の笑みを浮かべていた。しばらく出たり入ったりで、コインが増減せず50分が過ぎる。

 ああ、もうミーティングの時間だなと止めようと思った瞬間、GO!GO!ランプが光った。これが悪魔の仕業だったのである。

 よし、有終の美を飾ってクレジットのコインを使い切り、止めようと思った。そうしたらボーナス後1ゲームで、ガコっと音付きで光る。ビックボーナス確定のレインボーカラーで光った。

 ウソみたい、こんなこともあるのかと、オレの体内にドーパミンがドバドバ抽出される。7を揃えてボーナスゲームが始まると軍艦マーチが鳴り出す。

 ASのミーティングを明後日の方に追いやり、スロットを続行し集中した。そう、悪魔がほくそ笑んでいるのも知らずに……。

 二時間後、800枚近くあったコインは1枚も残っていなかった。残っていたのはミーティングをサボった罪悪感と疲労感である。これこそ悪魔が陰謀した罠へ、簡単にはまったのだ。

 帰るときに飲酒要求につかまり、うのていで自宅に戻った。ここから信七郎は引きこもりとなり、飲酒要求との戦いが始まる。かろうじてスリップしなかったのは医師から処方された、レグテクトという飲酒要求抑止剤を飲んでいたからだろう。

 この薬は新薬で、飲酒要求を低くする効果があった。ただし医師の診察と、自助グループへ通わないと効果は減少する。

 引き籠りが3週間となった。信七郎はAS上永谷グループへすでに1ヶ月行っていない。自己嫌悪とうつ状態、無気力感で何もする気が起きなかった。

『もうだめだ。酒を飲まないと、すさんだ心が晴れない。飲んじゃいけないのはわかっている。でもこのままでは、自殺に追い込まれそうだ。

 1杯だけなら大丈夫、二杯目は飲まない自信がある。よし、酒を買いに行こう』

 信七郎は酒の魔力と、悪魔の囁きに負けそうになる。一杯だけだと飲んでしまい、簡単に酒浸りになった依存症患者が何十万人、何百万人もいた。

 彼もその仲間入りしそうである。家を出た信七郎はドラッグストアに行き、つい最近まで通い慣れた酒売り場にいた。信七郎の前には日本酒の酒が並んでいる。

 八海山特別本醸造、出羽桜吟醸、真澄純米吟醸が行儀よく彼を見ていた。久しぶりに見る酒瓶たちは信七郎を誘うかのように、手に取れとつぶいているかのようだ。  

『どうしよう。買うか買わざるか、オレはスリップしていいのか』

 信七郎は酒を買うつもりで来たのに、日本酒売り場の前で凍り付く。

『迷ったらGO!と決めたばかりだ。ええい、なるようになれ‼』

 彼は蛮勇を振り絞って、出羽桜の瓶を取ろうとする。

「秋山さん」

 信七郎は名前を呼ばれたと思い振り返るが、そこには誰もいない。ハッと気づく彼は

『さっきの声はルリさんに似ていた。そうか、酒を買うなと言うのだな。わかったよ、ルリさん。買わないで帰る。今日は月曜日だったな、上永谷グループのミーティング行こう』

 彼は急ぎ足で自宅に戻り、何日も入っていなかった風呂に飛び込む。髭ボウボウだったがキレイに剃り、身支度をして家を出る。

 一つ間違えていたらスリップして、奈落の底まで落ちていたかもしれない。信七郎は歩きながら身震いした。あのとき、よく酒瓶をつかまなかったと溜息ためいきが出る。

 上永谷駅に着き、まだ早いので駅前のコーヒーショップへ入り時間を潰す。信七郎は考える、暇だからパチスロなんかに嵌ってしまうのだと。

 だがギャンブル依存症になるほど、のめりこんでいない。アルコールと共に封印するため、色々なサークルに入ろう。趣味を作るために教室にも入りたい。

 そんなことを考えていたら、6時を過ぎていた。残った紅茶を飲み干し、席を立つ。1ヶ月ぶりに会場へ入ると、ルリが驚きの声をあげた。

「秋山さん!大丈夫ですか」

 信七郎は引きつった笑顔で答える。

「はい、何とか飲まないで済みました。心配かけて、すんません」

 ルリに似た声で、正気に戻ったことは言えなかった。彼女は嬉しそうにほほ笑む。

「よかったわ、飲まないでいてくれて」

 たかしが

「みんなで言ってたのですよ。スリップして、もう来ないかもって」

 三郎は

「踏み止まったのは凄いですよ。ハイヤーパワーが発生したのかも」

 ルリは

「飲みたくて、仕方がないときは連絡してくださいね。困ったときはお互い様ですから」

 信七郎は仲間に祝福され、泣きそうになった。こんなにも彼のことを心配していたことに、感謝の言葉を述べる。

「皆さん、ありがとうございます。これからも、よろしく頼みます」

 これが気付きの第一歩であった。まずは『感謝の気持ち』が心の中に息づき始める。この日から信七郎は積極的にASミーティングへ参加し、自分の考えをスピーチした。行ったことのない会場には仲間に連れてってもらう。

 仲間は親切で、それぞれが懇意にしている会場を紹介してくれた。信七郎は週に3回、ミーティングに参加することをノルマと決める。

 仲間によっては、毎日出席している人もいた。この回数については、ルリの助言を取り入れた結果である。彼女は

「今まで週に1回だった秋山さんが毎日ミーティングへ行っても、消化しきれないでしょう。3回ぐらいが丁度いいのではないでしょうか。

 慣れてきたら、徐々に増やしていけば良いのです。楽しみながら通えば、長続きしますよ」

 信七郎は思った。

『なるほど、ルリさんの言う通りだ。ミーティングだけでなく全てのことに楽しめば、飲酒要求を封じ込めるかもしれない』

 ルリさんの言葉に信七郎は素直に反応し、サークル探しの条件とした。まずは昔からの夢であったジャズを唄ってみたい。

 幸い上大岡駅そばのカルチャーセンターで、ジャズ教室があり募集していた。しかし信七郎はここで迷う。今までだったら、行かなかっただろう。『迷ったらGO!』を自分の掟にしたので、教室の扉を叩いた。

 ここからが以前の信七郎と違うところとなる。続けて古代史研究会の講座を申し込む。都合6回で三千円と安く、彼の好きな5世紀から、7世紀の古代大和王権中心のテーマであった。30年ぶりに麻雀をやりたくなる。早速、麻雀教室に入会した。

 ASを入れると、4つのサークルや教室に所属する。この中でジャズ教室が一番信七郎に影響を与えることとなった。信七郎はスリップの危機を乗り越え、1週間の予定が毎日書き込まれるようになる。

 ある日のジャズ教室の待ち時間に、エッセイの文集があったので読んでみた。女性4人による作品で、読むと上手なのである。信七郎は思わずうなった。

『こんなエッセイを書いてみたい』

 早速受付で聞いてみると、エッセイ教室があるとのこと。すぐに体験入門を申し込む。課題として『私とは』のエッセイを原稿用紙3枚に書いてほしいと言われる。

 このエッセイは彼の記念すべき第1作となった。題名は『酒酒落落』に変更し、ASの機関紙に投稿し掲載された。この後1年間で、3作品が掲載される。

 ジャズソングと双璧をなすエッセイと、小説の書き物の趣味が信七郎を飲酒要求から、解放する役目を担うこととなる。

 この頃は書くだけで精一杯のため、中身のできは二の次であった。しかしいっぱしのペンネームを創ったのである。

『飛鳥疾風』(あすかはやて)とつけた。ASでの名前も『はやて』に変えることになる。これはルリのアドバイスから実行した。三つの名前が明らかになり、ついに次章から題名のトリプルフェイスが動き出す。

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